2026春アニメ 最速放送&放送日順一覧(日付順) | アニメイトタイムズ
ベスト
淡島百景
上伊那ぼたん
スノウボールアース
とんがり帽子のアトリエ
ベター
日本三国
ポンスカ
ワースト
ガンバレ!中村くん
#ドラマ
「銀河の一票」
『愛してるゲームを終わらせたい』
最初からお互い好感度マックスの状態なのにくっつかない白々しいやりとりをやきもきしながらひたすら見させられるという。
「クラスで二番目~」だったか「オタギャル」だったか、もしくはその両方だったかもしれないけれど、「●●に相応しくないから」とかいう自己卑下を体よく使うのはやめて欲しいんですよね。ほかにヒロインが登場するわけでもないからひたすらこの二人で回していくんだけど、ちょっと無理やりな嫉妬要素のためにヒロイン側の友達がアカウント教えて~みたいなくだりあってその後のポッキーキスからの「いやお前も自己卑下するんかい」って展開あるけど、添い寝した後にやることかそれ。
いやナチュラル愛してるゲーマーのCV福山の先輩たちとかいるんだけど、別に主人公たちの恋愛ゲームに参加してくるわけではないし、せっかくの福山ボイスなら「レプ恋」の方が遥かに有効活用している。
『あかね噺』
普通に面白いんですけど、普通に面白いすぎた、というか。題材的に跳ねるのが難しいのかもしれない、というのと映像として表現するのが難しいのかもしれない。この手のアニメで観たことあるのは「昭和元禄落語心中」くらいなんですけど、あれもどちらかというとキャラクターの関係性によるドラマの部分が見どころの印象があって、そこにベテラン声優による落語という強烈なフレーバーがまぶされているという感じだった。じょしらくは知らん。
ライバル複数登場(実際はライバルですらないんだけど)とか父親の破門を巡る話とかも何かドロドロしたものがあるというわけではない明瞭さがあって、そういう意味でジャンプ作品らしい少年マンガ的味付けになっていて見やすい反面、分かりやすすぎるのかもしれない。結局、兄弟子たちも普通に良い連中ばかりですし、ドラマ的な葛藤があまりない。
分割2クールなので高校卒業を最後に持ってきて一区切りになっているので、次期でもっとかき回してくれる展開になることを期待。
『淡島百景』(ベスト)
個人的な好悪を別にしても完成度は最近のアニメでもぴか一ではなかろうか。
エピソードコメントを読み返してたら1話の時点で割と本質について言及していたし、12話のうちで半分くらいのエピソードにコメントしてるし中にはガッツリ書いてるのもあるので、その総括みたいなことしかもはや書くことはないんだけれど、とりあえずは今期で一番良かった。ベストはいくつかあるけど、その中でも一番良かったんじゃないかなと。
「羅生門」…というよりは「切腹」的な様々なキャラクターの視点からモノローグとして描かれる内声が、各話・各パートで別々に配置されることによってハーモニーになるのではなくポリフォニーとして個々に立ち現れ、必ずしも調和することなくむしろ不協和をこそ生み出す。
視点だけでなく時系列もバラバラで、何となく見ているだけだと誰が誰といつどのように関係していたのかが判然としなくなる(そして直接関係しない人物もいるのに、割と重要な働きをするような人もいる)。この斎藤環「イルカと否定神学」的とも言いたくなる雑多性・分からなさは「上伊那~」の逆説的な統制欲に裏打ちされた(としか思えない)ものや「ニディガ」的なトリッキーさによるそれとも違う。そういった分かりやすい晦渋さを目指すことなく「分かりやすさ」にも飛びつかない。
その多声の中に構造として織り込まれた、こちらから積極的に読み取ろうとしなければ見落としてしまいかねない中心と周縁を巡るサブテキスト(というよりは本質的なテーマか)も胸に来るものがある。4話のエピソードコメントにその大枠を書いて、11話~最終話を経てそれは確信に変わったのだけれど、男は常に淡島に対して絶対的な周縁者として描かれている。この作品に出てくる男性は、当事者として「淡島」に立ち会うことができない。岡部絵美の夫にしても息子にしても、死者としての亡き妻(母)を想うことしかできない。
さらにいえば、男性陣のような絶対的な周縁者ではないにしても岡部絵美も「淡島」の女優として生きることができなかった、周縁的な存在だ。
そんな彼女が本作の『不在の「中心」』を担うこと、その彼女が淡島を去る景気となった加害の中心的(あくまで「的」であり、10話から分かるようにいじめの端緒としてその「中心」にいるわけではないことは重要だろう)な存在であった伊吹桂子が語り部となり、同じく女優としては芽の出なかった田畑若菜(と編集の柳原もそうだろう)がその拡声器としての役割を果たすこと。その幾重もの周縁の入れ子的かつ中心・周縁の逆転的な構造によってそのような立ち位置が撹拌され、12話において「淡島」という世界を揺さぶることになる。
そこで「淡島」の話は青空のカットとそこにシームレスに入り込む煙草の煙によって岡部絵美の話へとリニアに移っていく。その時、「淡島」という世界の中心で輝きながらもそれを挫かれ、その「セカイ」の外――周縁に追いやられた彼女は今や亡くなり、もはやこの「世(界)」にすらいない。
それでもなお不在の中心として「淡島」の揺さぶりの震源――それを彼女の、あるいは1話のCG幽霊の表象としてなされた復讐と捉えてもいいが――として存在感を放っていたのだけれど、死後ではなく最後の最後で「淡島」ではなく岡部絵美彼女自身の決意表明、彼女自身が生きたその瞬間を切り取ったカットでおわり、OP映像へと背景が繋いでいってくれる。
それは美しいけれど、物悲しくもある。
だから、あのエンドカードとOPに救われた人も多いんじゃないだろうか(少なくとも自分はそうだ)。中島美嘉のEDがむしろ本編の後ろ暗さに対する救いになっていたのだけれど、最後に流れるのが(まあ、ありきたりな演出とはいえ)「オープニング」であり、そのイメージが持つ明るさ(曲調も含め)であることは普通に助かった。
1話の幽霊や12話の廊下とそこに伸びる窓の陰の描写におけるCGの無機質な使い方や、そうはいっても男性は確実にいっちゃん外側にいることしかできない絶望とか(エンドカードにいないしねぇ)、その辺の怜悧な視線もウェットになりきらない良さなのではないだろうか。
『TVSP 異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~』
『異世界のんびり農家2』
season1を観てないので何とも言えない部分があるのだが、ハーレムで農家の村を運営して人を呼び込むってなんかすごいカルトっぽいんですけど。
『一畳間まんきつ暮らし!』
基本的には虚無なんですが、漫画家ではないけれどここにいてもいいというのは有情な落としどころで悪くない(どうせコネでどうとでもなるので)。
ただ妹が漫画家であるという関係性があるせいで、「有情」ではあっても「友情」ゆえに「ここにいてもいい、むしろいてほしい」というところまでに行っているように見えないのが。いや、自分の匙加減であるといわれればそうなんですが。
『インゴクダンチ』
なんか政治的アレゴリーが割と含まれているのが面白い。団地、という舞台もジャンルとしての団地妻を超えて今や移民の住まう場所としての意味合いも持ちうるわけですが、まあそれはさておき少年マンガ的エミュをこの絵面でやるのは無茶では。いや面白いけど。
『大きい女の子は好きですか?』
とりあえず全員とセックス。尺の都合か毎回一足飛びなんだけれど、ナチュラルに部長?も部員とセックスしてたり意外と(肉体)関係が主人公に収斂しないのは良いのかもしれない。
『オタクに優しいギャルはいない!?』
これといい「ポンスカ」といい「灰原くん」といいみんな文化祭で締めるの好きすぎませんかね。いうほどビッグイベントだろうか、あれ。
ラスト付近のオタクのかまちょムーブのウザさ、ドラマ作るにしても今更感も強いし(というか「俺は相応しくない」系のエクスキューズ多すぎ)もっとなかったのだろうか。
OPのオシャレ度だけは良い。
『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件 第2期』
延々といちゃつきで回していたのでちょっとしたループ世界にいるのかと思うほどでしたよ。
恋人の家族と訳あり、というあたりが「クラスで二番目~」と同じモチーフではあるのだけれど、そんなに展開するわけではなく割とあっさり解決する。
これらに比べたら「渡くんの××~」が2クールかけてギスギスしながら緊張関係を描いていたのは相当なもんだったと遡って再評価したくなる。というかワーストにはしたけれど肥大した期待値を上回れなかったからという点においてなので、そういう意味では元から評価は低くないんですけど。
ただまあ、エピソードコメントで書いたように、あのだらだらとひたすらベッドの上でちちくりあう微熱ともいえない低温な感じは中々ほかでは得難いものだった。この後も似たようなことずっとやってるんだけれど、引き合いに出した「クラスで二番目~」や「愛してるゲーム~」と違ってこっちはずっとイチャイチャしながらも(主に視聴者・原作読者層によるものだろうけど)性的な行為にいたるそぶりを見せない(疑似的にはなってるんだけど)からこそ、確かにこの二人が長続きしそうな感じというのはする。直流より交流のほうが電池が長持ちするみたいな。
加えて、あれだけベタベタしながらも極端に性的なにおわせを排除しているがゆえに、そこにはアセクシャル的な可能性すら見えてくる(アロマンティックではない。為念)。
これに限らないんですけど「親がいない~」とか極端な身体接触が行われる際に男側が発する「言っておくけど俺も男だから手を出しかねないぞ(意訳)」といったセリフの浮薄さは、単なるエクスキューズ(というか陳腐化したやりとり)にしか受け止められないのですが(再放送してる「青春豚野郎」のサクタは割と手を出しそうでださなそうでやっぱり出しそう)、これに関しては上記のように散々いちゃつきながらもそういう行為に及ばないがゆえに二転してマジで死ぬまで手を出さなそうな感じもある。
でもしれっと子どもは作りそうだったりする。
『おねがいアイプリ』
『カナン様はあくまでチョロい』
当初から分割ってことなんだろうけど2クール分やるほどなのかこれ。なんか主人公が唐変木というか、すっとぼけキャラになっているんですけど、この人初手で割と性的なリアクション取りまくってたので中盤以降のやりとりまあまあ違和感あるんですが。
それでもカナンの家族が出てくる終盤は割と面白かったですが。メスガキ妹は別にって感じですけど、NTRのNTRとかいうこじらせすぎた妹の方はもはや一人でよがってるのは普通に笑ってしまいましたけど、これ実質的には母親がほとんど主人公にNTRれてるようなものなのでむしろNTR要素そっちでは。
マガジン系(?)だとありがちなんですけど、原作のキャラデザの方が好きなんですよねぇ…こっちの方がもうちょっとカワイイ系に寄ってるのと主人公がもうちょっとキリっとした感じなので。アニメのキャラデザだとちょっと性的なニュアンス(主に二次エロぽさ)が強いのが苦手なのかも。
『彼女、お借りします 第5期』
初めて観たけど終始キモかった。プールの部分とかそれ以前に絵的にも話的にもまったく動きがないのでかなりつらかった。
でも続きはやるというあたり盤石な人気はあるということなんだろうけれど、割と本気でどんな人が支えているのか気になる。
『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』(ベスト)
好きか嫌いかで問われるとちょっと良く分からないんですが、アニメとしての表現力とその幅において圧倒的だったことは否めないのでベストに挙げないわけにはいかないでせう。なんだかんだ「瑠璃の宝石」もベストよりの評価に入れましたし。
正直なところ衒学趣味っぽい感じもしたし、原作者の持って回った書きまわしのnoteを読んで「それはうそぶいてるだろぉ~」とも思ったんですけど、かといってSNSのようなやっかみにも乗りつもりはないということの意思表明もある。
で、話題になったそのnoteの記事、3年前のポストだったのでアニメではなく原作についてなんですが、ということは何かしらの感度の高い「受け手」に向けたものであるわけなんだけれど、そういう手合いに対してすらもどこか先導……とまではいかないものの手引き的な思惑があるように読める。
たとえば該当の記事の最後に『たった一つお伝えしたいのは、「分からないな」という読書体験自体が、『上伊那』においては設計された読書状態であり、「すべて分かる」という作者の視点に読書上の特権的価値はないということである。』と書かれているわけだけど、いやそれってやっぱり「分からないな」と思う状態が塀という釈迦の手の上で踊る孫悟空たる読者という構図にまんまとハマっているわけで。
また、同じ記事おいてそれらの晦渋な言葉たちは代替可能であり、それ自体に意味はなくそうして発せられる音に乗った感情を嗅ぎ分けることが枢要なのだといっている。
なんとなく、その「わからなさ」というものに現代の客は耐えられないのではないか、それがSNSにおける衒学ガーに繋がっているんじゃないかって気もする。
私自身は、ある意味でこの塀の思惑に即しながら逸脱した印象をこのアニメに対して抱いていた。
それは、私にとっては本作のキャラクターこそが代替可能な変数であったということ。
白状するが、最後まで観てベスト級だと評価しているこのアニメに出てくるキャラクターの名前は「ぼたん(悪い女ですわ)」しか覚えていないし、他のキャラクターの関係性や会話についてもあまり覚えていない。
つまり、誰がどれであっても私にとっては些事なのでせう。最終話のベッド上のやりとりを観てすらもまだそう思っている。まあ「お互いに穴をあける」ということの寓意はファルスによるヘテロセクシズムあるいはメイルゲイズみたいなものを感じる(だって「『上伊那』は今後もおそらく、「わからない」会話を都度展開するだろう。「わからなさ」と、それを窃視する密やかな愉しみを、ぜひ味わっていただきたいのです。」とか言っちゃってるんですぜ?)ので、些事は言い過ぎだけど。
私にとってこのアニメの視聴動機はマジで「アニメ的表現」にこそある(そういう意味で終盤は随所に光る演出はあったけど前半ほどのエッジは立っていなかった)ので、おそらくは塀が『キャラクター』(作者自身の切り身として)を見せようとし、一方で彼女らから発せられる『ジャーゴン』(ってわけでもないんですけど、単なる固有名詞なんで)には意味がない(意訳)というとき、私自身はアニメというメディアのコード上でその『』の中を入れ替え観ていた気がする。
作者の見せたいキャラクターをこそ、作者にとってどうでもいいものとして私は見ていたのでせう。
あとキャラクターに他者性が感じられないところだろうか。よく「キャラクターが勝手に動き出す」という表現を見かけることがあるけれど、塀にはそういうことがないんじゃないかと。よくもわるくも、完全に統御されているんじゃないかって気がする。先の釈迦メタファーにしても、「分からなくていい(俺は全部わかってるけど」という精神的ブルジョワジーを感じるわけです。ええ、ルサンチマンです。
ただ、衒学趣味について考えてみると、たとえば押井守の「イノセンス」における膨大な引用会話について、あれを衒学趣味と言う人はあまりいないだろう。なぜならそれ自体がほぼ意味をなさないような空虚な言葉の応酬だからで、ここまで行けばそりゃ衒学的とかそういう問題じゃないわけで、上伊那はその点で置き換え可能な変数とはしながらも(コンテクストという言及があるように)無意味なものとして描いていないんじゃないか。そりゃまあ読者にとっての未知のコードは作者にとっては既知のコードである以上は、無意味なものになるはずもない。
こういう意味の無い駄文こそが置き換え可能な変数なのだ。
そして自分はあまり百合が分からないのかもしれない。ただ酒(とたばこ)というのが百合という概念において重要なモチーフであると思っていて、その「未成年ではないこと」ことが性的なものを迂遠に発生させているんじゃないかと。これがチューハイとかコンビニ・スーパーで買えるものになるとコミックフェスタの5分アニメになっていくんじゃないかしら。
ていうかヤニねこか?
『神の雫』
CVを亀梨にやらせる意気やよし。地上波で観ると「上伊那~」と続けてのお酒枠なのだけれど、そもそもなぜ今更になってアニメ化したのかよくわからない。
『神の庭付き楠木邸』
伝説のアニマルが俺にだけ懐く系。こういうのって異世界転生のフレーバー的要素としてあると思ってたんで、これだけを抽出してアニマルの数をひたすら増やしていく物量攻めで来るとは。神獣に常に囲まれてるから気づかないけど、この主人公ほとんど人間と接していないという。序盤は多少あったけど。
一般人からしたら常に独り言をしているわ周りで食べ物が虚空に消えていくわでかなり奇怪に映るのでは。
風属性主人公なのは意外と珍しい?メジャー中のメジャーなNARUTOのナルトが風属性ですけど、数で言えばやっぱり珍しい部類なのかしらん。
陰陽師連中との絡みもほとんどなく、お札経由で「恐ろしい子…っ!」とまた俺なんかやっちゃいました感を出してはいたけど、もっと交流あって良かったのでは。
女性三人組とか男女の先輩後輩ペアとかおっさんとか、あの辺ほとんど絡みないし、かといって物語もあってないようなものなので何でだろうと思ったんだけど、やたら悪霊でてくるあの世界(というか町?)で主人公が能動的に行動を起こさずに済むように陰で動いているという感じなのだろうか。スパイダーマンが助走付けて殴りにくるのでは。
『ガンバレ!中村くん!!』(ワースト)
『ガンバレ!中村くん!!』とオリエンタリズム的BLヘイトについて - しゅみの部屋
第1回エンディングテーマ曲:村下孝蔵「初恋」→その名の通り広瀬に初恋をする
第2話エンディングテーマ曲:バブルガム・ブラザーズ「WON'T BE LONG」→もうすぐ
第3話エンディングテーマ曲:スチャダラパー featuring 小沢健二「今夜はブギー・バック <smooth rap>」→Nice vocalバージョンではない、というのがある意味ではB面的≒マイノリティ的
kagariharuki.hatenablog.com
第4話エンディングはテーマ曲:バービーボーイズ「負けるもんか」→ライバル登場に対しての「負けるもんか」
うーん…やっぱり本編がダメな気がする。音響監督が岩浪っていうのもあって、当初はその本編の裏で走るEDとの表裏によってどうにか覆るんじゃないかと思ってたんだけど。
しかしBLって大半は女性作者で女性読者だと思うんだけど、ナチュラルミソジニー入っている気がする。多分、この辺が(過激派な)腐女子と女オタク(うげー嫌な有徴)の違いな気もしている。女オタクはカワイイ女の子キャラも好物ですし。
当初、私は本編とやや乖離しているようにも見える一方で、むしろ本編こそが「ビューティフルドリーマー」的な心地よい微睡の「演出された」世界であり、シティポップ調のED(選曲含め)こそが真に中村の心象風景としてあるのではないか、と考えていた。
いや、それ自体はそこまで遠からずだと思う。ただ、結局のところEDが本編の内容と沿う、というよりも寄り添ってしまったところにこのアニメの限界を見たというか。
まずハッキリさせておくけれど、私は本編で描かれる内容はあまり評価していない。というのも、ほとんど特定の女性……有り体に言って腐女子(にとって)の理想の世界であり、端的に言ってそれは見ていて色々な意味で痛々しいし、倫理的にアウトだと思っているから。
とはいえ、いつもならそんなことに一々目くじらは立てないで「きもいな」と思う程度なのだけれど、今回は炎上した件もあってこういう表現を見て思っていることを書き残して置こうと思ったのが大きい。
それは中村(×広瀬)という対象そのものだけではなく、彼(ら)に眼差しを向ける川村を筆頭とする劇中の女子生徒の描き方にある。
特に3話。川村を中心(?)とした女子生徒3人の会話のナチュラルな性的客体化のそれは方向性は違えど程度としては「かのかり」と大差ない。
中村のキモさ(とそれに特に指摘の入らない客観性のなさ)にしても、彼の中でのみ完結しているうちはまだ許容できたが、川村を巻き込んだ時点で「腐女子」の自意識がその欲望の対象と完全に結託しており、それはほとんど「夢女子」的ですらある。
そもそもガチの腐女子(に限らないけど)は己がどう見られるかということに自覚的であり、もっと隠れキリシタン的な不文律を遵守する。だから、あのようにてらいもなく腐女子に理想化された世界を観せられると居たたまれなくなってしまう。これは世代的な感じ方もあるのだろうけど。
もっとも、ちょっと前にSNSで話題になってた「オタクの被害者しぐさ」にはまっっっったく与しないけど。
私は原作を読んでいないので何とも言えないのだけれど、アニメでは中村の妄想がかなりマイルドになっているというのを聞き及んだ。
確かに1話のタコのくだりは原作だとタコによる広瀬への触手プレイというマニアックな妄想がアニメでは中村と広瀬が同棲していて広瀬がエプロン姿で朝食を作ってくれるという、よく考えたらタコとの脈絡があまりない(だから構成が変わっている)のだけれど、欲望の方向性が違うだけで正直なところ個人的にはどっこいどっこいの気持ち悪さがある。いや、むしろ単純な性欲に結び付いている触手プレイの方がまだ全然許容できる(思春期の男子高校生なんてアセクシャルでもなければエロいことで頭いっぱいのはずなので)。
ただ、そういう表現をアニメでやるには「問題」がある(というか間口を広げるためのマイルド化戦略)と判断されたからああいう形になったのだろうし、それによってマスへとアプローチすることができたのだろう。が、その結果としてアニメを経由して原作を読んだある層が燃やした(具体的な経緯はちょっと違うぽいけど)というのは、はっきり言ってしまえば性的客体化という本質に違いがないからだろうと思う。アニメの時点でそれに気づかない連中もどうかと思うけど。
要するに基本的には量産される男性向け(性的)欲望コンテンツと本質はそこまで変わらないわけで、本来であればここまで熱量を持って語るような対象とはなりえないんですよ。
じゃあなんで、というと、本編とは別のレイヤーで、というよりも本編を相対化するような構造が走っているからで、それは何を隠そうEDにある。と、当初は思っていた。
1・2話において中村の視点・モノローグだったが、3話では彼以外のキャラクター、川村という(腐)女子のモノローグによっても話が進んでいく。だからEDの映像にも川村がいるのでせう。モノローグとはすなわち心の声であり、広瀬への何かしらの感情に同調した川村もそこに描かれる(が、ミラー越しというあたりに一層の隔たりがある)ことには蓋然性がある。
川村が広瀬←中村←川村という感情の矢印。
2話のED映像では深夜机に向かって何かを読んでいる中村がコンポで音楽を(ED曲)聴いていたが、時折こちらに目線を向ける中村の表情と背中はどことなく哀愁をただよわせていた。
そして2話の冒頭はまるで1話のED映像から地続きのような描写でラブ弁を読んでいる中村から始まっているのだけれど、1話EDでは机に置いてあったコンポが本編にはない。
これは明らかに作り手もそのプロップの有無を意識しており、EDにのみ登場するそのガジェットの時代性をシティポップの時代性と紐づけている(いた)。
そしてやはり2話のEDでも中村の部屋の机の上には本編には存在しなかったコンポがあり、そのコンポからウォンビーロングを聴いている(かのようにみえる)。
1話EDでは深夜ではありつつも、むしろ深夜にラブ弁を読むという営みに高揚感を感じさせていた。
カメラを意識した視線も、その背中も単純な哀愁一辺倒ではなかった。
しかし2話EDはベッドに座って俯きがちに音楽を聴いている中、こちらを一瞥することなく外が黄昏れていく。
これが中村の心象風景でなくて何だというのか。
シティポップの映像文化はあまりよく知らないのだけれど、何となくほとんど静止画的なものの垂れ流しのイメージがある。あるいはそこに最小限の動きを加え、それを繰り返す。
このミニマルな動作のリフレインはむしろヴェイパーウェーブ的ですらあり、その文脈から本編の高揚感を相対化する働きがあった。はずなのだが…。
何でEDに槇原敬之使わなかった?
槇原敬之があそこまでメジャーで売れたにもかかわらず、彼のセクシャリティは暗黙の了解として一種の封殺をされており、そこに奇妙な(というかいやーな)乖離が見えるのだけれど、この主人公のセクシャリティを「ゲイ」として本人に言明させているこのアニメで使って入れば、多重の意味で社会へのアンサーになりえたのではないか。
何が言いたいかといえば、槇原敬之は極めて自分のセクシャリティを意識した上でそれを最大公約数に届くようなプロデュースによって支配的なセクシャリティであるヘテロな大衆に受容されたわけだけれど、それはある意味で槇原敬之の楽曲のゲイ性を脱臭し読み替えることで成立している(いやもちろん彼のリリックの才能はその歌の中にセクシャリティの本音を内包させているわけだが)。
中村くんのEDではむしろその逆として、そもそも「普通の」恋愛ソングとして受容された80〜90sの曲を、中村の心象とシティポップというノスタルジアを通してゲイのアンセムが如く読み替える。
そして、繰り返すが上記の「読み換え」作業のためには中村のセクシャリティを明示しておく必要があった。なぜならかつてのメジャー(シス・ヘテロ)なシティポップ・ラブソングをゲイのアンセムとして再解釈するならば、そのアンセムをアンニュイに聞き入る中村自身が体現している必要があるからだ。
キャラクター論に深く突っ込むことになるしそこまでの問いはドツボが目に見えてるから付言するに止めるけれど、究極的にキャラクターに寄り添うならそれすらも一種のアウティングになるだろうけど。
それに、ヘテロはわざわざ自分のセクシャリティを明示する必要はないのと同様に、本来ならばゲイだろうがレズビアンだろうがパイだろうがそれを明示する必要はない。私が1話で感じた嫌な感じというのもそこにある。
とはいえ、そうしないといけない程度には我々の社会は発達していないわけで。
だから、そのセクシャリティゆえに「友達」以上になることのできない悲哀をラスト2話でもってきたときに、20世紀的シティポップを越えて10年代の前半に槇原がリリースした「軒下のモンスター」を使えば、本編とEDの結託も意義のあるものと思ったのだけれど。
それはそれで恋愛至上主義っぽいし、セクシャリティの悲哀とBLの中で描くことの「物語化」の不純さみたいなものはやっぱりぬぐえないと思うんで。特に最終回は広瀬の彼女の子のあまりにも舞台装置すぎる描かれ方は酷いものだし。いや、終盤でちょっといい感じに彼女のアップショットを入れて誤魔化してたけど、あの振る舞いはどう考えてもヘイト向けられるだろうに。
まあ、端的に言えば期待外れだったってわけです。途中からはいうほど期待もしてなかったんだけど。
『キャンディーカリエス』
『霧尾ファンクラブ』
文化祭でオチをつけなかっただけで評価が高くなりがち。
「フードコートで~」はそこまで個人的な評価が高いわけではないのだけれど、恋愛要素などもほぼなく二人だけで話を回せているあたり凄かっんだなぁと再評価してしまった。
「霧尾~」に関して言えば笑える箇所もあるものの、基本的にはシュール(滑り)ギャグと顔芸の物量攻めで白ける方が多かった。とはいえ高校生のクオリティってこういう感じだよな~という妙なリアリティも感じていたのだけれど、霧尾の悲しい過去と藍美の笑わせに明確な理由ができてしまったことは、かなり評価が割れそうな気が。単に笑えないものが笑うに笑えないことになってしまった。
萬田の投入と彼の霧尾への誠実さというか正直さは根暗ではあるが陰キャではないといったバランスで、そこは良かった。後輩とか店長はいらなかったと思うけれど。
メイン二人(三人?)でいえば波から藍美への感情は恋慕だと思うのだけれど、藍美が霧尾に向けるそれは(最終回を見てもなお)そういうものとは違うものに見える。だからこそ二人は「霧尾が好き」と言明することで彼への恋愛的感情がないということを言外に表明しているのでは。少なくとも波に関しては。だから藍美が最後に告白を「照れ」(自分にはそう見える)ることで波を巻き込み、藍美・霧尾の恋愛関係に(そもそも発展するのかどうかは別にして)排他されないことは、むしろ波の覚悟を無碍にすることになるのでは、とも思う。あの涙もモノローグも、ややもすると強がりに見える。若山詩音の演技もそこはあまり明確にしていないように聞こえるし。
応援する人を応援する、推しの推しという関係が恋愛的なものを排除している。だから「ファンクラブ」であることは安心はできるのだろうけれど、「中村くん」のようにゲイの悲恋に結び付けないことで友人関係に安住することの方がむしろ波としてはキツイのでは。
『キルアオ』
分割2期とはいえ2クール作るほどなのかしら。普通に「サカモトデイズ」の方がいいと思うんですけどね。
そもそもの設定からして危惧してたんですけど案の定女子中学生に惚れられちゃう展開やっちゃってるし。何でそこだけラノベぽくしちゃうのか。
『クジマ歌えば家ほろろ』
声優がポニョ、というのがフックだったけどなんだかんだ最後まで普通に観れた。
最終回で歌を3回流して回想的モンタージュを2回もやってすぐに再会するあたりのスピード感は感傷的になる暇を与えてくれないのだけど、それくらいのバランスの方がこのアニメにはいいのだろう。
兄貴の受験ノイローゼ気分は結構分かる部分があるんだけど、無事合格できたし何より。異邦人の馴致にも読み取れるが、最後の犬から吠えられるというのも含めてクジマという非人間であることで「馴染み切らない」というのは良い落としどころかもしれない。
『クラスで2番目に可愛い女の子と友だちになった』
岡田麿里ぢからが足りない。家族関係ギスギス路線をやりたいのかそうじゃないのかいまいちよくわからなかった。しかしこのジャンルってバレンタイン、文化祭、夏休み(海)、あと看病(「愛してるゲーム~」を横目で見ながら)による気遣いという定型でひたすら回してるのが個人的には割と謎。
あと付き合いたては「フォーエバーラブ!」と思って痘痕も靨に見えますけど、そのフィーバー状態ってせいぜい数か月なんですよね。友達の両親が高校時代から付き合って結婚したという稀有な例も知ってはいるけど。
重い人って確変モード溶けると本当に面倒ですからね。脳科学的な根拠と実体験から断言しますけど。まあ高校生の恋愛なんてそんなもんでいいとは思うんですけど、私はもはや高校生という概念からは程遠い人間なので半端なもん出されるくらいなもっとぶっ飛んだものが見たいというのはある。
『黒猫と魔女の教室』
どちらかというと女性向けだろうになぜ最初にパンツ見せたのか。男性を釣ろうという魂胆なのかわからないけれど、あまりそういうのいらないのでは。
バトル要素も結構あるんだけれど、それ自体がこの作品の主題ではないにしてもあまり面白みはないというか、それは「ウィストリア」がハイクオリティでやってしまっているので同期ということもあって比較して見劣りしてしまう。
かといって非バトルとしては「とんがり帽子~」があるので、キャラ萌えに振っていくしかないのだろうか。
『ゴーストコンサート : missing Songs』
いいトンチキアニメだった。
ラスボスには歌わないのは一見逆張りに見えるもののまあ本作における歌唱ってレクイエム(デュエット)っぽい感じもあるし、さもありなん。
いや話はほとんど分かってないんだけど、割と勢いと(地味に)良いアクション作画で持っていく力技で結構観れた。物語が薄いというかコンセプトのみが全面展開されているのは潔い。最終回で主人公の出生エピソードを持ってくるのはどうかと思ったけど、意外と一話のコンサートシーンとスムーズに繋げていたので最初からそういう構成にしていたんだろうか。ぶっちゃけ1話のこと忘れてたけど。
にしてもジャスラックディストピアなこの世界はさておき、最終回のコンサートでの演出を見るにつけ、ゴーストとVRキャラクター(Vtuber含め)の見立てを突き詰めれば結構面白いものがありそうな気がした。
『氷の城壁』
分割2クールなので最終評価はまだとはいえ、今んとこは微妙。
回ごとの乱高下があり一概に悪いわけではないんだけど、どいつもこいつも「いかに他人を傷つけないようにするか」のコミュニケーションばかり。
それは相手を慮るようでいて、その実はいかに自分の心を波立たせずにいられるか、心地よい関係性に安寧していられるかの安定志向でしかない。
恋愛ってそういうのとは真逆の運動でしょうに。恋話の面白さはその不安定さにこそあるわけで、だから人の恋路のときはみんなイキイキしてるんでしょ。
それはそれとしてヨータの告白するときの表情がちょとキモかった。こゆんの場合だとキャラ性と相まってそういうニュアンスとして読み取れるんだけど、ヨータの場合だとなんか暗黒微笑に見える。それともこれはミキ側から見た表情だからってことなんだろうか。
腹黒後輩ちゃんが次クールは波乱を起こしてくれそうなのでできる限りひっかきまわしてくれ。
『こめかみっ!ガールズ』
お米枠。本編はほとんど覚えてないものの、おまけ(が本体)の啓蒙コーナーが本編といっていいくらい割とまともにやっていた印象。最初から万策尽きていた。
『最強の王様、二度目の人生は何をする? Season2』
学園に入るの遅すぎませんかね? 妹の誕生日なのに母親にも同じものをプレゼントするというのもなんかズレてる気が。
入学して終了というのも、じゃあ今まで散々なにやってたんだよという気もするのだが、普通構成としては順序逆ではないのだろうか。
『最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士(仮)らしいですよ?』
この手のジャンルのものとしては割と面白かった。ギャグのセンスが古いんだけど、一周回って笑えましたし。普段なら(暗黒微笑)って割とサムいと感じるんだけどCV三宅健太の獣人だと割とイケるんだな、という発見もあった。
『自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。』
ジェネリックサイコパス気質な王子のモノローグというのが、悪役令嬢もののベーシックとはやや異なる点だろうか。いやまあ最終的に「幸せな結婚をして終了」というあたりコンサバではあるんだけど。ヒローニアの扱いも、割とありがちとはいえやっぱり「なんだかなぁ…」と。一応、主人公は王子なんだけれどヒロイン=バーティアの立ちあわない場での「ザマァ」展開をするのは端的に言って責任の放棄だと思うんですよねぇ。ザマァするならちゃんと真正面からそういう露悪をキャラクター(作者のイデオローグとしての)に担わせるべきだと思ってしまう。
『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う 3rd season』
シーズン3に入ってしかも中盤になってから本当にふと思っただけなので、本編にはまったく無関係な上にもしかしたすでにそういう指摘をする人もいたのかもだが、ハッコンを要介護者のメタファーとして見ることってできないだろうか。
交通事故という陳腐化して久しい定型も、それによって動けない体になってしまったということで新たに…というかある意味では本来的な「事故」そのものの意味があるものになる。
ハッコンはベンダーなので当然ながら身動きが取れず基本的に移動の際は誰かに背負われたり押されたりするわけで、最近はむしろ万能性ばかりが描かれていてたまにランミスに運ばれる様を見て逆説的にそういう見方はできないだろうかと思ってしまったのだった。
そして、ハッコンが万能であること(万能でなければならないこと)は、つまり要介護者という後ろめたさの裏返しなのではないかと。
無論、それは本来感じる必要のないものではあるのだけれど、5体満足のニンゲン向けに設計されたこの社会制度と物理的な構造に囲まれた中において要介護者は移動一つにも助けを必要とする。
そして、その助けを得るためには自分が有用であることを示さなければならず、マイノリティであるにもかかわらず(であるがゆえに)徹底してメリトクラシーの中に置かれているのだと。
いや、そんなことは全然考えてないのだろうけど、例えば要介護者のランミスが女性であることは単なる性欲原理なのだろうけど、この見方をするとケアの役割を女性に当てはめるものとして一層のグロさを伴うという問題もあり、さらにはロマンティックラブイデオロギーの匂わせは「ジョゼと〜」にも発展させる余地がある。
そして、そういう方向には間違いなく行かないだろうな、というクソみたいな安心感がある。
しかし最後なんで人間になってたんだ。いらんでしょあの描写。
『春夏秋冬代行者 春の舞』
終盤ちょっと駆け足ぎみだっただろうか。
春の舞ってくらいだから秋夏冬もやるのかと思ったけど特に続編の情報とかもないのでとりあえずここで終わりかな。原作がどうなっているのか知らないのだけれど、アニメはここで終わりだとしたら「代行者」に関する法則(夏二人いるし)や政治・制度について根本的な問題何も解決していないんだけど、それでいいんでしょうか。ま、そもそもそれを覆すっていう革命譚として描く気はそもそもないのだろうけど、の割にはそのシステムに苦しむ様子を描いているので気になってしまったわけだが。
しかし、どう考えても本来はあのテロ行為ってそういった思想信条か、もしくはそれを隠れ蓑にした拝金主義・覇権主義的なものによるものだと思うのだけれど、まさかPTSDと母性こじらせ女性の暴走って。随分と矮小なスケールにはめ込んでしまったなぁ。あとヘンダーソンっていう妙にアメリカンな感じなのも変な意味性を帯びているような。
いやまあ、アメリカ大統領のやってることがやってることはそれに近い(莫大な権力を持ったバカ)けど。
代行者のシステムは天皇の皇族問題について現実で良い感じにシンクロニシティが起きそうだったけど、本作ではそこを突き詰めずにあくまでトラウマのメンタルケアと恋愛に終始してしまったのが惜しい。
しかし取って付けたような百合百合セリフで誤魔化すくらいなら凍蝶・姫鷹と狼星・雛菊のああいう描写はいらんかったのでは。まあ始まりが姫鷹・雛菊ではあるので、丸く収まったといえばそうなのだけど。
しかしニディガの精神疾患(的)描写に反発している人がいたけれど、それをいったら雛菊の二重人格についてもロマンスのために過度に人格の「死」をファンタジックに描きすぎている方が気色悪いと思うんだけど、そこに突っ込む人はあまりいないような。
まあその辺の大家であるオリヴァー・サックスですら創作していたということが最近になって判明していたりするので、実際精神疾患まわりのことって実態を捉えづらいからこそこういうスピリチュアルな方向に傾斜しがちなのだろうけど。
涼宮ハルヒの憂鬱(再放送)
『スノウボールアース』(ベスト)
2クールの予告もあるのでまだ最終的な評価はしませんが、今のところはベスト。
セルルックのCGとドローイングをシーン単位で割と入れ替えても不自然にならないチューニングとか、何気に結構なことをやっている。
一話こそノリが上手くつかめなかったりミニ重機で怪獣に立ちむかうところとかのリアリティラインはちょっと危ういものがあったけれど、以降は安定して面白かった。テツオにしてもコミュ障でありながら英雄の何たるかを自覚しそれを躊躇なく行動に移せる二面性を持っているちょっと珍しいキャラクターで、そのコミュ障ぶりと英雄性どちらも幼少期からのパイロット生活による(父親がやばそう)というのも面白い。
彼が大佐に対してすら「対話」を選んだのも、その両義性によるのではないか。ともすれば独善や陶酔、マッチョイズムに傾斜しかねないその英雄性をコミュ障性(他者への恐怖)が中和することによって「MOTU」の駄目なマッチョイズムと「エヴァ」の人類補完計画的な他者恐怖を乗り越えられたのではないかと。
大佐(CV杉田)のくだりはちょっと苦言を呈したい部分もなくはないけれど、割と悲惨な死に方をしているあたりは安易な赦しを与えていないと見たので無問題。
課長も活躍しつつうまい具合にテツオ・ユキオに美味しいところを譲ったりその辺のバランスも上手い。
ユキオの立体グッズが欲しい。
『大賢者リドルの時間逆行』
最強の王様~的な最強おじが若者に転生して前世の記憶で無双するアレ。モーションコミック的なあれ。
アクションジャンルとの食い合わせってそんなに良くないと思うんだけど、「魔物喰らい~」といいなぜ。
『ただいま、おじゃまされます!』
これはポリアモリー…ということでいいのだろうか。男性陣が納得してる感じがないので違うか? 主人公がいいとこどりしているだけのようにも見える(その意味で「恋は双子で~」と同じ都合のよさも感じる)けど、宇佐春の家族がより理想的な関係性を先んじて構築していることを考えると、そもそも複数性愛という観念自体が念頭にないのか。だとすると宇佐春が恋愛感情もってるのがやや気になるんだけど、そのおかげで葛藤(?)が生じてもいるから難しい。
終盤は創作において恋愛感情は良い方向に向かうのか悪い方向に向かうのか、みたいな話をやってたけど宇佐春がそれを先に昇華してたのでなんか同じオチになってしまっていて、結局恋愛至上主義の陥穽に陥ってないかという気もする。
推し=神と恋愛はできません、という部分を最後まで貫いてはいるんだけどそのお行儀のよさが上記の可能性を潰しているようにも見えるし、かといって「多聞くん」みたいにやられてもなぁ。なんか難しいですね、このへんの塩梅。
『杖と剣のウィストリア シーズン2』
最上位の呪文が巨大なクリーチャー/モンスターの形象を取ってぶつかるとかどう見てもガッシュです本当にありがとうございました。ゼオの雷霆とか、雷帝ゼオンとほぼ同じ語感なのも実は狙ってそう。
とまあそれはさておき雷の方行っちゃうんだ。あんだけ派手にドンパチやってジャンケンで決めるんかいとか、そういう外し演出は繋ぎとしてはまあアリか。ウィルが男女どちらからもモテモテというこのバランシング。
ジャンプっぽいバトルアニメとしては多分これが一番うまくできているのでは。
『とんがり帽子のアトリエ』(ベスト)
分割2期で話的にもクリフハンガーで終わってるので暫定ですが、純粋にアニメーションが良かった。
まあすでに言われているようにココのモチベーションが完全に好奇心の方に振れていて、時折思い出したかのように母親の事に言及するのだけれど、だったら最初から母親のくだりいらなかったような。魔法に対する好奇心の強さという点だけで「なぜ魔法を学ぶのか」という部分への回答になっているのだし。
しかしヴォルデモートみたいな闇の魔法使い要素がどうなるのかわからないけど、ハリポタみたいに因縁持ちだったりするのかなぁやっぱり。
『NEEDY GIRL OVERDOSE』
当初抱いたマイナスイメージからはかなり持ち直したという印象があるのですが、基本的にはやってることはずっと同じなので殊更評価が上方修正されたというわけではないんだけど、それは多分時期が悪かったというのもあるからなのかな、と。
ペダンティズム(というとむしろこっちのルサンチマンが明け透けになるんだけど)としては「上伊那~」の方が「それっぽい」し、ストレンジな表現としては「めがおれ」の方がアクセル全開にしていたし(面白いかどうかは別として)、アイドルアニメとしては「ルルットリリィ」が真っ当にやり続けているのでかえって本作の逆張りイズムが余計に滑ってしまい、あらゆる方向から退路を塞がれてドツボにハマってしまったという印象。
ネットの悪意やトー横界隈的な少女の自力救済としてのVR・ネットアイドルの可能性(とその破綻)自体は悪くないし、露悪一辺倒かと思いきやクズ男どもにも意外と救済があったり(CVが無駄に豪華)、終盤のイメージバトルのハイテンションぶりとかは嫌いじゃないんですけど。
ただなんというか、このアニメの作法に則ってスラング的に露悪的に書くと「クサすぎた」ということになるのだろうか。すぎるってことは個人的にはあまり思わなかったけど、序盤はそう思われても仕方ないかもしれない。
まあ最終回にいたってもローゼンメイデンのパロとかどうかと思うけど、やりたいことは(エヴァじゃん、というのはともかく)わかる。一番の凡夫っ子が結婚で「普通」のハッピーエンドっていう価値観がやっぱ古いんだけど。
『逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件』
一話が盛り上がりのピーク(知ってた)。メリケンサックみたいな髪飾りが本当にメリケンサックだったのは面白かったけれど、肉体派要素は「最後に一つだけ~」ほど重要でもなく。暴力系ヒロインの系譜ともまた違う感じ。
しかしせっかくサブにCV早見のキャラを配置してるのに二人とも玉の輿結婚で終了というのも芸がない。CV花澤と花江(Wフラワー)のキャラの扱いも処理が雑。特に後者は多少なりとも悲しい過去を描いた割に普通に罰せられてるのもなんだかなぁ。
まあ予定調和のカップルに見かけだけの揺さぶりをかけるだけの貢献キャラなので仕方ない。
この手のジャンルの「いつもの」パターン。
『日本三國』(ベター)
何となく2期は既定路線なのかと思ってたんで1クールで(暫定的にですが)終わりは意外。
なんだかんだ映像のクオリティは演出も含めてレベル高いし会話のテンポや間の取り方も良い。残酷描写も割と力を入れているし歴史ものが壊滅的に苦手(完全に自分の歴史科目の成績の悪さゆえなんですが)な自分でも戦記?ものとしてふんわりと戦況を理解しつつ観れたのでヨシ。
基本的にはキャラの迫力と声優の力によるところが大きいか。
まあちょっと引っかかりのある部分もあるにはあるんだけど。物語を駆動させるために女性主要キャラ殺しすぎとか。
『ニワトリ・ファイター』
マイルド寄生獣。出オチと思いきやアニメーション自体もそうだしキャラや物語も結構しっかり作っていて意外と手堅いアニメだった。さすが瀬古といったところでせうか。
にしても春夏秋冬~の敵もそうだったけど、ママになりたがるヤバ気なボスが。もっとも、向こうが諸々のトラウマによるぶっ壊れに起因しているのに対し、こっちは因果が逆っぽいけど。いずれにせよ向こうがバックボーンによってキャラ立ちさせているのに対し、こちらは寄生獣の田村的な無機質さのギャップとしての母性主張だったのだけど、CVの力がかなりあるような。甲斐田裕子は今期は若手の女性声優陣に混じって脇で八面六臂の活躍をしていて(これ、女子高生、シンママ)地味に熱いんだけど、このままポスト田中敦子を目指せるんじゃないか。
二期をやるというような情報はないものの、俺たちの戦いはこれからだエンドにしてるので続編自体は作れそうな。日本国内ではそこまでのヒットじゃなくても中南米で人気かなりあるらしいですし、そっちが盛り上がれば続編もあるかもですし。
『ねずみくんのチョッキ』
『灰原くんの強くて青春ニューゲーム』
これも文化祭で締め。ちょいちょいJポップやらの曲を使ってたりライブやったり音楽ネタに割と凝っていた。エルレとか久々に名前聞きましたよ。
ライブの一曲目だけやたらフルアニメーションがごとく動いてたけど、うーん。ハルヒの再放送を見ていて同じく例のライブをやってたんだけど、見せ方というよりも歌唱力で引っ張ってるんだなぁと。ささ恋ほどのエモぢからもあまり感じられなかったので(そもそもメンバーが即席すぎる)いまいち。
赤髪の友達が最終話までウザかった。BSSのくせに負けヒロインの後方彼氏ヅラして振られたところに寄り添うムーブとかすごいダサいんだけど、結局こいつのどこがよくて執心してたのかわからない。
ちょうどBSで「セブンティーン・アゲイン」っちゅー洋画がやっていたんだけど、そっちがあくまで「いま、ここ」に割と真面目に向き合っていたのに対して「灰原くん~」の歴史修正主義にはあまりコミットできなかったというのもあり、相対的に評価が下がってしまった部分はある。
『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。Season2』
分からないんですけど、どうしてこの手のジャンルだと政商っぽい成り上がりを目指すのだろうか。厳密には政商ではないというか、むしろ政治の中枢ではあるんだけれど。
まあseason1観てないのでなんとも言えないんですけど、これに関しては主人公の転生先の人間がガチクズっていうか正史だとちょっと擁護できない感じなので、それをその悪役になって阻止するというアイデアは実際の人物でやったら面白そうではあるんですけど。ヒトラーとか。
まあナチスプロイテーションは本場でやってるからとはいえ、悪の枢軸の一である日本でやる分には割とアリな気がするんですけどね。
『左ききのエレン』
業界内幕ものとしては思ったより楽しく観ていた。ともすれば衒学っぽさもあるにはあるんだけれど、界隈が違いすぎて完全に部外者として観れているというのが原因かもしれない。「才能」を巡る話でもあるんだけれど、今のところエレンの破天荒ぶりだけは目立つがその才覚について何がどうすごいのかまったく伝わってこない反面、主人公がやさぐれながら仕事をこなしつつ虎視眈々と自分の(才能の開花による)出世を目指していたのは面白かった。
とはいえ「天才」「才能」についてのその思想はまったく分からないというか、もっと何かあるのではと。
「ブルー・ピリオド」もそうだと思うんですけど、なかなか難しいジャンルなのかな。
『姫騎士は蛮族(バルバロイ)の嫁』
なんか中途半端なところで終わったけど、これは特に続きとかやらないんだろうか。
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でもなんでもいいんだけど、この手の「文明国」の人間が「未開の地」の「野蛮な」人間と接して「自然」とのかかわりを「再発見」し~的なものは、とかくコロニアリズムの反省の代わりにオリエンタリズムに陥りがちなんだけどこれはどうだろう。
ドワーフの(技術力)の扱いとか結構やっかいというか、ファンタジー要素や婚姻要素とかで色々と攪乱している感じはある。ラストの故郷との衝突の予感も含めて上記の定型には当てはまるので、その後にどうなるか次第なところがある。
あと色々とモンハンすぎる。
『百鬼夜行抄』
モーションコミック的なあれ。やっぱりアクションものよりこういうジャンルの方が合っているような。
怪異ものとしては「楠木~」よりもちゃんとやっている。そもそもあれを怪異ものとしていいか大きな疑問ですが。
『北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-』
グロ表現は規制というよりも単にCGモデルで破壊表現をやるのは手間だからという理由だと思うんですが、とはいえモノクロにしても見せるは見せているので頑張って入るのではないでせうか。
原作ほとんど覚えてないけれど割と丁寧なリメイクではないだろうか。次期ではジャギやアミバなどネタ度の高いキャラが出てくるので少し楽しみ。
『ポンコツ風紀委員とスカート丈が不適切なJKの話』(ベター)
当初はそこまできたいしていなかったんですが、尻上がりに面白くなっていってベストとまではいかないまでも結構好きなアニメになった。
下手淡い色彩設計にせず色味をハッキリさせているのもコミカルさが強調されてて良かった。
「正反対な君と僕」と同じで、ポンスカ二人に収斂せず他のキャラクターもちゃんとそれぞれに生きていたのが良い。ペアリングこそすれ全員をカップリングさせることをしないのもナイス(逆に「氷の城壁」は主人公の磁場が強すぎる)。最後に図書委員と類人猿にああいうこと言わせるのはちょっとどうかと思うけど(笑)、まあ溜飲は下がる。原作が思ったよりも巻数出ているので、そっちではもっと出番もあるのだろうけどパパ同士のラップ(再三書くけど声優本人にやらせるべきだと思うけど)やら出淵に私淑されていたりとか短い出番で良い感じに爪痕残しているのもよい。
高校生キャラに甲斐田・稲田というベテラン勢を配置しているのもかなりいい具合に機能していると思う。ここだけでいえば「正反対な~」よりも幅があるといえるのではないだろうか。
『本好きの下剋上 領主の養女』
特に書くことがないくらい構造が安定してしまっている。前にもましてファンタジー要素が強くなっていて、やることなくなるとそっちに行くんだなぁと。
『MAO』
サンライズなので作画は安定している。けどこれ犬夜叉のセルフリメイクって感じが。猫だけど。
正直、自分にはあまりしっくりこないんだけれど、「らんま」「うる星やつら」といったコミカルなトーンの過去作のリメイクがどうにも跳ねないのに比べると、自分は読んでないし観てないんだけど「境界のRINNE」といいこの手のジャンルを今のキャリアの中で掘削してくことの挑戦心からは何か見えそうな気もする。
『また殺されてしまったのですね、探偵様』
続きをやるか分からないけど、とりあえず「いかれたメンバー(セブンオールドメン)を紹介するぜ!」的に雑に登場させたセブンオールドメン。機械が犯罪者ってのもよくわからない。三流の雑魚キャラみたいなのも混じってたし、いいんですかねこれ。
膝枕リスポーンしか覚えていないくらいには全体の印象が薄いんだけれど、釘宮のキャラを予め出して置いたのは良かったのかもしれない。ゲスカメラマンのCVが豊永で汚いトキだったのは笑った。
『魔法の姉妹ルルットリリィ』
第2話「スター誕生!」 - 新釈21世紀的クリィミーマミ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3fb899dc31a8e090e5966317098b3cb8018e4c8
TVアニメ『魔法の姉妹ルルットリリィ』第4話、 バーチャルカメラ「ジャンヌ・ダルク」で臨場感のある歌唱シーンを実現 | 面白法人カヤック
分割2クールってことでとりあえず姉に身バレされた?というクリフハンガーで次期へ。全体的な評価はまだ置くとして、一応の区切りとしては悪くないけど何とも言えない。先輩二人が再起を決意するのは良かった。
CGを主としたライブ演出を肝にしているアニメについては全く詳しくないのだけれど、私の狭い観測範囲内とおぼろげな記憶な限りだと、ちょっと今回のルルットリリィのライブにおける感触が違った。
それは4話のライブでも思っていたことなんだけど、少し違和感があるんですよね。今回ラストのライブではそれが特にあったのですが、少し近いのはシンエヴァにおけるアスカがシンジにレーション喰わせるシーンにも似た違和感。あっちは4K映像を見ているような臨場感がありすぎて逆にアニメーション的な快楽から離れているような感じで(それも込みでの実験的な試みだったとは思うけど)、ルルットリリィのそれはシンエヴァともまた少し異なるんですけど、CG表現の違和感としては共通するものがある。
このバーチャルカメラシステム(カヤックそんなこともやってるんだ…)による表現のカメラのブレに対する違和感は、被写体の動きとカメラの動きそのものが絶妙に噛み合っていないというか、技術的な作用を考えるとカメラの動きそのものの置換が中途半端に実写(撮影の「動作」自体は実写で行っていると思われるので)的なのに、その動きが実写の撮影監督による手ブレのそれともまた違うぎこちなさがあるゆえなのかなと。「ニディガ」の一部分にも似たような感覚があったのですが、ルルットリリィのEDでも同じ技術が使われているのにそっちには違和感がなかったことを考えるとちょっとしたチューニングの差なのかな。
これ、たとえば実写の撮影監督が調整を施したらもっと他のカットと違和感なくなるんだろうか。よくわからない。
『魔物喰らいの冒険者~俺だけ魔物を喰らって強くなる~』
二人しかいないのにパーティって呼んでいいんだろうか。公式サイトのキャラ紹介も二人しかいないし、まあいいんだろうこれで。しかし何喰っても問題ないっていうのは中々良いスキル。すぐにお腹をくだす自分には欲しいスキルではある。
『茉莉花ちゃんの好感度はぶっ壊れている』
この枠のショートアニメにしては声優が表(?)の人間なのが意外だった。当たり判定のある好感度メーターは面白かったものの最終回があまりにも雑すぎてよくわからなかった。
『マリッジトキシン』
作画は良いんだけど結局ジャンプバトルアニメ。婚活要素が薄すぎるというか、ハムスター使い以外の女性のキャラが薄い。いやヒロインですらないゲストキャラではあるんだろうし、マルチヒロインシステムの口実としては婚活というのは良いんだけど。
だけどこのアニメですら好意があるのに「まだあなたに相応しくないから」とかいって一歩踏みとどまるの何なの?今期だけでも「愛してるゲーム~」を筆頭にいくつかあったけど、もうちょっと引っ張り方ないんだろうか。
アクションに関しては「チェンソーマン」「呪術」を通過しているのにいまだに「ヒロアカ」のパラダイムにいるのがどうも周回遅れに感じるところはある。作画自体はめっちゃ良いんだけど。
『メイドさんは食べるだけ』
序盤~中盤は割と季節感がマッチしたエピソードだったのだけれど、劇中の時間経過が早くて終盤が冬のエピソードなのもあり、季節感がミスマッチになっていったのが個人的には惜しい。夏に入るってタイミングで年越しそばかぁ~と思うと自分は意外と季節感みたいなものを重視しているのかもしれない。というより、この手の虚無アニメにはモチベーション維持のためにそういうとっかかりを必要としているのかもしれない。
お手軽といえばお手軽なフードばかりなのだが、ややもするとさもしい感じもしてなんかいたたまれない。
『ようこそ実力至上主義の教室へ 4th Season』
season1しか観てなかったからまさかこんな脳筋バカアニメだとは思いませんでしたよ。そういう意味では、というか普通に今期で一番笑ったアニメかもしれない。無人島サバイバルもseason1のときは「はいはいバトロワね」と思ったんだけど、知能戦要素ほとんど皆無で結局ステゴロバトルになるあたりのバカっぷりは好印象。
宝泉と龍園のイキった敵VSイキった敵のバトルとか全然拮抗してなくてタイマンで圧倒されてたのに3人がかりの卑怯戦法でとどめさしたの割と新鮮で、ゲラゲラ笑いながら観てましたよ。しかし主人公があの感じで格闘スキルも最強格っぽいの、いかにもラノベ的でちょっと懐かしさすら覚える。
16話は終始笑いっぱなしでしたね。男子女子、教師(というか理事長代理)と生徒、先輩後輩とかもう立場関係なくみんなステゴロでケンカしてんのおかしすぎる。下手なヤンキーマンガよりもプレイアブルキャラ多いじゃないですかこれ。
『女神「異世界転生何になりたいですか」 俺「勇者の肋骨で」』
色々な表現をやってはいたので序盤はそれなりに興味深く見ていた。とはいえ手法自体は割と早めにネタが尽きていた。まあ1話に2エピ詰め込んだらそうもなろうけど、かといって1エピソードだけでは20分持たせられないだろうし、そう考えるとやっぱり10分枠で良かったような気も。
こういうのって完成品よりも制作過程を見ている方が面白いことがままあるので、それをEDに盛り込んでくれたのは良き。
ラストはまあ、そんなもんでしょうねと。1話がそうだったし、ちゃんと幕引きしただけ真面目ではある。別に真面目なものをこれに求めてたわけでもないので、たかだかすっきもデザインに進化した創造神とか見せられてもという気はするけど。
『夜桜さんちの大作戦 第2期』
本編でも言及されてたか忘れたけど、製糸工場とかタンポポとかの人体実験なんかの731部隊っぽさのモチーフが太平洋戦争を想起させる(第二次世界大戦とは言っていたっけ?)あたりとか、1期でもそういうダークな要素の片鱗は見えてたけど祖父母のリアリティラインの低さとか今となっては出る作品違ってないですかね。まあ今期でもスパイ組織の試験とかも今回の話のトーンと比べると明らかに牧歌的過ぎるんだけど。
正直、アニメも原作もそんな大したポテンシャルはないと思うんだけど、その辺の要素をジャンプ本誌で拾ってくるのは中々興味深くはある。まあ結局ファミリー路線か、と言う気もするが。
『黄泉のツガイ』
分割2クールにつきジャッジ保留。面白いし少年マンガのエミュレートとして何かやろうとしている感じはするんですが、どうも原作とのグロ描写のバランスとかが異なるっぽいのもあってその辺の差異で何か見えそうな見えなさそうな気も。
アクションや話のテンポは良いので最後までアニメ化してほしい部分もあるけど、原作もまだ完結してるわけではないし原作読んだ方がいいのかしらこれ。
ただまあ、荒川弘の家父長的母系マチズモとでも言いたくなる思想はちょっと苦手。
それはまあ、白状すれば自分の中にも同質のマチズモがあり(もっともそれは内面化した家父長的マチズモとそれに対する反意としてのマチズモなんだけど)、要は同族嫌悪な苦手意識があるのでせう。
出産に関する一種のスピリチュアリティや弱肉強食イズム、やられたらやり返す、本作でも「働かざる者食うべからず」と言明していた(よね?)り、無論これら全てに対する同質のものか自分にあるわけではないけれど。
しかし私がそのようなマチズモを実社会で発動したならば直ちに指弾され糾弾され失職しかねないことが目に見えているか、しかし漫画家として一流の荒川弘は演出とストーリーテリングによってその思想を画面上に全面展開させることを厭わない(説得力をもたせる)。それが苦手なのだ。
ただし、こう書いた以上はムード(気分)に左右されかねないというのも付け加えておくべきでっしゃろか。
とはいえ私自身が内面化しているこのマチズモをぶち壊したいという願望も同時にあり、しかし私自身には自己破壊するだけの力がない。だからこそ、そういうった価値観を揺るがせにする作品を待望しているとも言える。
つまり他力本願。
まあアニメとしては割と楽しく観てたので普通に続きが気になるんだけど。
『よわよわ先生』
先生だけ規制入る服装させられ、ほかにも女性キャラがいる中でほぼ先生だけがエロ要員にさせられるあたり成人なのでという倫理観を感じる。
正直なところ見ていて居たたまれなくなってくる。
にしてもオチが「おなかもよわよわ」て。
『LIAR GAME』
今のとこ安いけど楽しい。なおちゃんとかいう超人。
『リィンカーネーションの花弁』
これ原作が10年以上連載していてびっくりした。少なくともアニメ化された1クール分だけだとジャンプの打ち切りマンガ臭がする感じなんですが。
とはいえ「桃源暗鬼」「デッドアカウント」のようなジェネリックジャンプバトルアニメ路線のものとしては悪くはない。最終話で一気に二人の距離感縮まってたのとか雑な締め方とか、とりあえずいい感じに締めようとしたのはわかるけどゲームは爆死の予感しかしない。
『リラックマ』
地味に凝っている。題材によって絵柄をちょっと変えてたりしますし。
『レプリカだって、恋をする。』
思春期にありがちなオルターエゴをわかりやすい形で表す一緒のマジックリアリズム的とも言える。
創造主と被造物の関係性はあるが、オルターエゴであるということはどちらも自分であることには変わらないので、すなわちレプリカも本物も等価である。と、少なくともこの作品ではそういうイデオロギーがある。
だから当初「私を離さないで」を引き合いに出したのだけれど、オリジナルの視点も多分に描かれてるいるという点でまたちょっと違うし、人間と非人間(亜人間)という、より大文字の存在論的命題をかかげるブレードランナーほどのスケールともまた違う。考えてみりゃ高校生の話なのでそりゃそうなのだけれど。
あくまでローティーンからミドルティーンの間の、思春期特有の懊悩を引き受ける受け皿として自身と瓜二つのオルターエゴをどう扱うかという極めて私的な領域の話。
こういうのって割と別のキャラを配置する(バットマンに対するジョーカーだったり)気もするんだけど、そこに創造主と被造物という関係性を挿入するのはちょっと変則的ではある。
最終回で「いまさらそんな面倒なこと言われても…」とはなったのだけれど、同一化するというあたりの解離性人格障害(いわゆる多重人格)の人格統合のそれと被るんですよねぇ。イマジナリーフレンドと解離性人格障害は別のものなんだけれど、なんとなくその辺がごっちゃになってしまっているきらいがある。
まあレプリカとの離別をレプリカ自身に選ばせたこと、そのイマジンブレイカー(違)描写はBパートでごちゃごちゃ設定開示で煩雑になっていた分をまくってくれる程度には絵的によかった(繰り返し描かれていた「海」「髪型」だけで表現)。
それが幼年期の終わりならぬモラトリアムの終わり(オリジナルの高校「卒業」)と重ねられているのもテーマ的にも合っている。
「スナオ」というオリジナルの描写が圧倒的に不足しているのだけれど、あのごちゃごちゃした設定開示によってスナオとナオの同一性をより高めることによって「ナオ(≒スナオ)は描き切ったのでセーフ」というエクスキューズではあるんだけど、まあ力技としてはアリか。
未見
あおあし
おでかけ子ザメ シーズン2』
Re:ゼロから始める異世界生活 4th season
前橋ウィッチーズ(再放送)
百妖譜 傑作選
株式会社マジルミエ(再放送)
骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中(再放送)
×『魔入りました!入間くん 第4シリーズ』
×『僕のヒーローアカデミア More』
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×『ドロヘドロ Season2』
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×『だんでらいおん』
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×「鬼滅の刃」シリーズ全編再放送
×『こんなこいるかな』
×ダイヤのA actⅡ Second Season
×スター・ウォーズ:モール/シャドウ・ロード
×スティール・ボール・ラン ジョジョの奇妙な冒険
×クマーバ シーズン3
×新幹線変形ロボ シンカリオン 特別ダイヤ版