dadalizerの読書andアニメ感想文

読んだ本、毎期の膨大な数のアニメの感想を綴るブログ。主に後者が多くなる

2026年春アニメ

2026春アニメ 最速放送&放送日順一覧(日付順) | アニメイトタイムズ


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ベスト
淡島百景
上伊那ぼたん
スノウボールアース
とんがり帽子のアトリエ

ベター
日本三国
ポンスカ

ワースト
ガンバレ!中村くん


#ドラマ
「銀河の一票」

『愛してるゲームを終わらせたい』
最初からお互い好感度マックスの状態なのにくっつかない白々しいやりとりをやきもきしながらひたすら見させられるという。
「クラスで二番目~」だったか「オタギャル」だったか、もしくはその両方だったかもしれないけれど、「●●に相応しくないから」とかいう自己卑下を体よく使うのはやめて欲しいんですよね。ほかにヒロインが登場するわけでもないからひたすらこの二人で回していくんだけど、ちょっと無理やりな嫉妬要素のためにヒロイン側の友達がアカウント教えて~みたいなくだりあってその後のポッキーキスからの「いやお前も自己卑下するんかい」って展開あるけど、添い寝した後にやることかそれ。
いやナチュラル愛してるゲーマーのCV福山の先輩たちとかいるんだけど、別に主人公たちの恋愛ゲームに参加してくるわけではないし、せっかくの福山ボイスなら「レプ恋」の方が遥かに有効活用している。

『あかね噺』
普通に面白いんですけど、普通に面白いすぎた、というか。題材的に跳ねるのが難しいのかもしれない、というのと映像として表現するのが難しいのかもしれない。この手のアニメで観たことあるのは「昭和元禄落語心中」くらいなんですけど、あれもどちらかというとキャラクターの関係性によるドラマの部分が見どころの印象があって、そこにベテラン声優による落語という強烈なフレーバーがまぶされているという感じだった。じょしらくは知らん。
ライバル複数登場(実際はライバルですらないんだけど)とか父親の破門を巡る話とかも何かドロドロしたものがあるというわけではない明瞭さがあって、そういう意味でジャンプ作品らしい少年マンガ的味付けになっていて見やすい反面、分かりやすすぎるのかもしれない。結局、兄弟子たちも普通に良い連中ばかりですし、ドラマ的な葛藤があまりない。
分割2クールなので高校卒業を最後に持ってきて一区切りになっているので、次期でもっとかき回してくれる展開になることを期待。

『淡島百景』(ベスト)
個人的な好悪を別にしても完成度は最近のアニメでもぴか一ではなかろうか。
エピソードコメントを読み返してたら1話の時点で割と本質について言及していたし、12話のうちで半分くらいのエピソードにコメントしてるし中にはガッツリ書いてるのもあるので、その総括みたいなことしかもはや書くことはないんだけれど、とりあえずは今期で一番良かった。ベストはいくつかあるけど、その中でも一番良かったんじゃないかなと。
「羅生門」…というよりは「切腹」的な様々なキャラクターの視点からモノローグとして描かれる内声が、各話・各パートで別々に配置されることによってハーモニーになるのではなくポリフォニーとして個々に立ち現れ、必ずしも調和することなくむしろ不協和をこそ生み出す。
視点だけでなく時系列もバラバラで、何となく見ているだけだと誰が誰といつどのように関係していたのかが判然としなくなる(そして直接関係しない人物もいるのに、割と重要な働きをするような人もいる)。この斎藤環「イルカと否定神学」的とも言いたくなる雑多性・分からなさは「上伊那~」の逆説的な統制欲に裏打ちされた(としか思えない)ものや「ニディガ」的なトリッキーさによるそれとも違う。そういった分かりやすい晦渋さを目指すことなく「分かりやすさ」にも飛びつかない。
その多声の中に構造として織り込まれた、こちらから積極的に読み取ろうとしなければ見落としてしまいかねない中心と周縁を巡るサブテキスト(というよりは本質的なテーマか)も胸に来るものがある。4話のエピソードコメントにその大枠を書いて、11話~最終話を経てそれは確信に変わったのだけれど、男は常に淡島に対して絶対的な周縁者として描かれている。この作品に出てくる男性は、当事者として「淡島」に立ち会うことができない。岡部絵美の夫にしても息子にしても、死者としての亡き妻(母)を想うことしかできない。
さらにいえば、男性陣のような絶対的な周縁者ではないにしても岡部絵美も「淡島」の女優として生きることができなかった、周縁的な存在だ。
そんな彼女が本作の『不在の「中心」』を担うこと、その彼女が淡島を去る景気となった加害の中心的(あくまで「的」であり、10話から分かるようにいじめの端緒としてその「中心」にいるわけではないことは重要だろう)な存在であった伊吹桂子が語り部となり、同じく女優としては芽の出なかった田畑若菜(と編集の柳原もそうだろう)がその拡声器としての役割を果たすこと。その幾重もの周縁の入れ子的かつ中心・周縁の逆転的な構造によってそのような立ち位置が撹拌され、12話において「淡島」という世界を揺さぶることになる。
そこで「淡島」の話は青空のカットとそこにシームレスに入り込む煙草の煙によって岡部絵美の話へとリニアに移っていく。その時、「淡島」という世界の中心で輝きながらもそれを挫かれ、その「セカイ」の外――周縁に追いやられた彼女は今や亡くなり、もはやこの「世(界)」にすらいない。
それでもなお不在の中心として「淡島」の揺さぶりの震源――それを彼女の、あるいは1話のCG幽霊の表象としてなされた復讐と捉えてもいいが――として存在感を放っていたのだけれど、死後ではなく最後の最後で「淡島」ではなく岡部絵美彼女自身の決意表明、彼女自身が生きたその瞬間を切り取ったカットでおわり、OP映像へと背景が繋いでいってくれる。
それは美しいけれど、物悲しくもある。
だから、あのエンドカードとOPに救われた人も多いんじゃないだろうか(少なくとも自分はそうだ)。中島美嘉のEDがむしろ本編の後ろ暗さに対する救いになっていたのだけれど、最後に流れるのが(まあ、ありきたりな演出とはいえ)「オープニング」であり、そのイメージが持つ明るさ(曲調も含め)であることは普通に助かった。
1話の幽霊や12話の廊下とそこに伸びる窓の陰の描写におけるCGの無機質な使い方や、そうはいっても男性は確実にいっちゃん外側にいることしかできない絶望とか(エンドカードにいないしねぇ)、その辺の怜悧な視線もウェットになりきらない良さなのではないだろうか。



『TVSP 異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~』

『異世界のんびり農家2』
season1を観てないので何とも言えない部分があるのだが、ハーレムで農家の村を運営して人を呼び込むってなんかすごいカルトっぽいんですけど。

『一畳間まんきつ暮らし!』
基本的には虚無なんですが、漫画家ではないけれどここにいてもいいというのは有情な落としどころで悪くない(どうせコネでどうとでもなるので)。
ただ妹が漫画家であるという関係性があるせいで、「有情」ではあっても「友情」ゆえに「ここにいてもいい、むしろいてほしい」というところまでに行っているように見えないのが。いや、自分の匙加減であるといわれればそうなんですが。


『インゴクダンチ』
なんか政治的アレゴリーが割と含まれているのが面白い。団地、という舞台もジャンルとしての団地妻を超えて今や移民の住まう場所としての意味合いも持ちうるわけですが、まあそれはさておき少年マンガ的エミュをこの絵面でやるのは無茶では。いや面白いけど。

『大きい女の子は好きですか?』
とりあえず全員とセックス。尺の都合か毎回一足飛びなんだけれど、ナチュラルに部長?も部員とセックスしてたり意外と(肉体)関係が主人公に収斂しないのは良いのかもしれない。

『オタクに優しいギャルはいない!?』
これといい「ポンスカ」といい「灰原くん」といいみんな文化祭で締めるの好きすぎませんかね。いうほどビッグイベントだろうか、あれ。
ラスト付近のオタクのかまちょムーブのウザさ、ドラマ作るにしても今更感も強いし(というか「俺は相応しくない」系のエクスキューズ多すぎ)もっとなかったのだろうか。
OPのオシャレ度だけは良い。

『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件 第2期』
延々といちゃつきで回していたのでちょっとしたループ世界にいるのかと思うほどでしたよ。
恋人の家族と訳あり、というあたりが「クラスで二番目~」と同じモチーフではあるのだけれど、そんなに展開するわけではなく割とあっさり解決する。
これらに比べたら「渡くんの××~」が2クールかけてギスギスしながら緊張関係を描いていたのは相当なもんだったと遡って再評価したくなる。というかワーストにはしたけれど肥大した期待値を上回れなかったからという点においてなので、そういう意味では元から評価は低くないんですけど。
ただまあ、エピソードコメントで書いたように、あのだらだらとひたすらベッドの上でちちくりあう微熱ともいえない低温な感じは中々ほかでは得難いものだった。この後も似たようなことずっとやってるんだけれど、引き合いに出した「クラスで二番目~」や「愛してるゲーム~」と違ってこっちはずっとイチャイチャしながらも(主に視聴者・原作読者層によるものだろうけど)性的な行為にいたるそぶりを見せない(疑似的にはなってるんだけど)からこそ、確かにこの二人が長続きしそうな感じというのはする。直流より交流のほうが電池が長持ちするみたいな。
加えて、あれだけベタベタしながらも極端に性的なにおわせを排除しているがゆえに、そこにはアセクシャル的な可能性すら見えてくる(アロマンティックではない。為念)。
これに限らないんですけど「親がいない~」とか極端な身体接触が行われる際に男側が発する「言っておくけど俺も男だから手を出しかねないぞ(意訳)」といったセリフの浮薄さは、単なるエクスキューズ(というか陳腐化したやりとり)にしか受け止められないのですが(再放送してる「青春豚野郎」のサクタは割と手を出しそうでださなそうでやっぱり出しそう)、これに関しては上記のように散々いちゃつきながらもそういう行為に及ばないがゆえに二転してマジで死ぬまで手を出さなそうな感じもある。
でもしれっと子どもは作りそうだったりする。



『おねがいアイプリ』

『カナン様はあくまでチョロい』
当初から分割ってことなんだろうけど2クール分やるほどなのかこれ。なんか主人公が唐変木というか、すっとぼけキャラになっているんですけど、この人初手で割と性的なリアクション取りまくってたので中盤以降のやりとりまあまあ違和感あるんですが。
それでもカナンの家族が出てくる終盤は割と面白かったですが。メスガキ妹は別にって感じですけど、NTRのNTRとかいうこじらせすぎた妹の方はもはや一人でよがってるのは普通に笑ってしまいましたけど、これ実質的には母親がほとんど主人公にNTRれてるようなものなのでむしろNTR要素そっちでは。
マガジン系(?)だとありがちなんですけど、原作のキャラデザの方が好きなんですよねぇ…こっちの方がもうちょっとカワイイ系に寄ってるのと主人公がもうちょっとキリっとした感じなので。アニメのキャラデザだとちょっと性的なニュアンス(主に二次エロぽさ)が強いのが苦手なのかも。

『彼女、お借りします 第5期』
初めて観たけど終始キモかった。プールの部分とかそれ以前に絵的にも話的にもまったく動きがないのでかなりつらかった。
でも続きはやるというあたり盤石な人気はあるということなんだろうけれど、割と本気でどんな人が支えているのか気になる。

『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』(ベスト)
好きか嫌いかで問われるとちょっと良く分からないんですが、アニメとしての表現力とその幅において圧倒的だったことは否めないのでベストに挙げないわけにはいかないでせう。なんだかんだ「瑠璃の宝石」もベストよりの評価に入れましたし。
正直なところ衒学趣味っぽい感じもしたし、原作者の持って回った書きまわしのnoteを読んで「それはうそぶいてるだろぉ~」とも思ったんですけど、かといってSNSのようなやっかみにも乗りつもりはないということの意思表明もある。
で、話題になったそのnoteの記事、3年前のポストだったのでアニメではなく原作についてなんですが、ということは何かしらの感度の高い「受け手」に向けたものであるわけなんだけれど、そういう手合いに対してすらもどこか先導……とまではいかないものの手引き的な思惑があるように読める。
たとえば該当の記事の最後に『たった一つお伝えしたいのは、「分からないな」という読書体験自体が、『上伊那』においては設計された読書状態であり、「すべて分かる」という作者の視点に読書上の特権的価値はないということである。』と書かれているわけだけど、いやそれってやっぱり「分からないな」と思う状態が塀という釈迦の手の上で踊る孫悟空たる読者という構図にまんまとハマっているわけで。
また、同じ記事おいてそれらの晦渋な言葉たちは代替可能であり、それ自体に意味はなくそうして発せられる音に乗った感情を嗅ぎ分けることが枢要なのだといっている。
なんとなく、その「わからなさ」というものに現代の客は耐えられないのではないか、それがSNSにおける衒学ガーに繋がっているんじゃないかって気もする。
私自身は、ある意味でこの塀の思惑に即しながら逸脱した印象をこのアニメに対して抱いていた。
それは、私にとっては本作のキャラクターこそが代替可能な変数であったということ。
白状するが、最後まで観てベスト級だと評価しているこのアニメに出てくるキャラクターの名前は「ぼたん(悪い女ですわ)」しか覚えていないし、他のキャラクターの関係性や会話についてもあまり覚えていない。
つまり、誰がどれであっても私にとっては些事なのでせう。最終話のベッド上のやりとりを観てすらもまだそう思っている。まあ「お互いに穴をあける」ということの寓意はファルスによるヘテロセクシズムあるいはメイルゲイズみたいなものを感じる(だって「『上伊那』は今後もおそらく、「わからない」会話を都度展開するだろう。「わからなさ」と、それを窃視する密やかな愉しみを、ぜひ味わっていただきたいのです。」とか言っちゃってるんですぜ?)ので、些事は言い過ぎだけど。
私にとってこのアニメの視聴動機はマジで「アニメ的表現」にこそある(そういう意味で終盤は随所に光る演出はあったけど前半ほどのエッジは立っていなかった)ので、おそらくは塀が『キャラクター』(作者自身の切り身として)を見せようとし、一方で彼女らから発せられる『ジャーゴン』(ってわけでもないんですけど、単なる固有名詞なんで)には意味がない(意訳)というとき、私自身はアニメというメディアのコード上でその『』の中を入れ替え観ていた気がする。
作者の見せたいキャラクターをこそ、作者にとってどうでもいいものとして私は見ていたのでせう。

あとキャラクターに他者性が感じられないところだろうか。よく「キャラクターが勝手に動き出す」という表現を見かけることがあるけれど、塀にはそういうことがないんじゃないかと。よくもわるくも、完全に統御されているんじゃないかって気がする。先の釈迦メタファーにしても、「分からなくていい(俺は全部わかってるけど」という精神的ブルジョワジーを感じるわけです。ええ、ルサンチマンです。

ただ、衒学趣味について考えてみると、たとえば押井守の「イノセンス」における膨大な引用会話について、あれを衒学趣味と言う人はあまりいないだろう。なぜならそれ自体がほぼ意味をなさないような空虚な言葉の応酬だからで、ここまで行けばそりゃ衒学的とかそういう問題じゃないわけで、上伊那はその点で置き換え可能な変数とはしながらも(コンテクストという言及があるように)無意味なものとして描いていないんじゃないか。そりゃまあ読者にとっての未知のコードは作者にとっては既知のコードである以上は、無意味なものになるはずもない。
こういう意味の無い駄文こそが置き換え可能な変数なのだ。
そして自分はあまり百合が分からないのかもしれない。ただ酒(とたばこ)というのが百合という概念において重要なモチーフであると思っていて、その「未成年ではないこと」ことが性的なものを迂遠に発生させているんじゃないかと。これがチューハイとかコンビニ・スーパーで買えるものになるとコミックフェスタの5分アニメになっていくんじゃないかしら。
ていうかヤニねこか?

『神の雫』
CVを亀梨にやらせる意気やよし。地上波で観ると「上伊那~」と続けてのお酒枠なのだけれど、そもそもなぜ今更になってアニメ化したのかよくわからない。

『神の庭付き楠木邸』
伝説のアニマルが俺にだけ懐く系。こういうのって異世界転生のフレーバー的要素としてあると思ってたんで、これだけを抽出してアニマルの数をひたすら増やしていく物量攻めで来るとは。神獣に常に囲まれてるから気づかないけど、この主人公ほとんど人間と接していないという。序盤は多少あったけど。
一般人からしたら常に独り言をしているわ周りで食べ物が虚空に消えていくわでかなり奇怪に映るのでは。
風属性主人公なのは意外と珍しい?メジャー中のメジャーなNARUTOのナルトが風属性ですけど、数で言えばやっぱり珍しい部類なのかしらん。
陰陽師連中との絡みもほとんどなく、お札経由で「恐ろしい子…っ!」とまた俺なんかやっちゃいました感を出してはいたけど、もっと交流あって良かったのでは。
女性三人組とか男女の先輩後輩ペアとかおっさんとか、あの辺ほとんど絡みないし、かといって物語もあってないようなものなので何でだろうと思ったんだけど、やたら悪霊でてくるあの世界(というか町?)で主人公が能動的に行動を起こさずに済むように陰で動いているという感じなのだろうか。スパイダーマンが助走付けて殴りにくるのでは。



『ガンバレ!中村くん!!』(ワースト)
『ガンバレ!中村くん!!』とオリエンタリズム的BLヘイトについて - しゅみの部屋

第1回エンディングテーマ曲:村下孝蔵「初恋」→その名の通り広瀬に初恋をする
第2話エンディングテーマ曲:バブルガム・ブラザーズ「WON'T BE LONG」→もうすぐ
第3話エンディングテーマ曲:スチャダラパー featuring 小沢健二「今夜はブギー・バック <smooth rap>」→Nice vocalバージョンではない、というのがある意味ではB面的≒マイノリティ的
kagariharuki.hatenablog.com
第4話エンディングはテーマ曲:バービーボーイズ「負けるもんか」→ライバル登場に対しての「負けるもんか」

うーん…やっぱり本編がダメな気がする。音響監督が岩浪っていうのもあって、当初はその本編の裏で走るEDとの表裏によってどうにか覆るんじゃないかと思ってたんだけど。
しかしBLって大半は女性作者で女性読者だと思うんだけど、ナチュラルミソジニー入っている気がする。多分、この辺が(過激派な)腐女子と女オタク(うげー嫌な有徴)の違いな気もしている。女オタクはカワイイ女の子キャラも好物ですし。

当初、私は本編とやや乖離しているようにも見える一方で、むしろ本編こそが「ビューティフルドリーマー」的な心地よい微睡の「演出された」世界であり、シティポップ調のED(選曲含め)こそが真に中村の心象風景としてあるのではないか、と考えていた。
いや、それ自体はそこまで遠からずだと思う。ただ、結局のところEDが本編の内容と沿う、というよりも寄り添ってしまったところにこのアニメの限界を見たというか。
まずハッキリさせておくけれど、私は本編で描かれる内容はあまり評価していない。というのも、ほとんど特定の女性……有り体に言って腐女子(にとって)の理想の世界であり、端的に言ってそれは見ていて色々な意味で痛々しいし、倫理的にアウトだと思っているから。
とはいえ、いつもならそんなことに一々目くじらは立てないで「きもいな」と思う程度なのだけれど、今回は炎上した件もあってこういう表現を見て思っていることを書き残して置こうと思ったのが大きい。
それは中村(×広瀬)という対象そのものだけではなく、彼(ら)に眼差しを向ける川村を筆頭とする劇中の女子生徒の描き方にある。
特に3話。川村を中心(?)とした女子生徒3人の会話のナチュラルな性的客体化のそれは方向性は違えど程度としては「かのかり」と大差ない。
中村のキモさ(とそれに特に指摘の入らない客観性のなさ)にしても、彼の中でのみ完結しているうちはまだ許容できたが、川村を巻き込んだ時点で「腐女子」の自意識がその欲望の対象と完全に結託しており、それはほとんど「夢女子」的ですらある。
そもそもガチの腐女子(に限らないけど)は己がどう見られるかということに自覚的であり、もっと隠れキリシタン的な不文律を遵守する。だから、あのようにてらいもなく腐女子に理想化された世界を観せられると居たたまれなくなってしまう。これは世代的な感じ方もあるのだろうけど。
もっとも、ちょっと前にSNSで話題になってた「オタクの被害者しぐさ」にはまっっっったく与しないけど。

私は原作を読んでいないので何とも言えないのだけれど、アニメでは中村の妄想がかなりマイルドになっているというのを聞き及んだ。
確かに1話のタコのくだりは原作だとタコによる広瀬への触手プレイというマニアックな妄想がアニメでは中村と広瀬が同棲していて広瀬がエプロン姿で朝食を作ってくれるという、よく考えたらタコとの脈絡があまりない(だから構成が変わっている)のだけれど、欲望の方向性が違うだけで正直なところ個人的にはどっこいどっこいの気持ち悪さがある。いや、むしろ単純な性欲に結び付いている触手プレイの方がまだ全然許容できる(思春期の男子高校生なんてアセクシャルでもなければエロいことで頭いっぱいのはずなので)。
ただ、そういう表現をアニメでやるには「問題」がある(というか間口を広げるためのマイルド化戦略)と判断されたからああいう形になったのだろうし、それによってマスへとアプローチすることができたのだろう。が、その結果としてアニメを経由して原作を読んだある層が燃やした(具体的な経緯はちょっと違うぽいけど)というのは、はっきり言ってしまえば性的客体化という本質に違いがないからだろうと思う。アニメの時点でそれに気づかない連中もどうかと思うけど。

要するに基本的には量産される男性向け(性的)欲望コンテンツと本質はそこまで変わらないわけで、本来であればここまで熱量を持って語るような対象とはなりえないんですよ。
じゃあなんで、というと、本編とは別のレイヤーで、というよりも本編を相対化するような構造が走っているからで、それは何を隠そうEDにある。と、当初は思っていた。
1・2話において中村の視点・モノローグだったが、3話では彼以外のキャラクター、川村という(腐)女子のモノローグによっても話が進んでいく。だからEDの映像にも川村がいるのでせう。モノローグとはすなわち心の声であり、広瀬への何かしらの感情に同調した川村もそこに描かれる(が、ミラー越しというあたりに一層の隔たりがある)ことには蓋然性がある。
川村が広瀬←中村←川村という感情の矢印。

2話のED映像では深夜机に向かって何かを読んでいる中村がコンポで音楽を(ED曲)聴いていたが、時折こちらに目線を向ける中村の表情と背中はどことなく哀愁をただよわせていた。
そして2話の冒頭はまるで1話のED映像から地続きのような描写でラブ弁を読んでいる中村から始まっているのだけれど、1話EDでは机に置いてあったコンポが本編にはない。
これは明らかに作り手もそのプロップの有無を意識しており、EDにのみ登場するそのガジェットの時代性をシティポップの時代性と紐づけている(いた)。
そしてやはり2話のEDでも中村の部屋の机の上には本編には存在しなかったコンポがあり、そのコンポからウォンビーロングを聴いている(かのようにみえる)。
1話EDでは深夜ではありつつも、むしろ深夜にラブ弁を読むという営みに高揚感を感じさせていた。
カメラを意識した視線も、その背中も単純な哀愁一辺倒ではなかった。
しかし2話EDはベッドに座って俯きがちに音楽を聴いている中、こちらを一瞥することなく外が黄昏れていく。
これが中村の心象風景でなくて何だというのか。
シティポップの映像文化はあまりよく知らないのだけれど、何となくほとんど静止画的なものの垂れ流しのイメージがある。あるいはそこに最小限の動きを加え、それを繰り返す。
このミニマルな動作のリフレインはむしろヴェイパーウェーブ的ですらあり、その文脈から本編の高揚感を相対化する働きがあった。はずなのだが…。

何でEDに槇原敬之使わなかった?
槇原敬之があそこまでメジャーで売れたにもかかわらず、彼のセクシャリティは暗黙の了解として一種の封殺をされており、そこに奇妙な(というかいやーな)乖離が見えるのだけれど、この主人公のセクシャリティを「ゲイ」として本人に言明させているこのアニメで使って入れば、多重の意味で社会へのアンサーになりえたのではないか。
何が言いたいかといえば、槇原敬之は極めて自分のセクシャリティを意識した上でそれを最大公約数に届くようなプロデュースによって支配的なセクシャリティであるヘテロな大衆に受容されたわけだけれど、それはある意味で槇原敬之の楽曲のゲイ性を脱臭し読み替えることで成立している(いやもちろん彼のリリックの才能はその歌の中にセクシャリティの本音を内包させているわけだが)。
中村くんのEDではむしろその逆として、そもそも「普通の」恋愛ソングとして受容された80〜90sの曲を、中村の心象とシティポップというノスタルジアを通してゲイのアンセムが如く読み替える。

そして、繰り返すが上記の「読み換え」作業のためには中村のセクシャリティを明示しておく必要があった。なぜならかつてのメジャー(シス・ヘテロ)なシティポップ・ラブソングをゲイのアンセムとして再解釈するならば、そのアンセムをアンニュイに聞き入る中村自身が体現している必要があるからだ。
キャラクター論に深く突っ込むことになるしそこまでの問いはドツボが目に見えてるから付言するに止めるけれど、究極的にキャラクターに寄り添うならそれすらも一種のアウティングになるだろうけど。
それに、ヘテロはわざわざ自分のセクシャリティを明示する必要はないのと同様に、本来ならばゲイだろうがレズビアンだろうがパイだろうがそれを明示する必要はない。私が1話で感じた嫌な感じというのもそこにある。
とはいえ、そうしないといけない程度には我々の社会は発達していないわけで。
だから、そのセクシャリティゆえに「友達」以上になることのできない悲哀をラスト2話でもってきたときに、20世紀的シティポップを越えて10年代の前半に槇原がリリースした「軒下のモンスター」を使えば、本編とEDの結託も意義のあるものと思ったのだけれど。
それはそれで恋愛至上主義っぽいし、セクシャリティの悲哀とBLの中で描くことの「物語化」の不純さみたいなものはやっぱりぬぐえないと思うんで。特に最終回は広瀬の彼女の子のあまりにも舞台装置すぎる描かれ方は酷いものだし。いや、終盤でちょっといい感じに彼女のアップショットを入れて誤魔化してたけど、あの振る舞いはどう考えてもヘイト向けられるだろうに。

まあ、端的に言えば期待外れだったってわけです。途中からはいうほど期待もしてなかったんだけど。




『キャンディーカリエス』

『霧尾ファンクラブ』
文化祭でオチをつけなかっただけで評価が高くなりがち。
「フードコートで~」はそこまで個人的な評価が高いわけではないのだけれど、恋愛要素などもほぼなく二人だけで話を回せているあたり凄かっんだなぁと再評価してしまった。
「霧尾~」に関して言えば笑える箇所もあるものの、基本的にはシュール(滑り)ギャグと顔芸の物量攻めで白ける方が多かった。とはいえ高校生のクオリティってこういう感じだよな~という妙なリアリティも感じていたのだけれど、霧尾の悲しい過去と藍美の笑わせに明確な理由ができてしまったことは、かなり評価が割れそうな気が。単に笑えないものが笑うに笑えないことになってしまった。
萬田の投入と彼の霧尾への誠実さというか正直さは根暗ではあるが陰キャではないといったバランスで、そこは良かった。後輩とか店長はいらなかったと思うけれど。
メイン二人(三人?)でいえば波から藍美への感情は恋慕だと思うのだけれど、藍美が霧尾に向けるそれは(最終回を見てもなお)そういうものとは違うものに見える。だからこそ二人は「霧尾が好き」と言明することで彼への恋愛的感情がないということを言外に表明しているのでは。少なくとも波に関しては。だから藍美が最後に告白を「照れ」(自分にはそう見える)ることで波を巻き込み、藍美・霧尾の恋愛関係に(そもそも発展するのかどうかは別にして)排他されないことは、むしろ波の覚悟を無碍にすることになるのでは、とも思う。あの涙もモノローグも、ややもすると強がりに見える。若山詩音の演技もそこはあまり明確にしていないように聞こえるし。
応援する人を応援する、推しの推しという関係が恋愛的なものを排除している。だから「ファンクラブ」であることは安心はできるのだろうけれど、「中村くん」のようにゲイの悲恋に結び付けないことで友人関係に安住することの方がむしろ波としてはキツイのでは。

『キルアオ』
分割2期とはいえ2クール作るほどなのかしら。普通に「サカモトデイズ」の方がいいと思うんですけどね。
そもそもの設定からして危惧してたんですけど案の定女子中学生に惚れられちゃう展開やっちゃってるし。何でそこだけラノベぽくしちゃうのか。

『クジマ歌えば家ほろろ』
声優がポニョ、というのがフックだったけどなんだかんだ最後まで普通に観れた。
最終回で歌を3回流して回想的モンタージュを2回もやってすぐに再会するあたりのスピード感は感傷的になる暇を与えてくれないのだけど、それくらいのバランスの方がこのアニメにはいいのだろう。
兄貴の受験ノイローゼ気分は結構分かる部分があるんだけど、無事合格できたし何より。異邦人の馴致にも読み取れるが、最後の犬から吠えられるというのも含めてクジマという非人間であることで「馴染み切らない」というのは良い落としどころかもしれない。


『クラスで2番目に可愛い女の子と友だちになった』
岡田麿里ぢからが足りない。家族関係ギスギス路線をやりたいのかそうじゃないのかいまいちよくわからなかった。しかしこのジャンルってバレンタイン、文化祭、夏休み(海)、あと看病(「愛してるゲーム~」を横目で見ながら)による気遣いという定型でひたすら回してるのが個人的には割と謎。
あと付き合いたては「フォーエバーラブ!」と思って痘痕も靨に見えますけど、そのフィーバー状態ってせいぜい数か月なんですよね。友達の両親が高校時代から付き合って結婚したという稀有な例も知ってはいるけど。
重い人って確変モード溶けると本当に面倒ですからね。脳科学的な根拠と実体験から断言しますけど。まあ高校生の恋愛なんてそんなもんでいいとは思うんですけど、私はもはや高校生という概念からは程遠い人間なので半端なもん出されるくらいなもっとぶっ飛んだものが見たいというのはある。

『黒猫と魔女の教室』
どちらかというと女性向けだろうになぜ最初にパンツ見せたのか。男性を釣ろうという魂胆なのかわからないけれど、あまりそういうのいらないのでは。
バトル要素も結構あるんだけれど、それ自体がこの作品の主題ではないにしてもあまり面白みはないというか、それは「ウィストリア」がハイクオリティでやってしまっているので同期ということもあって比較して見劣りしてしまう。
かといって非バトルとしては「とんがり帽子~」があるので、キャラ萌えに振っていくしかないのだろうか。

『ゴーストコンサート : missing Songs』
いいトンチキアニメだった。
ラスボスには歌わないのは一見逆張りに見えるもののまあ本作における歌唱ってレクイエム(デュエット)っぽい感じもあるし、さもありなん。
いや話はほとんど分かってないんだけど、割と勢いと(地味に)良いアクション作画で持っていく力技で結構観れた。物語が薄いというかコンセプトのみが全面展開されているのは潔い。最終回で主人公の出生エピソードを持ってくるのはどうかと思ったけど、意外と一話のコンサートシーンとスムーズに繋げていたので最初からそういう構成にしていたんだろうか。ぶっちゃけ1話のこと忘れてたけど。
にしてもジャスラックディストピアなこの世界はさておき、最終回のコンサートでの演出を見るにつけ、ゴーストとVRキャラクター(Vtuber含め)の見立てを突き詰めれば結構面白いものがありそうな気がした。

『氷の城壁』
分割2クールなので最終評価はまだとはいえ、今んとこは微妙。
回ごとの乱高下があり一概に悪いわけではないんだけど、どいつもこいつも「いかに他人を傷つけないようにするか」のコミュニケーションばかり。
それは相手を慮るようでいて、その実はいかに自分の心を波立たせずにいられるか、心地よい関係性に安寧していられるかの安定志向でしかない。
恋愛ってそういうのとは真逆の運動でしょうに。恋話の面白さはその不安定さにこそあるわけで、だから人の恋路のときはみんなイキイキしてるんでしょ。
それはそれとしてヨータの告白するときの表情がちょとキモかった。こゆんの場合だとキャラ性と相まってそういうニュアンスとして読み取れるんだけど、ヨータの場合だとなんか暗黒微笑に見える。それともこれはミキ側から見た表情だからってことなんだろうか。
腹黒後輩ちゃんが次クールは波乱を起こしてくれそうなのでできる限りひっかきまわしてくれ。


『こめかみっ!ガールズ』
お米枠。本編はほとんど覚えてないものの、おまけ(が本体)の啓蒙コーナーが本編といっていいくらい割とまともにやっていた印象。最初から万策尽きていた。


『最強の王様、二度目の人生は何をする? Season2』
学園に入るの遅すぎませんかね? 妹の誕生日なのに母親にも同じものをプレゼントするというのもなんかズレてる気が。
入学して終了というのも、じゃあ今まで散々なにやってたんだよという気もするのだが、普通構成としては順序逆ではないのだろうか。

『最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士(仮)らしいですよ?』
この手のジャンルのものとしては割と面白かった。ギャグのセンスが古いんだけど、一周回って笑えましたし。普段なら(暗黒微笑)って割とサムいと感じるんだけどCV三宅健太の獣人だと割とイケるんだな、という発見もあった。


『自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。』
ジェネリックサイコパス気質な王子のモノローグというのが、悪役令嬢もののベーシックとはやや異なる点だろうか。いやまあ最終的に「幸せな結婚をして終了」というあたりコンサバではあるんだけど。ヒローニアの扱いも、割とありがちとはいえやっぱり「なんだかなぁ…」と。一応、主人公は王子なんだけれどヒロイン=バーティアの立ちあわない場での「ザマァ」展開をするのは端的に言って責任の放棄だと思うんですよねぇ。ザマァするならちゃんと真正面からそういう露悪をキャラクター(作者のイデオローグとしての)に担わせるべきだと思ってしまう。


『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う 3rd season』
シーズン3に入ってしかも中盤になってから本当にふと思っただけなので、本編にはまったく無関係な上にもしかしたすでにそういう指摘をする人もいたのかもだが、ハッコンを要介護者のメタファーとして見ることってできないだろうか。
交通事故という陳腐化して久しい定型も、それによって動けない体になってしまったということで新たに…というかある意味では本来的な「事故」そのものの意味があるものになる。
ハッコンはベンダーなので当然ながら身動きが取れず基本的に移動の際は誰かに背負われたり押されたりするわけで、最近はむしろ万能性ばかりが描かれていてたまにランミスに運ばれる様を見て逆説的にそういう見方はできないだろうかと思ってしまったのだった。
そして、ハッコンが万能であること(万能でなければならないこと)は、つまり要介護者という後ろめたさの裏返しなのではないかと。
無論、それは本来感じる必要のないものではあるのだけれど、5体満足のニンゲン向けに設計されたこの社会制度と物理的な構造に囲まれた中において要介護者は移動一つにも助けを必要とする。
そして、その助けを得るためには自分が有用であることを示さなければならず、マイノリティであるにもかかわらず(であるがゆえに)徹底してメリトクラシーの中に置かれているのだと。
いや、そんなことは全然考えてないのだろうけど、例えば要介護者のランミスが女性であることは単なる性欲原理なのだろうけど、この見方をするとケアの役割を女性に当てはめるものとして一層のグロさを伴うという問題もあり、さらにはロマンティックラブイデオロギーの匂わせは「ジョゼと〜」にも発展させる余地がある。
そして、そういう方向には間違いなく行かないだろうな、というクソみたいな安心感がある。
しかし最後なんで人間になってたんだ。いらんでしょあの描写。



『春夏秋冬代行者 春の舞』
終盤ちょっと駆け足ぎみだっただろうか。
春の舞ってくらいだから秋夏冬もやるのかと思ったけど特に続編の情報とかもないのでとりあえずここで終わりかな。原作がどうなっているのか知らないのだけれど、アニメはここで終わりだとしたら「代行者」に関する法則(夏二人いるし)や政治・制度について根本的な問題何も解決していないんだけど、それでいいんでしょうか。ま、そもそもそれを覆すっていう革命譚として描く気はそもそもないのだろうけど、の割にはそのシステムに苦しむ様子を描いているので気になってしまったわけだが。
しかし、どう考えても本来はあのテロ行為ってそういった思想信条か、もしくはそれを隠れ蓑にした拝金主義・覇権主義的なものによるものだと思うのだけれど、まさかPTSDと母性こじらせ女性の暴走って。随分と矮小なスケールにはめ込んでしまったなぁ。あとヘンダーソンっていう妙にアメリカンな感じなのも変な意味性を帯びているような。
いやまあ、アメリカ大統領のやってることがやってることはそれに近い(莫大な権力を持ったバカ)けど。
代行者のシステムは天皇の皇族問題について現実で良い感じにシンクロニシティが起きそうだったけど、本作ではそこを突き詰めずにあくまでトラウマのメンタルケアと恋愛に終始してしまったのが惜しい。
しかし取って付けたような百合百合セリフで誤魔化すくらいなら凍蝶・姫鷹と狼星・雛菊のああいう描写はいらんかったのでは。まあ始まりが姫鷹・雛菊ではあるので、丸く収まったといえばそうなのだけど。
しかしニディガの精神疾患(的)描写に反発している人がいたけれど、それをいったら雛菊の二重人格についてもロマンスのために過度に人格の「死」をファンタジックに描きすぎている方が気色悪いと思うんだけど、そこに突っ込む人はあまりいないような。
まあその辺の大家であるオリヴァー・サックスですら創作していたということが最近になって判明していたりするので、実際精神疾患まわりのことって実態を捉えづらいからこそこういうスピリチュアルな方向に傾斜しがちなのだろうけど。



涼宮ハルヒの憂鬱(再放送)


『スノウボールアース』(ベスト)
2クールの予告もあるのでまだ最終的な評価はしませんが、今のところはベスト。
セルルックのCGとドローイングをシーン単位で割と入れ替えても不自然にならないチューニングとか、何気に結構なことをやっている。
一話こそノリが上手くつかめなかったりミニ重機で怪獣に立ちむかうところとかのリアリティラインはちょっと危ういものがあったけれど、以降は安定して面白かった。テツオにしてもコミュ障でありながら英雄の何たるかを自覚しそれを躊躇なく行動に移せる二面性を持っているちょっと珍しいキャラクターで、そのコミュ障ぶりと英雄性どちらも幼少期からのパイロット生活による(父親がやばそう)というのも面白い。
彼が大佐に対してすら「対話」を選んだのも、その両義性によるのではないか。ともすれば独善や陶酔、マッチョイズムに傾斜しかねないその英雄性をコミュ障性(他者への恐怖)が中和することによって「MOTU」の駄目なマッチョイズムと「エヴァ」の人類補完計画的な他者恐怖を乗り越えられたのではないかと。
大佐(CV杉田)のくだりはちょっと苦言を呈したい部分もなくはないけれど、割と悲惨な死に方をしているあたりは安易な赦しを与えていないと見たので無問題。
課長も活躍しつつうまい具合にテツオ・ユキオに美味しいところを譲ったりその辺のバランスも上手い。
ユキオの立体グッズが欲しい。


『大賢者リドルの時間逆行』
最強の王様~的な最強おじが若者に転生して前世の記憶で無双するアレ。モーションコミック的なあれ。
アクションジャンルとの食い合わせってそんなに良くないと思うんだけど、「魔物喰らい~」といいなぜ。


『ただいま、おじゃまされます!』
これはポリアモリー…ということでいいのだろうか。男性陣が納得してる感じがないので違うか? 主人公がいいとこどりしているだけのようにも見える(その意味で「恋は双子で~」と同じ都合のよさも感じる)けど、宇佐春の家族がより理想的な関係性を先んじて構築していることを考えると、そもそも複数性愛という観念自体が念頭にないのか。だとすると宇佐春が恋愛感情もってるのがやや気になるんだけど、そのおかげで葛藤(?)が生じてもいるから難しい。
終盤は創作において恋愛感情は良い方向に向かうのか悪い方向に向かうのか、みたいな話をやってたけど宇佐春がそれを先に昇華してたのでなんか同じオチになってしまっていて、結局恋愛至上主義の陥穽に陥ってないかという気もする。
推し=神と恋愛はできません、という部分を最後まで貫いてはいるんだけどそのお行儀のよさが上記の可能性を潰しているようにも見えるし、かといって「多聞くん」みたいにやられてもなぁ。なんか難しいですね、このへんの塩梅。

『杖と剣のウィストリア シーズン2』
最上位の呪文が巨大なクリーチャー/モンスターの形象を取ってぶつかるとかどう見てもガッシュです本当にありがとうございました。ゼオの雷霆とか、雷帝ゼオンとほぼ同じ語感なのも実は狙ってそう。
とまあそれはさておき雷の方行っちゃうんだ。あんだけ派手にドンパチやってジャンケンで決めるんかいとか、そういう外し演出は繋ぎとしてはまあアリか。ウィルが男女どちらからもモテモテというこのバランシング。
ジャンプっぽいバトルアニメとしては多分これが一番うまくできているのでは。


『とんがり帽子のアトリエ』(ベスト)
分割2期で話的にもクリフハンガーで終わってるので暫定ですが、純粋にアニメーションが良かった。
まあすでに言われているようにココのモチベーションが完全に好奇心の方に振れていて、時折思い出したかのように母親の事に言及するのだけれど、だったら最初から母親のくだりいらなかったような。魔法に対する好奇心の強さという点だけで「なぜ魔法を学ぶのか」という部分への回答になっているのだし。
しかしヴォルデモートみたいな闇の魔法使い要素がどうなるのかわからないけど、ハリポタみたいに因縁持ちだったりするのかなぁやっぱり。

『NEEDY GIRL OVERDOSE』
当初抱いたマイナスイメージからはかなり持ち直したという印象があるのですが、基本的にはやってることはずっと同じなので殊更評価が上方修正されたというわけではないんだけど、それは多分時期が悪かったというのもあるからなのかな、と。
ペダンティズム(というとむしろこっちのルサンチマンが明け透けになるんだけど)としては「上伊那~」の方が「それっぽい」し、ストレンジな表現としては「めがおれ」の方がアクセル全開にしていたし(面白いかどうかは別として)、アイドルアニメとしては「ルルットリリィ」が真っ当にやり続けているのでかえって本作の逆張りイズムが余計に滑ってしまい、あらゆる方向から退路を塞がれてドツボにハマってしまったという印象。
ネットの悪意やトー横界隈的な少女の自力救済としてのVR・ネットアイドルの可能性(とその破綻)自体は悪くないし、露悪一辺倒かと思いきやクズ男どもにも意外と救済があったり(CVが無駄に豪華)、終盤のイメージバトルのハイテンションぶりとかは嫌いじゃないんですけど。
ただなんというか、このアニメの作法に則ってスラング的に露悪的に書くと「クサすぎた」ということになるのだろうか。すぎるってことは個人的にはあまり思わなかったけど、序盤はそう思われても仕方ないかもしれない。
まあ最終回にいたってもローゼンメイデンのパロとかどうかと思うけど、やりたいことは(エヴァじゃん、というのはともかく)わかる。一番の凡夫っ子が結婚で「普通」のハッピーエンドっていう価値観がやっぱ古いんだけど。


『逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件』
一話が盛り上がりのピーク(知ってた)。メリケンサックみたいな髪飾りが本当にメリケンサックだったのは面白かったけれど、肉体派要素は「最後に一つだけ~」ほど重要でもなく。暴力系ヒロインの系譜ともまた違う感じ。
しかしせっかくサブにCV早見のキャラを配置してるのに二人とも玉の輿結婚で終了というのも芸がない。CV花澤と花江(Wフラワー)のキャラの扱いも処理が雑。特に後者は多少なりとも悲しい過去を描いた割に普通に罰せられてるのもなんだかなぁ。
まあ予定調和のカップルに見かけだけの揺さぶりをかけるだけの貢献キャラなので仕方ない。
この手のジャンルの「いつもの」パターン。


『日本三國』(ベター)
何となく2期は既定路線なのかと思ってたんで1クールで(暫定的にですが)終わりは意外。
なんだかんだ映像のクオリティは演出も含めてレベル高いし会話のテンポや間の取り方も良い。残酷描写も割と力を入れているし歴史ものが壊滅的に苦手(完全に自分の歴史科目の成績の悪さゆえなんですが)な自分でも戦記?ものとしてふんわりと戦況を理解しつつ観れたのでヨシ。
基本的にはキャラの迫力と声優の力によるところが大きいか。
まあちょっと引っかかりのある部分もあるにはあるんだけど。物語を駆動させるために女性主要キャラ殺しすぎとか。


『ニワトリ・ファイター』
マイルド寄生獣。出オチと思いきやアニメーション自体もそうだしキャラや物語も結構しっかり作っていて意外と手堅いアニメだった。さすが瀬古といったところでせうか。
にしても春夏秋冬~の敵もそうだったけど、ママになりたがるヤバ気なボスが。もっとも、向こうが諸々のトラウマによるぶっ壊れに起因しているのに対し、こっちは因果が逆っぽいけど。いずれにせよ向こうがバックボーンによってキャラ立ちさせているのに対し、こちらは寄生獣の田村的な無機質さのギャップとしての母性主張だったのだけど、CVの力がかなりあるような。甲斐田裕子は今期は若手の女性声優陣に混じって脇で八面六臂の活躍をしていて(これ、女子高生、シンママ)地味に熱いんだけど、このままポスト田中敦子を目指せるんじゃないか。
二期をやるというような情報はないものの、俺たちの戦いはこれからだエンドにしてるので続編自体は作れそうな。日本国内ではそこまでのヒットじゃなくても中南米で人気かなりあるらしいですし、そっちが盛り上がれば続編もあるかもですし。

『ねずみくんのチョッキ』

『灰原くんの強くて青春ニューゲーム』
これも文化祭で締め。ちょいちょいJポップやらの曲を使ってたりライブやったり音楽ネタに割と凝っていた。エルレとか久々に名前聞きましたよ。
ライブの一曲目だけやたらフルアニメーションがごとく動いてたけど、うーん。ハルヒの再放送を見ていて同じく例のライブをやってたんだけど、見せ方というよりも歌唱力で引っ張ってるんだなぁと。ささ恋ほどのエモぢからもあまり感じられなかったので(そもそもメンバーが即席すぎる)いまいち。
赤髪の友達が最終話までウザかった。BSSのくせに負けヒロインの後方彼氏ヅラして振られたところに寄り添うムーブとかすごいダサいんだけど、結局こいつのどこがよくて執心してたのかわからない。
ちょうどBSで「セブンティーン・アゲイン」っちゅー洋画がやっていたんだけど、そっちがあくまで「いま、ここ」に割と真面目に向き合っていたのに対して「灰原くん~」の歴史修正主義にはあまりコミットできなかったというのもあり、相対的に評価が下がってしまった部分はある。


『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。Season2』
分からないんですけど、どうしてこの手のジャンルだと政商っぽい成り上がりを目指すのだろうか。厳密には政商ではないというか、むしろ政治の中枢ではあるんだけれど。
まあseason1観てないのでなんとも言えないんですけど、これに関しては主人公の転生先の人間がガチクズっていうか正史だとちょっと擁護できない感じなので、それをその悪役になって阻止するというアイデアは実際の人物でやったら面白そうではあるんですけど。ヒトラーとか。
まあナチスプロイテーションは本場でやってるからとはいえ、悪の枢軸の一である日本でやる分には割とアリな気がするんですけどね。

『左ききのエレン』
業界内幕ものとしては思ったより楽しく観ていた。ともすれば衒学っぽさもあるにはあるんだけれど、界隈が違いすぎて完全に部外者として観れているというのが原因かもしれない。「才能」を巡る話でもあるんだけれど、今のところエレンの破天荒ぶりだけは目立つがその才覚について何がどうすごいのかまったく伝わってこない反面、主人公がやさぐれながら仕事をこなしつつ虎視眈々と自分の(才能の開花による)出世を目指していたのは面白かった。
とはいえ「天才」「才能」についてのその思想はまったく分からないというか、もっと何かあるのではと。
「ブルー・ピリオド」もそうだと思うんですけど、なかなか難しいジャンルなのかな。


『姫騎士は蛮族(バルバロイ)の嫁』
なんか中途半端なところで終わったけど、これは特に続きとかやらないんだろうか。
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でもなんでもいいんだけど、この手の「文明国」の人間が「未開の地」の「野蛮な」人間と接して「自然」とのかかわりを「再発見」し~的なものは、とかくコロニアリズムの反省の代わりにオリエンタリズムに陥りがちなんだけどこれはどうだろう。
ドワーフの(技術力)の扱いとか結構やっかいというか、ファンタジー要素や婚姻要素とかで色々と攪乱している感じはある。ラストの故郷との衝突の予感も含めて上記の定型には当てはまるので、その後にどうなるか次第なところがある。
あと色々とモンハンすぎる。

『百鬼夜行抄』
モーションコミック的なあれ。やっぱりアクションものよりこういうジャンルの方が合っているような。
怪異ものとしては「楠木~」よりもちゃんとやっている。そもそもあれを怪異ものとしていいか大きな疑問ですが。

『北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-』
グロ表現は規制というよりも単にCGモデルで破壊表現をやるのは手間だからという理由だと思うんですが、とはいえモノクロにしても見せるは見せているので頑張って入るのではないでせうか。
原作ほとんど覚えてないけれど割と丁寧なリメイクではないだろうか。次期ではジャギやアミバなどネタ度の高いキャラが出てくるので少し楽しみ。

『ポンコツ風紀委員とスカート丈が不適切なJKの話』(ベター)
当初はそこまできたいしていなかったんですが、尻上がりに面白くなっていってベストとまではいかないまでも結構好きなアニメになった。
下手淡い色彩設計にせず色味をハッキリさせているのもコミカルさが強調されてて良かった。
「正反対な君と僕」と同じで、ポンスカ二人に収斂せず他のキャラクターもちゃんとそれぞれに生きていたのが良い。ペアリングこそすれ全員をカップリングさせることをしないのもナイス(逆に「氷の城壁」は主人公の磁場が強すぎる)。最後に図書委員と類人猿にああいうこと言わせるのはちょっとどうかと思うけど(笑)、まあ溜飲は下がる。原作が思ったよりも巻数出ているので、そっちではもっと出番もあるのだろうけどパパ同士のラップ(再三書くけど声優本人にやらせるべきだと思うけど)やら出淵に私淑されていたりとか短い出番で良い感じに爪痕残しているのもよい。
高校生キャラに甲斐田・稲田というベテラン勢を配置しているのもかなりいい具合に機能していると思う。ここだけでいえば「正反対な~」よりも幅があるといえるのではないだろうか。


『本好きの下剋上 領主の養女』
特に書くことがないくらい構造が安定してしまっている。前にもましてファンタジー要素が強くなっていて、やることなくなるとそっちに行くんだなぁと。

『MAO』
サンライズなので作画は安定している。けどこれ犬夜叉のセルフリメイクって感じが。猫だけど。
正直、自分にはあまりしっくりこないんだけれど、「らんま」「うる星やつら」といったコミカルなトーンの過去作のリメイクがどうにも跳ねないのに比べると、自分は読んでないし観てないんだけど「境界のRINNE」といいこの手のジャンルを今のキャリアの中で掘削してくことの挑戦心からは何か見えそうな気もする。

『また殺されてしまったのですね、探偵様』
続きをやるか分からないけど、とりあえず「いかれたメンバー(セブンオールドメン)を紹介するぜ!」的に雑に登場させたセブンオールドメン。機械が犯罪者ってのもよくわからない。三流の雑魚キャラみたいなのも混じってたし、いいんですかねこれ。
膝枕リスポーンしか覚えていないくらいには全体の印象が薄いんだけれど、釘宮のキャラを予め出して置いたのは良かったのかもしれない。ゲスカメラマンのCVが豊永で汚いトキだったのは笑った。

『魔法の姉妹ルルットリリィ』
第2話「スター誕生!」 - 新釈21世紀的クリィミーマミ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3fb899dc31a8e090e5966317098b3cb8018e4c8
TVアニメ『魔法の姉妹ルルットリリィ』第4話、 バーチャルカメラ「ジャンヌ・ダルク」で臨場感のある歌唱シーンを実現 | 面白法人カヤック

分割2クールってことでとりあえず姉に身バレされた?というクリフハンガーで次期へ。全体的な評価はまだ置くとして、一応の区切りとしては悪くないけど何とも言えない。先輩二人が再起を決意するのは良かった。
CGを主としたライブ演出を肝にしているアニメについては全く詳しくないのだけれど、私の狭い観測範囲内とおぼろげな記憶な限りだと、ちょっと今回のルルットリリィのライブにおける感触が違った。
それは4話のライブでも思っていたことなんだけど、少し違和感があるんですよね。今回ラストのライブではそれが特にあったのですが、少し近いのはシンエヴァにおけるアスカがシンジにレーション喰わせるシーンにも似た違和感。あっちは4K映像を見ているような臨場感がありすぎて逆にアニメーション的な快楽から離れているような感じで(それも込みでの実験的な試みだったとは思うけど)、ルルットリリィのそれはシンエヴァともまた少し異なるんですけど、CG表現の違和感としては共通するものがある。
このバーチャルカメラシステム(カヤックそんなこともやってるんだ…)による表現のカメラのブレに対する違和感は、被写体の動きとカメラの動きそのものが絶妙に噛み合っていないというか、技術的な作用を考えるとカメラの動きそのものの置換が中途半端に実写(撮影の「動作」自体は実写で行っていると思われるので)的なのに、その動きが実写の撮影監督による手ブレのそれともまた違うぎこちなさがあるゆえなのかなと。「ニディガ」の一部分にも似たような感覚があったのですが、ルルットリリィのEDでも同じ技術が使われているのにそっちには違和感がなかったことを考えるとちょっとしたチューニングの差なのかな。
これ、たとえば実写の撮影監督が調整を施したらもっと他のカットと違和感なくなるんだろうか。よくわからない。


『魔物喰らいの冒険者~俺だけ魔物を喰らって強くなる~』
二人しかいないのにパーティって呼んでいいんだろうか。公式サイトのキャラ紹介も二人しかいないし、まあいいんだろうこれで。しかし何喰っても問題ないっていうのは中々良いスキル。すぐにお腹をくだす自分には欲しいスキルではある。

『茉莉花ちゃんの好感度はぶっ壊れている』
この枠のショートアニメにしては声優が表(?)の人間なのが意外だった。当たり判定のある好感度メーターは面白かったものの最終回があまりにも雑すぎてよくわからなかった。

『マリッジトキシン』
作画は良いんだけど結局ジャンプバトルアニメ。婚活要素が薄すぎるというか、ハムスター使い以外の女性のキャラが薄い。いやヒロインですらないゲストキャラではあるんだろうし、マルチヒロインシステムの口実としては婚活というのは良いんだけど。
だけどこのアニメですら好意があるのに「まだあなたに相応しくないから」とかいって一歩踏みとどまるの何なの?今期だけでも「愛してるゲーム~」を筆頭にいくつかあったけど、もうちょっと引っ張り方ないんだろうか。
アクションに関しては「チェンソーマン」「呪術」を通過しているのにいまだに「ヒロアカ」のパラダイムにいるのがどうも周回遅れに感じるところはある。作画自体はめっちゃ良いんだけど。

『メイドさんは食べるだけ』
序盤~中盤は割と季節感がマッチしたエピソードだったのだけれど、劇中の時間経過が早くて終盤が冬のエピソードなのもあり、季節感がミスマッチになっていったのが個人的には惜しい。夏に入るってタイミングで年越しそばかぁ~と思うと自分は意外と季節感みたいなものを重視しているのかもしれない。というより、この手の虚無アニメにはモチベーション維持のためにそういうとっかかりを必要としているのかもしれない。
お手軽といえばお手軽なフードばかりなのだが、ややもするとさもしい感じもしてなんかいたたまれない。


『ようこそ実力至上主義の教室へ 4th Season』
season1しか観てなかったからまさかこんな脳筋バカアニメだとは思いませんでしたよ。そういう意味では、というか普通に今期で一番笑ったアニメかもしれない。無人島サバイバルもseason1のときは「はいはいバトロワね」と思ったんだけど、知能戦要素ほとんど皆無で結局ステゴロバトルになるあたりのバカっぷりは好印象。
宝泉と龍園のイキった敵VSイキった敵のバトルとか全然拮抗してなくてタイマンで圧倒されてたのに3人がかりの卑怯戦法でとどめさしたの割と新鮮で、ゲラゲラ笑いながら観てましたよ。しかし主人公があの感じで格闘スキルも最強格っぽいの、いかにもラノベ的でちょっと懐かしさすら覚える。
16話は終始笑いっぱなしでしたね。男子女子、教師(というか理事長代理)と生徒、先輩後輩とかもう立場関係なくみんなステゴロでケンカしてんのおかしすぎる。下手なヤンキーマンガよりもプレイアブルキャラ多いじゃないですかこれ。

『女神「異世界転生何になりたいですか」 俺「勇者の肋骨で」』
色々な表現をやってはいたので序盤はそれなりに興味深く見ていた。とはいえ手法自体は割と早めにネタが尽きていた。まあ1話に2エピ詰め込んだらそうもなろうけど、かといって1エピソードだけでは20分持たせられないだろうし、そう考えるとやっぱり10分枠で良かったような気も。
こういうのって完成品よりも制作過程を見ている方が面白いことがままあるので、それをEDに盛り込んでくれたのは良き。
ラストはまあ、そんなもんでしょうねと。1話がそうだったし、ちゃんと幕引きしただけ真面目ではある。別に真面目なものをこれに求めてたわけでもないので、たかだかすっきもデザインに進化した創造神とか見せられてもという気はするけど。


『夜桜さんちの大作戦 第2期』
本編でも言及されてたか忘れたけど、製糸工場とかタンポポとかの人体実験なんかの731部隊っぽさのモチーフが太平洋戦争を想起させる(第二次世界大戦とは言っていたっけ?)あたりとか、1期でもそういうダークな要素の片鱗は見えてたけど祖父母のリアリティラインの低さとか今となっては出る作品違ってないですかね。まあ今期でもスパイ組織の試験とかも今回の話のトーンと比べると明らかに牧歌的過ぎるんだけど。
正直、アニメも原作もそんな大したポテンシャルはないと思うんだけど、その辺の要素をジャンプ本誌で拾ってくるのは中々興味深くはある。まあ結局ファミリー路線か、と言う気もするが。

『黄泉のツガイ』
分割2クールにつきジャッジ保留。面白いし少年マンガのエミュレートとして何かやろうとしている感じはするんですが、どうも原作とのグロ描写のバランスとかが異なるっぽいのもあってその辺の差異で何か見えそうな見えなさそうな気も。
アクションや話のテンポは良いので最後までアニメ化してほしい部分もあるけど、原作もまだ完結してるわけではないし原作読んだ方がいいのかしらこれ。

ただまあ、荒川弘の家父長的母系マチズモとでも言いたくなる思想はちょっと苦手。
それはまあ、白状すれば自分の中にも同質のマチズモがあり(もっともそれは内面化した家父長的マチズモとそれに対する反意としてのマチズモなんだけど)、要は同族嫌悪な苦手意識があるのでせう。
出産に関する一種のスピリチュアリティや弱肉強食イズム、やられたらやり返す、本作でも「働かざる者食うべからず」と言明していた(よね?)り、無論これら全てに対する同質のものか自分にあるわけではないけれど。
しかし私がそのようなマチズモを実社会で発動したならば直ちに指弾され糾弾され失職しかねないことが目に見えているか、しかし漫画家として一流の荒川弘は演出とストーリーテリングによってその思想を画面上に全面展開させることを厭わない(説得力をもたせる)。それが苦手なのだ。
ただし、こう書いた以上はムード(気分)に左右されかねないというのも付け加えておくべきでっしゃろか。
とはいえ私自身が内面化しているこのマチズモをぶち壊したいという願望も同時にあり、しかし私自身には自己破壊するだけの力がない。だからこそ、そういうった価値観を揺るがせにする作品を待望しているとも言える。
つまり他力本願。
まあアニメとしては割と楽しく観てたので普通に続きが気になるんだけど。


『よわよわ先生』
先生だけ規制入る服装させられ、ほかにも女性キャラがいる中でほぼ先生だけがエロ要員にさせられるあたり成人なのでという倫理観を感じる。
正直なところ見ていて居たたまれなくなってくる。
にしてもオチが「おなかもよわよわ」て。

『LIAR GAME』
今のとこ安いけど楽しい。なおちゃんとかいう超人。

『リィンカーネーションの花弁』
これ原作が10年以上連載していてびっくりした。少なくともアニメ化された1クール分だけだとジャンプの打ち切りマンガ臭がする感じなんですが。
とはいえ「桃源暗鬼」「デッドアカウント」のようなジェネリックジャンプバトルアニメ路線のものとしては悪くはない。最終話で一気に二人の距離感縮まってたのとか雑な締め方とか、とりあえずいい感じに締めようとしたのはわかるけどゲームは爆死の予感しかしない。

『リラックマ』
地味に凝っている。題材によって絵柄をちょっと変えてたりしますし。

『レプリカだって、恋をする。』
思春期にありがちなオルターエゴをわかりやすい形で表す一緒のマジックリアリズム的とも言える。
創造主と被造物の関係性はあるが、オルターエゴであるということはどちらも自分であることには変わらないので、すなわちレプリカも本物も等価である。と、少なくともこの作品ではそういうイデオロギーがある。
だから当初「私を離さないで」を引き合いに出したのだけれど、オリジナルの視点も多分に描かれてるいるという点でまたちょっと違うし、人間と非人間(亜人間)という、より大文字の存在論的命題をかかげるブレードランナーほどのスケールともまた違う。考えてみりゃ高校生の話なのでそりゃそうなのだけれど。
あくまでローティーンからミドルティーンの間の、思春期特有の懊悩を引き受ける受け皿として自身と瓜二つのオルターエゴをどう扱うかという極めて私的な領域の話。
こういうのって割と別のキャラを配置する(バットマンに対するジョーカーだったり)気もするんだけど、そこに創造主と被造物という関係性を挿入するのはちょっと変則的ではある。
最終回で「いまさらそんな面倒なこと言われても…」とはなったのだけれど、同一化するというあたりの解離性人格障害(いわゆる多重人格)の人格統合のそれと被るんですよねぇ。イマジナリーフレンドと解離性人格障害は別のものなんだけれど、なんとなくその辺がごっちゃになってしまっているきらいがある。
まあレプリカとの離別をレプリカ自身に選ばせたこと、そのイマジンブレイカー(違)描写はBパートでごちゃごちゃ設定開示で煩雑になっていた分をまくってくれる程度には絵的によかった(繰り返し描かれていた「海」「髪型」だけで表現)。
それが幼年期の終わりならぬモラトリアムの終わり(オリジナルの高校「卒業」)と重ねられているのもテーマ的にも合っている。
「スナオ」というオリジナルの描写が圧倒的に不足しているのだけれど、あのごちゃごちゃした設定開示によってスナオとナオの同一性をより高めることによって「ナオ(≒スナオ)は描き切ったのでセーフ」というエクスキューズではあるんだけど、まあ力技としてはアリか。



未見
あおあし
おでかけ子ザメ シーズン2』
Re:ゼロから始める異世界生活 4th season
前橋ウィッチーズ(再放送)
百妖譜 傑作選
株式会社マジルミエ(再放送)
骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中(再放送)
×『魔入りました!入間くん 第4シリーズ』
×『僕のヒーローアカデミア More』
×『BEASTARS FINAL SEASON Part2』
×『逃げ上手の若君(再放送)』
×『転生したらスライムだった件 第4期』
×終末のワルキューレⅢ
×『Dr.STONE SCIENCE FUTURE 第3クール』
×『ドロヘドロ Season2』
×『デザート キャッチ!ティニピン
×『小3アシベ QQゴマちゃん』
×『だんでらいおん』
×『嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたいR』
×「鬼滅の刃」シリーズ全編再放送
×『こんなこいるかな』
×ダイヤのA actⅡ Second Season
×スター・ウォーズ:モール/シャドウ・ロード
×スティール・ボール・ラン ジョジョの奇妙な冒険
×クマーバ シーズン3
×新幹線変形ロボ シンカリオン 特別ダイヤ版

2025年秋アニメ

☆☆☆ベスト☆☆☆(1作)

・「SANDA」
 個人的に関心のあるテーマを扱いつつ、フィクションとしての姿勢に鼓舞された。原作からのアダプテーションも巧み。アクションも悪くない。

☆☆ベター☆☆(3作)

・「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」
 心情的にはワーストというかあまり良い印象はない(雑感本文参照)のですが、信条としてはやってることを評価すべきということでこの枠に。

・「ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん」
 吸血鬼を脱「性的」なものとして描きつつ、鏡に映らないという特性を拡大解釈した描写が中々ユースフルで良かった。

・「破産富豪 The Richest Man in GAME」
 ギャグではあるもののアダム・スミスをハックしているのが秀逸。

☆グッド☆(3作)

・「機械じかけのマリー」
 何も考えずにIQを低くしながら楽しく観れたので。

・「キミと越えて恋になる」
 かなり嫌な部分もあるものの横軸の「BEASTERS」のようなものとして、性に対して真面目に取り組もうとしているので。

・「不死身な僕の日常」
 さすがのリ・ハオリン監督と言ったところで、ラスト2話で一気に捲ってきた。

▼がっかり▼(1作)

・「渡くんの××が崩壊寸前
 途中までは不穏な展開があったり主人公の誠実さが裏目になったり、やはり高校生の性欲(主に女性側)というものにスポットを当てたりと面白い要素があったものの、終盤に向けて尻すぼみになっていった。

★★ワースト★★(2作)

・「ワンダンス」
意欲作としてのワースト。ネットでの過剰なディスがなければワーストにはしなかったかもしれません。つまり逆張り要素もある。

・「モンスターストライク デッドバースリローデッド」
ガチの虚無すぎたので。

ベストワースト雑感本文

「SANDA」
当初は上意下達の学校における管理社会型ディストピアものと考えていたのだが、そこまでガチガチの世界観が構築されているわけではなかった。SNS……ゼロ年代以降の監視機構というのは上からの抑圧型ではなく相互監視型の構造であるので、そういう観点からすると旧時代的なモチーフだなぁと思ったのだが、反面日本の「学校」という空間の閉塞性はアナロジーとしては未だに一定のリアリティを持つのかもしれない。
ただ通して観ると、「SANDA」はそもそもそういう管理社会的なものでじゃなかった。
 とはいえ、権力勾配は意識されているように思え、それは生権力→生府(Project的福祉国家思想)の拡張を、理路ではなく作者の思想によって無理やり拡張しているように見える。学校=牢獄というアナロジー自体は有効で、学校=牢獄のイメージは都度都度インサートされる学校の全体像、あるいは食堂の配置とそのシーンにおけるレイアウトがハリウッド映画などでよく見る刑務所のそれと類似している等、原作よりも視覚的に分かりやすくなっていたように思える。
 そういった(箱庭的ではあるものの)牢獄的「学校」という限定空間で展開される大人/子どもの(個々の、そして大文字の両者の間の)葛藤、それをサンダという少年が「サンタクロース」という徹底して空想上の「(あらゆる子どもに無私に望みを与える)理想的な大人」の象徴としての存在に変態し、その葛藤をかき乱しながら自身も取り乱していく様を、不可避的に描かなければならない「性」について本気(マジ)で取り組んでいる。
 これを縦軸とするなら「君越え」は横軸で「性」に取り組んでいたという印象。原作者は「ビースターズ」でも同様に権力勾配を軸にした「性」的なものを描いていたので、かなりコンセプチュアルなのでは。
 管理された社会ではあるものの、ある意味で子どもを「子ども」として十把一絡げにした結果、ある種の平等が達成されているというのも面白い。
 並列的な差別、つまり男女の横並びの差はこの学校の中にはないことがトイレの件で明らかなわけだが、よく考えれば制服のデザインを考えれば最初からそうだったわけで。この学校、女子生徒もスカートじゃなくてズボンなんですよね。いや、特に強調しないから普通に受け入れていた(それこそがある意味で最もラディカルな表現)のですが、多分それは自分の高校時代でも普通に女子生徒でズボン(スラックス)を履いている生徒もいたので特に気にしていなかったというか、今まで気づかなかったというのもあるかもしれない。
 しかしそのような横並びの二元論の代わりに冬村と三田(さらにはサンタ)を筆頭に上下(大人/子ども、あるいは身長という観念的・視覚的な高低差)二元論がより強調されている。
 で、そこで抑圧されるものといえばやっぱり「性的なもの」。さらにいえば、この「性的なもの」は三田の視点からすればニアリーイコールで「大人(=男性)」(の身体)である。
 三田がサンタとなって全裸で戦っていた際に見せたファロフォビックな反応というのは、絶対的な善性の象徴としてのサンタクロースが同時に(本作における悪性の象徴としての)大人の身体であるというアンチノミーに揺らいでいるからと考えられる。
 対する柳生田はザ・OTONAとして煙草はおろか拳銃までもそのコードとして有している。この明々白々な男根のメタファー、特に拳銃の撃ち方のその節操のなさというか躊躇いのなさはそのまま放蕩な射精のメタファーに直結する。
 男根から発射された精液は、しかし決定的にはサンタ(三田)を傷つけることはない。なぜなら三田が変態したサンタの身体とは最も理想的な「完璧な」大人の姿であり、ファロスのデカさ(違)においてサンタに勝るはずもない。
 暴力性の発露としての柳生田の拳銃(=男根)に対し、(放送コード的な問題を逆手に取り)サンタ(三田)のペニスは徹底的に隠蔽される。それは「大人(の身体)」でありながら「大人(の暴力性)」を拒んでいるように見える。性的なものを検閲する営為こそがパターナリズムであることには留意が必要だが、それは下剋上のチェリーピッキングというか、そのパターナリズムのハックとして受け止めることもできなくはない。
 その後の教室での冬村とのやりとりは、柳生田との戦闘と違って暴力性が介在しないだけに大人の身体が求められていること(逆説的に三田という少年の身体の不能性を突き付けられていること)が三田にはお辛いことであり、だからこそあのモノローグなのでしょうけど。(このシーンのチンダル現象の表現が良い具合に哀愁が漂っていてグッド)。
 ここは12話のラストにおいて小野の死に悲しむ冬村を下支えするように抱きしめる「14歳の子どもとしての三田」の身体と対比され、相互に不熟(抱き支える三田自身もモノローグで懊悩を開陳している)であるがゆえの相補性がサンタの身体では生じえないユースフルな感傷と感動をもたらす。
 と書いてきて分かったのが、ここに立ち現れるのは、ある意味で仮面ライダー的な変身ヒーローと拡張身体としてのロボットアニメの問題意識の変奏と言えるかもしれない。
 幼少期は誰しも大人という生き物を全能な存在として見ていたはずで、それが揺らぐのが14歳(もちろん象徴としての年齢であって)ということなのでは。別にエヴァを引き合いに出すまでもなく。「サムライトルーパー」が15歳である、という謎のバトンタッチもありつつ。
 だからこそ「大人殺し」の生田目のエピソードがあり、彼女の母親はその子どもの無垢な(それゆえに残酷な)そして社会通念化された眼差し(=若くあること)に耐えられず自壊してしまったのではないか。そこには大人なるものを嘲弄する「少年A・酒鬼薔薇聖斗」のイメージも重なる。
 また「悪性としての大人」の筆頭として描かれる大渋学園長の、もはやアンドロイド化した身体、それが老いに対するトラウマティックなメンタルダメージによって壊れていく(手術痕が浮かび上がる)様など、(他者からの視線にさらされる自身の身体の)「老い」に対する異様なオブセッションを見せている。子どもの大人に対する諦念、大人自身の大人に対する嫌悪(それが翻って子どもへの徹底した管理へとつながる)、その間(両者の倫理)で葛藤するのが三田なわけですが、そういったものを一蹴し超克する(単純なフィジカル戦闘力でも)のが同じく学園の権力者である鉄留十予(CV野沢雅子!)というところが、このアニメの気持ちの良いところだろう。
 それを逃げと捉えることもできるでしょうが、個人的にはアニメというフィクションだからこそ可能な(そしてCVの説得力)表現だと思う。付け加えるなら、彼女との鍛錬によって「黒い(スーツを着た!)サンタ」という理想だけでなく他者を傷つける身体を持つ「現実」を包含したサンタクロースになるという展開も描いている。黒いスーツというのがまさに日本的サラリーマンのビジュアルであり、社会化された存在でもあるとえることが言える。その点で単なる理想像一辺倒ではないことは織り込み済みなのだろう。
 体力がなかったり足腰が痛むといった、いかにも老人の身体的表現のステレオタイプ(というかどうしようもない事実でしょうが)として描かれるもののそれも併せて「もののあはれ」的で自分には刺さった。これはまあ、贔屓目ですが。
 大人と子供の境界線としての恋愛(=性愛)という解釈や、小野というキャラクターが早熟によって死ぬことなど面白いモチーフも散見されながら、それら個々の要素がすべて回収されたとは言い難いものの、まあ総じて自分好みではあったのでベストの中でも上位。

☆☆ベター☆☆

「わたなれ」評
前回はがっかり枠でしたが、最終5話で今期のベスト次点(ベター)枠に。とはいえやはり心情的にはワースト、信条的にはベストといった煮え切らない感じがまだあります。
面白いけど嫌いだけどやっぱり面白い。コメント付きで観たからより笑えたというのはあるのですが、それでもどこかモヤモヤする部分、はっきりいえば嫌いな部分があります。この作品の嫌いなところの一つに真面目な百合を装って(そもそもこれが百合なのかどうかというのは少し疑義を呈したいですが)、女性同士ということを隠れ蓑にし、主人公の自己嫌悪的ネガティビティをエクスキューズ(ポーズとしての拒否権)にして性加害(は言い過ぎだけど、少なくとも「ノイズ」)をあけすけに展開するところでしょうか。コスプレにしても入浴にしても(どいつもこいつも一緒に風呂入りたがりすぎでは。かといってそれを性描写としてではなく性的な「サービス」として盛り込んでいるその精神が嫌い)。裸の付き合いってことなんでしょうが、それ自体が根底にパターナリズムあるんじゃないかと思っている自分にはやはりどこかモヤモヤするところが。
これは多分伝わらないと思うのですが、「シンプソンズ」におけるホーマー・シンプソン的な中心主義ともいえる主人公中心主義な部分です。ヒロインズの行動がすべて主人公(の自己)肯定に収斂されてしまうところが、百合にみられる(?)相互性が希薄であり、それこそがこの作品を百合ではなくハーレム作品であると私が指弾したい部分なのです。
シンプソンズ」はホーマー・シンプソンをはっきりと醜いクズとして描きながらその根底に愛があるからこそ本気でこき下ろせるというタイプだと思うのです(それがだめだ、という向きもあるでしょう)が、「わたなれ」の主人公は外面的にも美少女でありその行動に垣間見える優柔不断や自己嫌悪といったネガティビティも、結局のところ彼女の欠点としてではなくポリアモリーに収束されることを前提に予め肯定されてしまっています。すわネガティブケイパビリティか?と受け止めようともしたのですが、やはりあのラストはポリアモリーとしての誠実さに欠けると言うか、だったらそもそも悩む必要なかったのではないかと。
唯一、黒髪ロングヒロインがそこにツッコミを入れる(カップル誕生時も「クズ」と罵倒していますし。それもエクスキューズ的ですが)タイプとして存在していたのが、ラストCパートで落城したのもアウトです。
それでも「恋は双子で割り切れない」よりはかなり誠実にポリアモリーやろうとしていますし、その一点で以て可能性を広げ得たという部分でベター枠です。
これクイーンテットが全員レナ子のアルターエゴってオチだったら別ジャンルになりますがそれはそれで面白かったのですが。

「ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん」評
 デジモンビートブレイクの吸血(血ではない)を見ていて思ったのだが、このアニメは吸血行為に伴う性的な描写をオミットしているのだな、と。
 いや授乳的なフェチみたいなものが付加されているのだが、それがかえって性的なものではない(教育?的な回路を通じているから?)ように映る。
 どうして主人公のオオトリに口がないのかと不思議だったのだが、何もラストの笑顔のため、というだけではないでしょう。
それは「血を吸う」という口腔による摂食行為を生命維持のために必須とする吸血鬼との対比であって、彼に口がないというのはつまるところ吸血鬼ちゃんが持つその不可避な加害性を逆の立場からは予め(少なくとも表現上)排除しているからなのではないかと。
 あるいは、接吻という性的な結ばれの可能性を前もって潰しておくということもあるかもしれない。いうまでもなくキスだけが恋愛的・性的な描写ということではないが。
 本来、吸血鬼の吸血とは極めて性的なメタファーとして表象されるはずだが、本作においてはそれを幼児化以上の極端なデフォルメによってそれを希釈している。それがネオテニーな進化、(kawaii)キャラ文化を培ってきた(そこにはロリコン的な性癖も巻き取ってきた功罪があるものだと思うが)ものの集積として現れたのかもしれないと考えると面白い。
吸血鬼を脱吸血鬼化する、性的なものを非性的なものとてして描くこと。それはある意味で性的退却(宮台)している現代日本的な感性なのかもしれない。
 その代わりとして「鏡に映らない」という部分を拡大解釈し「写真に写らない」(ので絵画として記憶に残す)と拡張することで、吸血鬼の不死性に対するペーソスのようなものが本作の作風とは裏腹ににじみ出てきて、それが思ったより刺さってしまった。EDの曲調もそういうエモーショナルな刹那的ユース感覚を思わせる。
中身はなんてことないアニメというか、多分この要素がなかったらむしろワーストよりだと思うとちょっと悔しくもあるのだけれど。

「破産富豪 The Richest Man in GAME」評
 期待を込めるという意味も含めベター枠。
シーズン2もあるようなので引き続きウォッチ。ゲーム製作にあたってのアレコレを戯画化してはいるもののおそらくは本当にああいうやりとりがあるのだろうと思わせるリアリティがある。加えて「マイナスが出たらその分だけ自分の資産になる」というルールのため自分が損しようとすればするほど、その行為が相手にとっての利得になり好感度も上がり相手もそれ以上に尽くしてくれるせいでリターンが大きくなるという。結果だけ観るとプラスの相互作用が働くという面白さ。「アダム・スミスよ、これが経済だ(違)」
 これは協力者・パートナーシップの相手が根本的に善意の人たちだからこそ成り立っているわけですが(そして主人公だけがそういう意味では善人ではない)、個々人が合理的に己の自己利益を追求することが結果として社会に適切に資源配分されるというのが少なくとも資本主義の種だったはず。社会主義下(限定的だけど)の中国でこういうアニメが作られるというのは興味深いというか。
 アンチ資本主義ではなく、資本主義をこういう形でハックするというのはあまりないのではないでしょうか?

☆グッド☆

「機械じかけのマリー」評
今期LaLa系の一つ。地味に楽しんでいたラブコメ枠で、いい具合に力が抜けていて気楽に観れた。CV東山とそのポンコツコピーとしての小清水がEDでまさかのデュエットというのも熱い。何かを高望みするでもなく、ただただ雑な展開に雑なツッコミを入れたりキャラのポンコツっぷりを微笑ましく見ていたり、最後の大団円も収まるところに収まったと言う感じで大変よろしい。それにしてもポンコツなくせに変なところで常識的だったり自分を客観視できてるところは変なリアリティがあるアーサー。
 マリーの恋愛競争相手がいない(ロリっ子がその枠としても想定できるのだけど、いい意味で裏切られた。雑処理ともいえる)のも、ノイズが少ない理由かもしれない。それ自体が悪いというわけではない。為念。というかその枠はマリー2が(一時的とはいえ)になうというギャグ処理しており、そういうところも脱力感があって良い。
 何も考えずにボケーっと楽しめたという点ではある意味で今期では一番幸福なアニメ視聴時間だったかもしれない。
ただ女性のオブジェクティビズムを織り込んだうえで観ると、と言う感じもアーサーがマリーに対して主体的に行動するときは(6話の条約とか)は結構ハラハラするものもありました。アーサー本人の無自覚なミソジニーを、マリーの視点からnaiveな恋愛感情を起点にコミカルに描くことでそのミソジニーを逆照射するという批評性が生まれる余地があるのであり、アーサーからの矢印の重みが一定値を超えるとヤバげな空気が漂うからかもしれません。まあラストが普通に結婚してハッピーエンドなので考えるだけ無駄でしたが。

「キミと越えて恋になる」評
 異種間恋愛もの。「機械じかけのマリー」と反対にごちゃごちゃと考えながら観ていた。獣人という見た目の違う人種かつ隔離政策が取られているという設定からどうしても一種のマイノリティ表象として捉えて観ていたのですが、どちらかというとそういう政治的なアレゴリーよりもフェチ(というか性描写のための方便?)としての獣部分の生理(性)を現実社会に持ち込んだ思考の先にそういう社会を描かざるをえなかった、という認識の方が実態には近いのではないか。と思う程度には観てる側へのマイクロアグレッションな描写が所々に散見できる詰めの甘さが。
 異性愛恋愛至上主義的な価値観を穿つ可能性として当初は相田君の立ち居振る舞いに友愛優先(少なくとも恋愛と等価)な価値基準を持つナイスガイとして見てたんですが(8話で両手に繋いでランタン=〈獣人/恋愛〉と花火〈人間/友情〉の描写とか)、しかしよく考えればそれは単に朝霞と飛鷹の相思相愛を邪魔しないようにする脇キャラのそれと変わりないのでは?と「矢野くん~」を観ながら考え直した。それでも二人を恋愛に閉じさせない存在として必要ではあるのだけど、終盤でキサラと雑に負け犬(猫と人だけど)カップルとしてフラグを立たせているのはちょっと嫌な予感が。月が綺麗ですね~とかちょっとやりすぎ。あとこの直後の桜吹雪のCGはもうちょっとどうにかならなかったかなぁと気になるところも結構。
原作は未読なのでどうなるかわからないのですが、とりあえずアニメ化された範囲ではそのような印象。あと最後の捏造ゴシップネタもCV花江で思わせぶりな割に雑に処理されてしまっている(「獣人になりたいのか?」というやりとりも未消化だし…まあ飛鷹の当てつけと言えばそれまでなんですが)のも残念。
 あまりバジェットはないと思われるが、ジャンル的にそこまで動かす必要がないというのはあるにしても演出で上手くカバーしていて良かった。原作のエロ成分はややオミットされていたものの、中々攻めていたのもグッド。

「不死身な僕の日常」評
日本のアニメファンからはほぼノーマークでしたが、リ・ハオリン監督作ということで通して観ているとseason1のラスト2話で一気に捲ってきました。
言ってしまえば本作はやれやれ系主人公の俺TUEEなろうものの類型に当てはまるのですが、日本のその手のジャンルにありがちな無駄なポルノ要素などもなくコミカルで緩い作風なので見やすい反面、それ以外に際立った特徴的なものがあまりない印象でした。
ただ、ラスト2話でヒロインの死に直面し「強すぎる力を抑えるために感情を封印している」という枷が外れてヒロインの死ななかった世界線を作り出すという荒業に至りながら、そのヒロインはギャグ的に蘇生しむしろ主人公を救うというツイストの効きまくった展開に。最終話だけでセカイ系に持っていき、さらにアンチセカイ系的な落としどころに持っていくストロングスタイル。
ギャグと感動を合わせ技一本にした力作になり、season2への期待も含めグッド枠に。

▼がっかり▼

渡くんの××が崩壊寸前」(2025夏~秋アニメ)評
「黒岩メダカ~」「山田くんとレベル999~」などにも感じたんですが、アニメ化に際してキャラデザが平板化・フラット化されることで魅力や説得力が減じるタイプの作品はあると思うのですが、これも同様の類型のように感じました。
序盤から1クール目の中盤までは退屈だったのでグッドに入れるつもりはなかったのですが、Fカップちゃん(劇中他称)の元カレ(ではない、厳密には)のキモさや同じく彼女の母親の、毒親とまでは言えないがヤバ気な雰囲気のある感じ(でも話したらまともだった)など後半から面白い要素が出てきて評価が上がり、2クール目になってFカップちゃん自身も闇がありそうな不穏さがあるというか、性的なものに対するある種のオブセッションがあり、それが愚行に繋がっているきらいがあるのもリベンジポルノなどを考えると妙なリアリティを感じさせます。
そういったものを含め高校生の性愛を割とちゃんと描こうとしているのも他のカマトトぶった恋愛ものに比べると誠実で好感が持てます。
渡くんが「普通」の恋人関係(ヘテロ、モノガミー)に拘泥することがかえってポリアモリー的な可能性の揺さぶりをかけているように思え、作り手の意図とは別に既存の関係性に対する疑念を差し挟んでいるところに良さがあるのかなと。
↑以上が1クール目までの感想
↓以下に2クール目の感想
2クール目の前半は中々面白かったんですけどね。振り返ってみると後輩ヒロイン梅沢も何だったのこいつ感がぬぐえない。あと眼鏡君と一瞬付き合ったのは一体何だったのかと。いや要するに迂遠なカマチョというのは分かるけど、思わせぶりな展開がすべて本当に思わせぶりなだけでその後特に何かあるわけではないというのが。
読者(視聴者)を傷つけないように、ということなのかわからないのだけれど、こういうのはなろうとか転生ものに任せていいと思うのでせめて恋愛ぐらいは視聴者を傷つけに来て欲しい。それくらいの真面目さはあったはずなんだけどなぁ。
収まるところに収まってしまったな、という印象しかない。これで梅沢とくっついてたら神だったんですけど(負けヒロイン枠は委員長に任せて)。
そういう意味では委員長ちゃんの芸能界デビューが一番いい具合に予想外で(実際に奥手な人が意外とああいうことになるというのはあるけど)良かった。まあ、あまり良い未来が見えてこないんですが、それは多分私がエロ同人脳なせいかもしれない。

★★ワースト★★

「ワンダンス」評
 意欲作としてのワースト。なので実質的にはベストでもある。
 恩ちゃんとかいうパーフェクトヒューマン。最終話のダンスシーンで唐突にSNSでディスられはじめたあの流れのせいで、同じくあまりダンスを評価していない自分なのに逆張りでこのアニメを擁護する気になってしまいました。それくらいあのオタクの醜悪なムーブはいただけない。
 確かに原作のダンス描写はコマ割りやデジタルツールをふんだんにつかったエフェクトによるテクいダンスの描写をしていますが、それはあくまで「静」的なマンガというメディアの中でどのようなダイナミズムを生み出すかという方向性であり、その目指すところは前衛的でどちらかと言えばアート志向なもので必ずしもダンスの細かい所作を明瞭に読者に伝えようとしているわけではないはずです。少なくとも自分にはそう見える。それはダンスという極めて動的なアクションを分かりやすくマンガで描こうとすれば、それは結局のところ静止画の連続としてのアニメーションに寄ってしまうわけで、マンガとしては単調で説明的なものになってしまいましょう。
たとえば花木が湾田に触発されて初めてダンス(というか動作?)を見せるシーン。原作の漫画では何の変哲もない5コマ(足だけを横から捉えた2コマ、全身動作を斜めから描いた中サイズの1コマ、全身を正面から捉えた小サイズの2コマ)で描きながらも、それがどういう動きであるかは(予め知っている人はともかく)分かりづらい。翻ってアニメではどういう動きをしているのかは玄人も素人も誰が見ても一目でどう動いているか分かる。何せアニメなので。
 要するにアニメでは最初から身体の動きそのもの、何がどう動いているかをほぼ一繋ぎで見せ切ることに注力しているわけで。終盤は必ずしもそれだけじゃなくドローイングの静止画をインサートしたりしてるけど。アクションカッティング、というかバーチャルなカメラ自体は複数あるのでアングルはそれなりに切り替わりはするけれど、それでもアイドルもののダンスシーンなんかに比べればいかにカメラワークがシンプルに抑えられているか分かる。
 それはモーキャプという「身体性」を前面に押し出した方法論を徹底していることからも分かるわけで、カットを割らないことによる緊張感…実写的な感性に寄っているのだし、いかに原作の漫画で「音」が重要だと強調してみても実際に音を発することができるのは映像メディアにしかできないことで、それはやはりアニメだからこそのものでしょう。
 じゃあそれはちゃんと違和感なく(特にCG)表出できているかといえば、それはまあちょっと何とも言い難いところではあるし、実写を志向するなら実写でやればいいじゃんというツッコミもあるでしょうが……だから実写化決定してるやろがい!という逆ギレ。
 実際、フェイシャルキャプチャの技術もだいぶ進歩しているので、ダンスがプロ級ではない役者でもプロ級のダンスを映像上で表現することはできるだろう。じゃあその時の「身体性」ってどうなってるんだよとか、その辺まで話を突っ込むと泥沼なのでここではしないというか私にそこまでの見識はないのでできませんが。
 何にせよ、SNSで叩くならそういうことを斟酌した上でやれ。生半可な気持ちで叩くんじゃないよ。

モンスターストライク デッドバースリローデッド」
 あまりにも虚無過ぎたので、逆に記憶のためのワースト枠。
 おそらく今期で一番の虚無。本当に、感情が微動だにしなかった。その事自体に驚愕したのでそういう意味では感動したといえばそうなのだけれど。具体的な説明をしにくいのですが、声優の演技も全体的に妙に抑えられている感じがするし画面も平板で展開(というかレイアウト?)が冗長かつ単調で、何を描きたいのかが伝わってこなかった。不思議。


選外

小泉八雲のKWAIDANの世界 アニメルック版」
DLEといと今期は偽ひろしがバズっているわけだが、さりげなくこっちもDLEでしかもメインをはっていた蛙男が監督脚本編集をやっているという。要するに生成AIを手にした(そういえば期間限定とはいえTBSラジオでAIラジオみたいなのやってたな)のでそれを使って短編アニメを、というDLEというか蛙男お得意の手法。一目で生成AIと分かるものではあるが、3分とない尺であればこのクオリティを担保できるということだろうか。とはいえ昨今のキャラクタービジネスとしてのメディアミックスを狙うのであれば鷹の爪団のようなキャラクター性が必要となるはずで、DLEがそれをわかっていないはずもない(バットマンとか)のでテストケースとして見るべきでせうか。

「青のオーケストラ Season2」
Season1はなんだかんだメインキャラの掘り下げが多く、それと並行してコンクールまでのドラマを描いていたのでカタルシスはあるにはあったのだけれど、かといって「ユーフォニアム」みたいな傑作というわけでもなく、割と淡々と観ていた。Season2も今のところそこに違いはない。むしろ作画が結構ガタガタな回があったり(体育祭とか)、アスカみたいなこのキスとか解釈違いなキャラの行動(これはまあ本人の勘違いという路線がまだあるかもなので保留だが)もあり、season1よりトーンダウンしている。CV神谷のパイセンも割と早くデレてしまったし。そもそもあのイジメっことのやりとりとかも、「チラムネ」と同じタイミングでやっていて「なんでそういう暴露療法みたいなことするんだこいつら?」と毎度モヤモヤした気持ちにさせられたのですが、イジメ被害とか出世拒否とかそういうバックグラウンドを持ったキャラが多くて、そういう方向性はちょっともう食傷気味。あと音楽より恋愛がメインになり始めていて本格的にやることなくなってきてる気が。
一応は合唱という新しい要素も入ってきているのでそこからどうミックスさせるのかは音楽知識のない身分としては気になるところです。

「悪食令嬢と狂血公爵」
タイトルに反して二人とも真面目な性格ゆえに爆発力がなかった。ダンジョン飯ほどのフード描写へのこだわりもなく。女性向け願望充足ものの凡作の一つ。EDのいかにもな王子様的歌唱はちょっと面白い。

「アニラとココラ」
ラッコ雑学がある回はあたり。

「ある日、お姫様になってしまった件について」
中途半端なところで終わってしまったので何とも評価がしづらい。韓国原作で中国制作のアニメを日本語吹き替えにして放送というので、日本の要素はかなり薄いのですが、それでもあるジャンルとして日本アニメの昨今の潮流の一つに組み込むことは容易に思えるくらいには典型的な「転生」「令嬢(お姫様)」ものではあるということなのでしょうか。
少し独特なのがメインヒーローが実父であることや、必ずしも異世界への転生というわけではない点でしょうか。最終的には父親を救い出す立場になるというのも奇妙といえば奇妙。
日本産のそれに比べると作画が割とリッチで(キャラデザはコミック版の方が良いけど)、その力点の置きどころを考えると「薬屋の~」と対置させるのがいいのかもしれない。

「アルマちゃんは家族になりたい」
疑似家族もの。桃源暗鬼と合わせてなぜか東映の聖地が一つ「光が丘」が同時期に背景に使われるという謎のシンクロニシティが発生。「僕の妻は感情がない」よりは良いと思う。

「暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが」
なんだかキャラデザも含めて90年代な風味が濃厚。サブに配置される小林沙苗とか草尾とかもそうですが。正直なところ1話時点ではキャラのセリフとか話の運び方が典型的な転生もののせいでちょっと忌避していた部分もあったのですが、謎に作画が良かったり思ったより無双しなかったり、ややBL風味を醸していたり割と中盤以降は楽しんでいた気が。
主人公が復讐(殺人)は是か非かみたいな葛藤をするのもこの手のジャンルとしてはあまりないものではあり、その点も気真面目さがあった割と好感を持った。ただまあ、エルフ嫁の扱いというか、母性的な受け止め方をさせるようなのはちょっと…。


異世界かるてっと3」
ファンディスク。オバロしかまともに観てるのがないのでイマイチこの内輪ノリは分からない。「同じ権利元の転生もの」という世界観を一切共有していないのに一種のシェアードユニバースとして機能させるために極端なSDキャラデザにしているのは納得感があった。しかし本当に学園ものしか舞台にしないんだなぁ…。


ウマ娘 シンデレラグレイ 第2クール」
 普通に楽しかった。ただ最終2話に関してはどうにも次への繋ぎという感じがあってせっかくのオグリの勝利シーンもちょっとスカしたようにも見える。その代わりに挿入されるダンスシーンのためなのだろうし、それは原作ファン向けのサービスでもあるのだろうからまあそれで正解なのでしょうが。

「笑顔のたえない職場です。」
漫画家の自意識マンガのアニメジャンル。「mono」に似た臭みは「干物女」的な怠惰さが「才能」によって免責され、周囲のケア労働(mental含む)によって支えられるという構図。編集やあるいはアシスタントが担うのはマンガの実作業だけではないということが、この手の職業において必然的に付きまとうのかもしれないという示唆。
サイン会におけるデフの扱いは実体験なのだろうか。インクルージョン描写としては唐突かつ露骨に見えるものの、かといって殊更あげつらうほどでもなく。

「顔に出ない柏田さんと顔に出る太田君」
太田の加虐性は中学生であるということやジャンル的なレギュレーションを考慮しても些かコミカルさよりも不快さに振れているきらいがある。特に声優の声質と演技の「稚拙ゆえの無謬性」めいたものによる免罪、あるいは思春期の反動形成a.k.aツンデレ(?)なnaïveさによる微笑ましさの醸成を試みているようにも思え、それが余計にイラっと来る。
ほとんどDVであり、あれほどの「いたずら」をするのは私の中学生時代を思い返しても不良の生徒くらいのものだったのですが、それがこうもゆるふわにパッケージングされることのグロテスクさというのは中々にキツイ。


「機械じかけのマリー」
☆グッド☆を参照。

「キミと越えて恋になる」
 ☆☆グッド☆☆を参照。

「グノーシア」
 これおそらくは原作のゲームの方が合ってるんじゃないかという気がする。原作の方はまったくわからないのだがADVっぽいので、単純にループ設定を活かしやすいはずだし1クール目終盤のヒロイン攻略路線も得心がいく。ウィキ見たら原作制作メンバーが「アニメの宇宙は数ある世界線の1つであり、いわゆる『正史』ではない。アニメの視聴者は主人公ユーリの宇宙の観測者であり、ゲームのプレイヤーが体験したグノーシアの宇宙はそのゲームプレイヤーだけのものである」とか言ってるらしく、そういう意味でもこのコンテンツでは「体験」を重視していることは分かる。インタラクティビティの高いゲームの方が「グノーシア」の世界を楽しめるのかも。
 色々と気になる部分があるものの、2クール目でどうなるか原作ミリしらなので楽しみではある。

「SANDA」
 ☆☆☆ベスト☆☆☆を参照。

「SI-VIS: The Sound of Heroes
 当初は芸能界の闇(スカウト、デビュー、使い潰されて消えるプロセス、世界を守る=芸能界を守る)を物語として落とし込んでいるのでは、とかなり歪んだ見立てをしていたのですが、それは普通に当てが外れた。その路線だったらそれはそれで面白かったと思いますが。
 グループアイドルものとしてみると男女混成グループで実は中々に野心的なことをしていると思われるのですが、いかんせん訴求力が足りないのは日曜朝の枠だからだろうか?
 

「太陽よりも眩しい星」
 わ~河原和音すぎるぅ~。といっても「高校デビュー」くらいしかまともに読んでないんですが。そう思うくらいには上手く原作の絵柄をアニメに置き換えられているなぁという印象。基本、この手の?アニメのキャラデザは「原作の方がいいなぁ」と思うことが多いのですが、本作は上手くアダプテーションできている。キャラの肩幅(特に男子)とかまんまですし。岩ちゃんは原作の方がキャラデザすきですけど、気丈に振る舞って笑いながら泣く場面なんかはアニメの方が良いかも。1期ではとりあえずメイン二人がくっついて終わるわけですが、私はまあ擦れているのでこの原作者の描くメインじゃないカップルの方がハラハラして見ていて楽しいので、サブキャラたちがもっと見たい。
 アイキャッチで毎回ネタを入れてきてくれるので評価が高い。

「千歳くんはラムネ瓶のなか」
 しょっぱなは個人的な職業倫理からかなり腹が立ってこき下ろしたのですが、こうしてみると相変わらず私の倫理に抵触はするものの、やってること自体は前時代的な……擁護的に書けばオーセンティックな学園モノラノベのアニメ化でしかないのではと気づいてからは「そんなもの」という具合で観ることができています。コマーシャリズムに乗せられた自分を恥じています。にしても「アイドルはうんちしない」みたいなあまりにも古臭すぎる価値観を仮想敵として見立てているあたりはさすがにどうかと思ったりもしたものの、まあ「やれやれ系」のハーレムもの類型を逸脱するものはないなと。

「ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん」
☆☆ベター☆☆参照


「DIGIMON BEATBREAK」
 今のところあまりぱっとしない印象。デジモンというコンテンツが(瞬間最大風速はある程度あったかもしれないが)総じてそういうものだという気もするけれど。
 通年でやるペースっぽいのでこれくらいのスローな展開でもいいだろうか。デジモンといえば電脳世界なのでSNSとかをメインに据えてもおかしくないと思ったのだけど、特にそういうことでもなく、デジタマもデバイスとしてはデカすぎてあまり玩具化を考えたデザインとは思えないんだけど、もうそういうメディア展開はしないのだろうか。
 2クール目に入ってキャラが一気に増えて来たのでもう少し面白くはなりそう。


ガングリオン
タイトルからして、いかにも企画屋/香具師的な性根の吉本がやりそうなメタアニメ。といっても使い古されたネタではある。「戦隊レッド」「戦隊大失格」など戦隊ものをメタったアニメが20年代に入ってちらほら見え始め(もっと言えば「サムライフラメンコ」なんかもそうでしょうが)、20年代後半を越えようというときに本家戦隊シリーズが幕を閉じるという流れを考えると、このしょうもないアニメにも歴史的な意味が付与されるのだろうか。同シーズンの「東島~」と合わせて観ると「日本産ヒーロー」を使った題材へのアプローチの違いと駄目さを考える。このアニメの駄目さは端的に言って志の低さ、だろうか。

「元祖!バンドリちゃん」
まいごとムジカしか知らないので他のキャラの壊れ具合が分からないのだが、おまけとしては中々豪華というか美味しい。グリコのおまけのようなアニメ。

「ギルティホール」
教師の過労に対する性的なケア(妄想)。性別を逆転させたものがあればよかった。前期はBLものがあったので。

「結婚指輪物語Ⅱ」
セックス(までの童貞もとい道程)が最重要でファンタジー要素はおまけ。ポルノ的ハーレムアニメとしては比較的質が高いので思春期もとい発情期の少年少女にはいいのかもしれない。セックスそれ自体もファンタジーぽいという(少女マンガ的ほわほわ)点でも、たとえば「履いてください、鷹峰さん」のような汚さはあまりない。「ToLOVEる」と「ブラックキャット」を足して3くらいで割ったあとにエロ要素をもう少しまぶした感じだろうか。


「最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか」
CV細谷の熱血馬鹿のおかげで終盤を乗り切れた。基本的には出オチであり、敵の女神の中身が転生者というギミックは(ED映像のモチーフと連動)あるものの、やはり出オチ。女性向け願望充足の類型の一つとして、ありがちな奸計や知識によるマウンティングとは異なる方向性で「暴力」というのはやはりあるのだろうという確信。もっとも、それは90年代以前のハリウッド的(というかキャメロンとリドスコ御大か?)なそれの遅れて来た潮流…というよりは、ああいうマスキュリニティを迂回しつつの(超常的)特殊能力や特殊技能でもってアクションを達成する韓国女性アクションの系譜、日本で言えば「べいび~わるきゅ~れ」あたりにアニメ的解釈を持ち込んだものだろうか。もっとも、ライブアクションのような身体性を持ち込むことができないので(バジェット的に)こういう形になったのだろうと思わなくもない。レゼなんかよりもよっぽど女性の自認ってこれに近いと思うのですが。実際に暴力を振るうことはないだろうけど。
いわゆる「おもしれー女」のカテゴリーの拡張されている?

「さわらないで小手指くん」
真面目。これも僧侶枠的なポルノ要素が強いものの、倫理観や施術に関する部分はかなり真面目に描写しているように思われる。
もっとも、ミニアニメ劇場a.k.a本宮あかり版が本編。


3年Z組銀八先生
いつもの銀魂。その変わらなさはむしろ称賛すべきものではあるのだが、「サザエさん」が原作のポテンシャルを完全に無臭にすることで国民的アニメの位置に収まったことを考えると、「銀魂」は設定だけ借用してこの程度のネタを延々繰り広げていくのはありなのかもしれない。それドリフか。

しゃばけ
 EDが中々エッジが効いていて良かった。ほぼ実写の映像というのがEDというよりもPVという感じだが、曲調とは裏腹な歌詞も映像とマッチして世界観に合っていた。割とグロイ描写があるのだけども、それも含めて江戸の日常(妖=かたわら)として機能しているのが良い。「となりの妖怪さん」のような壮大なスケールの話に発展するのもそれはそれで面白いのですが、こういう時代劇(?)的なものはすでにドラマの方では死にかけている気がする(忠臣蔵とか)。こういうフィクショナルな要素をてらいなくぶち込めるアニメでなら描けるのかもしれない。あとは「ばけばけ」みたいな方法だろうか。


「終末ツーリング」
特に何の感慨もなかったというか。途中途中で機械に魂が宿るような(スピリチュアルな)描写が散見されたのだけど、別にそれが何かを下支えするわけでもなく。あの描写自体は嫌いではないのだけれども、それ自体を根底のテーマに据えてもっと掘り下げるというのであればまたAIに魂がどうのこうのという昨今のホットな話題ともかなり親和性が高かったのだろうに。まあそれやると攻殻機動隊の方と被ってしまうんだけど、この絵柄だからこそといううま味もあった気も。まあコンテンツツーリズムとビークルフェチに美少女を混ぜ込むというのが魂胆なのだろうから、そこまでの思索を与えてくれるものではないのだろうけれど。

「信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999
の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!」
世紀末ヤンキー雑兵(主人公パーティ勢)が良いやつなのと金色の鎧の人だけが癒しだった。あとは推して知るべし。

「素材採取家の異世界旅行記
いつもの。マスコット枠の黒い小さいドラゴンを邪竜様に見立てるという荒業視聴。

「地球のラテール
 デフォルメされていないアニマルアニメ。普通に教育アニメだが、スーパーバイザーに河森正治がいるという謎の豪華さ。何をスーパーバイズしたのだろうか。

「父は英雄、母は精霊、娘の私は転生者。」
 割と苦手な感じの転生もの。特に終盤の展開は人命を軽んじたマッチポンプを「ぶってる先生の手も痛いんです!」みたいなロジックを展開しているのも酷い。


「デブとラブと過ちと!」
 最後まで陽気を貫いたのは素直にサムズアップ。先行してドラマがやっていたらしいのですがそっちは未見。これを実写でやるのは割とギャンブルな気も。
 成人女性向けのコミックにはドロドロな展開が(昼ドラ的な)がつきものだと思いますが、全てを主人公のひたすらなポジティブさとアクティブさでごり押し解決するという。かといって自身も努力を惜しまないという姿勢が不快感を感じさせないのだろう。この類型をなろう・転生ものに転用すればいいのではと思わないでもない。

「転生悪女の黒歴史
 今期のズベリー枠。といっても主人公のキャラデザとちょっと砕けた感じのパーソナリティくらいしか共通点ないですが。
 監督・演出(序盤と最終話)が「デ・ジ・キャラット」とか「クロマティ高校」とか近年(?)だと「斉木楠雄のΨ難」とかやってるベテランの桜井弘明なのでギャグが上手い。ギャグマンガのアニメ化って割と難しいところではあると思うのですが、アニメならではのボイスオーバーや書き文字、ださい歌のインサート等々ちゃんと笑えるアダプテーションになっていてグッド。青山のコミカル演技もハマっていたし。
 ただまあ、これも割と出オチ的(原作も元々は単発のネタだったぽいですし)というか、構造反復的ではあるので終盤はやや食傷気味ではあったのですが、それでも転生ものではかなり上位。

「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」
 あぁ、そっち方面なのねと少し残念。2クール目まで最終判断は保留だけれど、楽曲以外の見どころはそんなにないというか、Teddyが今年は働きすぎている。おっさんの悲哀もイタさも描く気はなく、コミカルに全ぶりするという方向性を最初から決め打ちしているのは明らかなのでないものねだりでしかないのだが。

「友達の妹が俺にだけウザい」
 OPだけ明後日の方向に全力投球。いつもなら苦手な感じのOPなのだが、ここまで雑にネットミームをごった煮されると何も言えなくなる。
本編は別に、という具合。原作者が「義妹生活」の人らしく血縁のない妹フェチなのだろうか。一昔前のラノベアニメってこんな感じだったなぁというアニメの一つ。ラストの演劇部乗っ取りはどうかと思いますが。
 妹の演技派設定のためにCVに別の人をあてるというのは、アニメだからこその説得力で賛否あるだろうが個人的にはアリ。

「永久のユウグレ」
 PAのオリジナルものということで少し期待していたのですが尻すぼみに終わってしまった印象。「ダーウィン事変」も監督するということなのですが原作ものだとまた違うのだろうか。でもシリーズ構成もこの人がやってるからうまくまとめられるのかちょっと分からない。まあそもそも「ダーウィン事変」原作からして読んでないんですが。
 アクションは割と良かったですしまんまターミネーターな世界観自体も割と昨今叙情性を観るとリアリティがないわけでもないんですけど、エルシーという概念がポリアモリーや(疑似)近親婚を描きながらも明らかに突き詰めが足りず、既存の価値観を揺さぶるどころかかえって異性愛規範を補強してしまっている。あんだけやって女性同士や男性同士(さらに複数性を持たせることもできたはず)のエルシーがほとんど描かれてないのもなぁ。そもそも歴史的に観れば複数婚の方が支配的だったと言われてるし、ジョン・ボスウェルの報告を信じる限りでは昔の方がもっと多様だったので、未来の方が遅れてるという。
 あとLC計画もなぁ…死に設定とはいわないけれどそれが物語上の意味がないのと、世界観に厚みを持たせるほどの描写がなかったのが。アウトサイドシリーズも同様。
 まだロックマンゼロを模倣した方がよかったのでは。

「嘆きの亡霊は引退したい 第2クール」
 破産富豪と合わせて小野賢章の主役が自分の意図した方向と真逆に進んでなぜか評価が上がっていく謎ジャンルの一つ。基本的にやってることは同じ。これも構造(というか構成)反復的ではあるのですが、「転生悪女」と違って舞台を変えたりキャラを増やしたり別キャラの視点を交互に描いていたからか飽きが来なかった。というよりも向こうが主人公一人でほぼ回していたのに対してこっちはキャラ立ちしたキャラがたくさんいたことが強かったのかもしれまへん。

「忍者と極道」
 悪くはないのだが、同じスタジオDEENでは「転生悪女~」の方が「安くて美味しい」が上手く達成できていた印象。
 もっとも原作の魅力も躍動感というよりは止め絵(やセリフ回し)の外連味によるところが大きいので、アニメも原作と同じ方向性を志向するのだとしたらどれだけリソースを費やしても高級なカップラーメンみたいなことにしかならない気も。それが悪いというわけでは断じてないのですが、それが幸福なアニメ化なのかどうか。
そもそもバジェット等を考えるとそこまで期待されているわけではない(いわゆる覇権を取る・取りに行くようなものを作り手が意識していないという意味で)はずで、どうあがいても器用貧乏にしかならないのが分かっていたのでそういう指摘は酷なのかもしれませんが。
 味方の生死に対して割とシビア(今回アニメ化された部分だけではないですしね、死亡者でるの)だし、そういう意味での緊張感はなくもないのだけれど、勢いが良すぎるのとインスタントに感動できてしまうせいであまり後を引かないのですよね。お兄ちゃんは割とショックでしたけど。

「野原ひろし 昼メシの流儀」
 ミームミームになった。「まるで実写」とか「領域展開」とか、極めて一部の界隈でのみ流通するミームとしては優秀だが、それ以外の何かを残したのだろうか。ネタ的に呼称されていた「偽ひろし」というシニフィアンがCVが森川へと変更されたせいでシニフィアンを伴ってしまったような妙な感覚が。個人的にはTFPで両軍トップを森川と藤原がやっていたのでそういう逆に分かりやすいというか。

「破産富豪 The Richest Man in GAME」
 ☆☆ベター☆☆を参照。


「不器用な先輩。」
 社会人恋愛ものだが、やってることは思春期のジャリと大差ないのでは。要するにそこに(年齢的、上下関係的)ギャップ萌えみたいなのを見出せるかどうかというところなのでしょう。CV斎賀みつきのキャラクターの扱いが不満。扱いというより、そこにレズビアンの可能性を生じさせればもっとキャラクターの緊張関係が生じたはずだろうに、結局はメイン二人を祝福するモブに収まってしまうというのが。そしてそれを本人に言わせるのが。せめて本当は主人公のことが好きだけど、ヘテロだから諦めてるみたいなことがあればなぁ。いや、CV斎賀力(ぢから)にはそれを読み取ることのできる中性性があるのですが。

不滅のあなたへ Season3」
 シーズン3は全22話ということで最終評価はまだですが、寄生獣みたいな話になってきたなぁと。Season1~2は言ってしまえばヒトから人へとなること、その営為の極点としてのノッカー=エイリアン=絶対的他者との戦争というスケールの大きな話だったものが、今度は個人の実存を巡る話にミクロ化している。前期ですでに魂の概念が出てきてしまっているし、普通に自己の連続性を保ったまま死んでは復活するというゲーム的戦術をノッカー戦争で使ってたので、ノッカーとの共生とか自己同一性の話って横滑りしていないだろうか。戦争時のその手法は「魂=自己同一性さえあれば身体は完全にモノ化して扱ってもよろしい!」という唯心論に基づいた唯物論というかプラグマティックが極まった戦法を展開するのがハチャメチャで面白かったんですけど、それを持ち越したまま寄生獣チャレンジは前提から破綻しているような。だからこそフシが悪戦苦闘している、というギャップそれ自体は微笑ましいといえば微笑ましい。首領パッチの「効きません、バカだから」からの「でもバカでも痛ぇ~」という悲痛と同じものとして。
血みどろだったり化石のようなオタク描写みたいな気になる部分はありますが。
 あと相変わらずOPが本編ダイジェストなのはいかがなものか。それに対してEDは毎度ハイソなのでイーブンってことでしょうか。

「陛下わたしを忘れてください」
 CV細谷がメインヒーローということで私ホイホイ。聖女的な寡婦という設定がいかにも女性向けエロマンガ的というか。親の認知を巡る話と考えると主人公の自尊心よりも子供のことを考えたらどうかと思わなくもない。

ポーション、わが身を助ける」
 フラッシュアニメ的な、妙なノスタルジーを喚起させられた。奴隷という概念の扱いがあまりにも軽いのは流石にどうなのか。いや異世界とはいえ主人公はもうちょっと忌避感を示すべきでは。

魔法少女まどか☆マギカ 始まりの物語/永遠の物語」TV Edition
 狩野英孝のコメンタリーつきで観る。劇場版の総集編をさらにTV用に再編集したもの、ということなのだが数年前に一度見た切りなので細かい差異を覚えていない…。熱心なファンというわけでもないですし。とはいえやはりその面白さは変わらず。

「無職の英雄 ~別にスキルなんか要らなかったんだが~」
 見れるタイプのなろう系。これは多分にCV小野賢章のちょうどいい塩梅によるところと、作画のへぼさ・ゆるさが上手くかみ合った結果かと。かといって別に良いアニメというわけでもなく。母親が最強の剣士というのはいいのだが、まさか剣術に長けたヒロインにマジで姑修行をさせるだけにしてヒロインも母親もまともに活躍させないとは思わなかった。

モンスターストライク デッドバースリローデッド」
★★ワースト★★を参照。

「野生のラスボスが現れた!」
 オバロ枠。「最後にひとつだけ~」のようにEDで先行してネタバレしていくスタイル。男がメスエルフ(とか煽情的に書いてみる)の体に入ってロールプレイしてたら実はゲームの世界とはちょっと違うということが判明する…というのは「マイノグーラ」と同じ感じで、ゲーム世界をメタる方法としてそれしかないのかと。オバロから10年経っているわけですし、そろそろひねりが欲しい。とはいえまだ続くので視聴継続。

「矢野くんの普通の日々」
 片目で物をみていると空間を立体的に把握するのが難しくなり脳に負担がかかって頭痛を引き起こしたり疲れやすくなるので、矢野くんの不注意ってそれなのでは。フィクション度の高いアニメではそういうこと考えたりしないんだけど、これは割とマジでそういう気がする。生まれつきではないしそもそも眼帯着け始めたのも割と最近ぽいし適応されてないでしょう。
 脇のキャラの方が見ていて楽しいんですよね、この手のアニメ。基本的には脇のキャラがメイン二人(予め潰されているポリアモリー…)の恋愛をあれこれ弄りながらキューピッドになって祝福するので、何というか水戸黄門的なお約束というか決まった類型の一つだからこそ手を変え品を変えマイナーチェンジを繰り返しながらコンスタントに作られるのでせう。
 自分もそういう意味でジャンル的お約束と戯れることは嫌いではないのだけれど、このアニメは恋愛感情を逆手にケアを正当化しているようにも見えるのがなぁ。これが例えばケアラーが男子で一人っ子でガチガチの運動部で、とかそういうジェンダーロールを逆転させるようなものだったりすればまた違うものが見えそうだったんだけれど。
  

らんま1/2 第2期」
 良くも悪くも普通。

「龍族Ⅱ -The Mourner's Eyes-」
 第1期は「作画すごいなぁ」と思いながらあまり話は入ってこなかったというか、中国アニメに独特のノリについていけないままキャラも多く勢力図も判然としなかったので話が呑み込めなかったのだが、キャラが定まってきたおかげか割と話を咀嚼できるようになってきてからは割と面白い。
 やたらとゴアな描写があったりアクションシーンでFPSをやたら高くする、その妙なサービス精神は若干ありがた迷惑でもあるんですが。
 それにしても学園設定といい主人公の設定といい(そもそもの導入といい)ハリポタってアジアでも人気高いですな。まあメイキングオブハリーポッターの客もアジア系の人多かったですし(そもそもこの施設がロンドンと東京にしかないからアジア圏の客が流れるというだけなんだろうけど)。

「Letʼs Play クエストだらけのマイライフ」
 北米のコミックを、ポケモンシリーズを多く手掛けてた冨安大貴が監督で日本製作のアニメという座組。その原作のエッセンスがそうなのか、アニメというよりはドラマっぽい空気感。社会人の恋愛(?)ものではあるのだけど、その主人公がゲーム制作者というのが現代的。といっても、ゲーム制作それ自体はあまり描かれないというか(そもそもインディだし)、それ自体はむしろサムが社会化された大人として成熟するための一つのステップにすぎないという印象。
 だからこそ最後にくっつく(?)のがチャールズなわけですし。当初こそ乙女ゲー的なお話なのかと思いきや、そのうちの本命かと思われた一人マーシャルには当初から恋人がいるし、一番サムが積極的にアプローチをしかけたリンクは思わせぶりな行動を取りこそすれ拒否されるし。何となくリンクは自認のないセクシャルマイノリティな気もするんですけど、そこは特に掘り下げはなかった。
しかし振り返ってみると今期は社会人の恋愛ものがこれと「不器用な先輩。」「デブラブ」と三つあったわけで、学園が舞台ではないものも増えてきた印象。ここ1~2年でくくっても「この会社に好きな人がいます」「結婚するって、本当ですか?」もあったし、昔ならドラマになっていたであろう(少なくともそっちを経由していたであろうもの、実写化した上でアニメ化した)ものがアニメに回ってきている感じもあり、アニメバブルの余波と言う気もする。それにしてもなんかお菓子メーカーの比率多いな?

「羅小黒戦記」
 デフォルメされたキャラデザのまま良作画のFLASHアニメなんですけど、これが原語版は2011年に作られていたというのが。映画版の「2」は実はまだ観ていないのですが、それはともかくとして2011年なのに題材が(中盤以降は)ゲーム内世界での話にもなっているというのがむしろ今っぽく現代的なのが時代とのリンクも何気にあるという。現在のゲーム世界没入系の流行りの嚆矢であるSAOですらアニメは2012年であることを考えるとその先駆性は今の中国の勢いを感じさせる。といっても中国も頭打ちになっているけど。
 映画の方も併せて、このシリーズはアニメ界においても重要な気がする。

「私を喰べたい、ひとでなし」
 ぬめぬめした魚人が横にいるのに主人公の方がずっとじめじめしていた。正直、こういうタイプの主人公は苦手なので最終話までずっとそんな感じだったのがきつかった。だもんで、断然私は狐ちゃん派。そういうわけで4話が至高(主にEDによる)で、あそこで狐がサブじゃなくて明確にメインキャラとして立ったからこそ乗り切れたというのはあるが、あんだけ根明の献身があってウジウジしてるのが余計にイラっと来るというのはなくもない。いやまあ分かるんだけど、落ちた人のメンタルケアとかアニメでまであまり見たくないというのが本音だ。上田麗奈のああいう演技というのも苦手ですし。演技巧者だからこそ、ではあるんだけど。でもまあ上田・石川・ファイルーズで持ってたというのは間違いない。


「ワンダンス」
 ★★ワースト★★を参照。

 

ワンパンマン 第3期」
 作画のことでずっと叩かれていて不憫だなぁと思いつつ、逆に言えばワンパンマンのアニメとは作画しか観られていなかったのだなぁとそのファン層の狭さそれ自体がこのコンテンツの限界を露呈しているような気もする。


渡くんの××が崩壊寸前」(2025夏~秋アニメ)
▼がっかり▼を参照。

未見
「うごく!ねこむかしばなし」
「科学×冒険サバイバル! 第2シリーズ」
かくりよの宿飯 弐」
仮面ライダーゼッツ」
「キャッツ♥アイ」
「キングダム 第6シリーズ」
「ケンガンアシュラ Season2 Part.2(TV放送)」
「コアラ絵日記」
「JOCHUM シーズン2」
「SHIBUYA♡HACHI 第4クール」
シルバニアファミリー フレアのワンダーデイズ」
SPY×FAMILY Season 3」
「ディズニー ツイステッドワンダーランド ザ アニメーション シーズン1「エピソード オブ ハーツラビュル」
「とんでもスキルで異世界放浪メシ2」
僕のヒーローアカデミア FINAL SEASON」
「2200年ねこの国ニッポン」
藤本タツキ 17-26」
「マーベル・ゾンビーズ
「味方が弱すぎて補助魔法に徹していた宮廷魔法師、追放されて最強を目指す」
「MUZIK TIGER In the Forest 第2期」
百姓貴族 3rd Season」

2025年夏アニメ

「ベスト」「ベター」「グッド」「グッド未満、部分的に良い」「がっかり」「ワースト」の6段階にランク付けし、ランク漏れの選外も含め各アニメへの雑感を綴ってみました。「がっかり」は期待値からの落差が大きかったもの、「ワースト」は必ずしも悪いわけではないが強烈な不満があったものになります。
なおベストワースト枠のアニメへのコメントは文章量が多くなってしまったので冒頭に作品名だけ列挙してあります(順不同)。

以下ベスト・ワースト、その他選外の雑感。

☆☆☆ベスト(順不同)☆☆☆

「ぷにるはかわいいスライム 第2期」
ベイブレードX」(2025春アニメベスト)
cocoonコクーン) ~ある夏の少女たちより~」
TO BE HERO X」(2025春アニメベスト)

☆☆ベター☆☆

「New PANTY & STOCKING with GARTERBELT」
「光が死んだ夏」

☆グッド☆

「瑠璃の宝石」
美男高校地球防衛部ハイカラ!」
渡くんの××が崩壊寸前」(2クール目からの加点)
2クール目の前半は中々面白かったんですけどね。振り返ってみると後輩ヒロイン梅沢も何だったのこいつ感がぬぐえない。あと眼鏡君と一瞬付き合ったのは一体何だったのかと。いや要するに迂遠なカマチョというのは分かるけど、思わせぶりな展開がすべて本当に思わせぶりなだけでその後特に何かあるわけではないというのが。
読者(視聴者)を傷つけないように、ということなのかわからないのだけれど、こういうのはなろうとか転生ものに任せていいと思うのでせめて恋愛ぐらいは視聴者を傷つけに来て欲しい。それくらいの真面目さはあったはずなんだけどなぁ。
収まるところに収まってしまったな、という印象しかない。これで梅沢とくっついてたら神だったんだけど(負けヒロイン枠は委員長に任せて)。
そういう意味では委員長ちゃんの芸能界デビューが一番いい具合に予想外で(実際に奥手な人が意外とああいうことになるというのはあるけど)良かった。まあ、なんか、あまり良い未来が見えてこないんだけど、それは多分私がエロ同人脳なせいかもしれない。

▽グッド未満、部分的に良い△

「うたごえはミルフィーユ」
「Turkey!」
「陰陽廻天 Re:バース」
「新星ギャルバース」

▼がっかり▼

「サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと」
「ブスに花束を。」
「鬼人幻燈抄」(2025春アニメベスト)
「よふかしのうた Season2」
「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」

★★ワースト★★

「ぷにるはかわいいスライム 第2期」



↓以下ランクインしたアニメへの雑感

「ぷにるはかわいいスライム 第2期」
1期は楽しみつつもそこまで何かを感じることはなかったのですが、ルンルの覚醒(?)や新キャラのジュレのおかげでぷにるの人格や玩具としての存在理由のようなものが揺らいでいたのがとても興味深かったです。
ピグマリオンコンプレックスの逆照射ともいえるようなジュレの願望とその達成(の挫折)は、「ホビー」としてのぷにるに一蹴されるかと思いきやそう単純な落としどころにはしないあたりなども秀逸でした。
ピノキオからスピルバーグの「AI」(の原作となったオールディスの小説)まで、人形(ヒトガタ)が人間への憧憬を示す話とその裏返しとしての「トイ・ストーリー」的なテーマを盛り込んで軟着陸させた感じでしょうか。
賛否の分かれる「トイ・ストーリー4」は結末も含めて賛成派ですが、「ぷにる」はそれともまた違い「人間と玩具」を上下でくくらない関係性、西洋的価値観の被造物的なものとは違う玩具の視点を再発見させてくれたのが素晴らしかったです。
これを拗らせると押井守イノセンス」になり、反転アンチになるとリドリー・スコット「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」になるんじゃないかなーと思ったり。

ベイブレードX」
テンプレからのズラしと徹底ぶりが巧み。例えばメイン3人(今期から+1人)のキャラにもそれが見られるのですが、3人の中でもっとも主人公然としているキャラクター(風見バード)が第二期最終話に至ってなお試合での勝ち星がなく(厳密には1勝しているのですが、相手がわざと負けた)、ラストバトルで友情パワーかつ一度限りの不意打ち的戦法でも引き分けるほど徹底して勝たせない。しかし、その引き分けという結果がしっかりと新メンバーの見せ場を与えつつ(この新メンバーは今まで負けなしだったがラストバトルで因縁の相手に負ける)、劇中で負けなしの主人公(黒須エクス)が章ボスを倒すという。最初から最後まで勝敗によるキャラ付けを完徹する手際も見事。

また今期のエピソードでは特にジェンダー(攪乱)描写において中々の離れ業をやっているようにも思います。それは89話から本格的に登場し90話で活躍を見せる九尾ヨウコというキャラクターにおけるジェンダーの描き方(描かなさ)についてです。
この九尾ヨウコというキャラクターはその名前の通り九尾の狐をモチーフにしたキャラデザかつベイブレードを使うキャラであり、当該の話では新型のベイブレードを作ってもらうために登録者至上主義の配信者かつベイブレードのクラフターでもあるパックンというキャラクターのもとを訪れます。
九尾の狐は傾国の美女としても形容され、その美貌を使って権力者をたぶらかして破滅させる、いわばファムファタルな存在としても描かれることが多いモチーフであることは承知の通りです。実際、当該の話でも九尾ヨウコはパックンをおだてて(たぶらかして)新しいベイを作らせ、さらに彼を煽って試合をセッティングさせます。
この話からも明らかなように、この九尾ヨウコというキャラクターはそういう悪「女」的な、女性キャラクター然として描かれます。実際にキャラデザも金髪のロン毛で赤いアイシャドーをいれるなど顔貌は女性的に描かれています。大きめのコートを羽織りパンツにタイツ(ブーツ)と、ボーイッシュ・メトロセクシャルな服装をしていますが、一見すれば女性キャラクターとして認識する人が大多数でしょう。
 しかし、そのCVは豊永利行なのです!彼はどちらかと言えば中性的で高い声というよりはいわゆるイケボよりな声質であり、私自身もそう認識しており寡聞にして彼が「こういったキャラ」の声を当てているというのは覚えはありませんでした。
 かといって、露骨に違和感のある甲高い声...要するにオカマを即座に連想させるような発声ではない。現に、私は本編視聴中「男性声優か女性声優かどっちだ?」といった具合で、7:3くらいの割合で女性声優の可能性も考慮していました。
女性的なビジュアルとモチーフを採用しながら、CVは男性というジェンダー攪乱が起こっているように見えるわけです。とはいえ「一見すると女(男)だが、実は男(女)だった」というキャラクターはアニメにおいてはありふれているし、それだけをもってジェンダー攪乱などとのたまうつもりはありません。
 なぜなら、その手のキャラクターは往々にして「実は男(女) でした〜」という「オチ」に回収されることがほとんどであり、結局のところはクリシェと化した定型にすぎないからです。はい、ここに私が「着せ恋」を評価していない理由の一端があります。
 九尾ヨウコが画期的だったのは、そのジェンダー/セックスを最後まで明示しないところにこそあります。むしろ、劇中においてすら九尾ヨウコのジェンダーについてはそもそも俎上に載せられることがありません。それを殊更に問題にしないのです。
 セッティングされた試合相手の万獣クインも「狐に化かされたか」とはモノローグで言うものの、人をたぶらかす悪女に対して「女狐」というセリフが用いられがちですが、そのようなジェンダー断定的なセリフではなく、明確にジェンダーの切り分けを行っていないのです。だからこそ九尾ヨウコが男性であるという逆説も可能ではあるし、実際に九尾ヨウコのセックス (身体的性)が男性であったとしても、繰り返しになりますがそれをくだらない「オチ」に回収することはしないのです。これこそが、九尾ヨウコというキャラクターを巡る表象の画期性だと言えると思います。
 さらに、そのような人をたぶらかすような行動を取りながらもその実力は折り紙付きであり、強キャラである万獣クインを真正面から打ち破る快挙まで成し遂げます。
そもそもカリスマ的な強さを持つクインという女性に憧れプロブレーダーになった過去が回想されるのですが、これも一つのジェンダー攪乱要素であり、さらに言えばクインという旧世代のコンサバな (っていうほど保守性はないのですが) 女性ブレーダーが九尾ヨウコのようなキャラに打倒されるというのも中々にアツいです。
ファムファタール的な表象をされながらも決して性根の悪いキャラというわけでもないというあたりも一種のテンプレからのズラしだと思われます。
また「ぷにる」はワーストにも入れましたが、ベイブレードX…というかボーイズトイ/ホビーアニメは「カワイイ」に回収されないビジュアル的にもゲテモノな「カワイクナイ」ものをも舞台上に上げて魅力的に描くことのできる裾野があるのではないか。それを捨てキャラがいないことでこのアニメはある程度の証明をして見せたように思います。

cocoonコクーン) ~ある夏の少女たちより~」
六月に一度放送済みですが、夏にも再放送して改めて良かったので。
あそこまでキャラデザをジブリに寄せるならもっと徹底すればまた別の何かが立ち現れてきたんじゃないかとも思います。
キャラデザというより動きを含めたビジュアル設計ということなのでしょうが。
監督は「なつぞら」にも参加していた新進気鋭。そちらは未見ですがインタビューではジブリからの影響も公言しているのでさもありなん。
花=血の表現の美=酷のファンタジックな表現を原作よりも原色よりの色調にすることでよりファンタジー度が上がっていて説得力が増していて良かったです。
顔を見せない(見せる)演出が戦争映画で(ツカシンの野火など)往々にして観られる理由もそこにあったりするのかなと。
メル・ギブソンの「ハクソーリッジ」の野心も改めて認識。

TO BE HERO X」
2クール目は特定のヒーロのオリジンの比重が多すぎるきらいがあったものの、単なるキャラ紹介だけでなくストーリーも同時に展開はしていたのでダレることはあまりなく(ラッキーシアン部分はちょっとモタついたと思いますが)走り切った印象。
まさかヒーローの紹介だけで終わるばかりか肝心の「X」のオリジンをED映像でさらっと済ます手際など、「スパイダーバース」以降の映像表現なども含め挑戦的な作品でした。
オリジナルかつヒーローを題材としたアニメとしては日本型のヒーローパロディものよりもよっぽどヒーローという概念に対して思考した作品でした。
ただもしも続編がありストーリーが展開された場合は尻すぼみになる気も。

☆☆ベター☆☆
「New PANTY & STOCKING with GARTERBELT」
相変らずパロディの一点突破でゴリ押すので気兼ねなく見れました。
ファンタスティック4にぶつけてきたのはどうかと思いましたが、本家よりパロディの方が面白いという珍事が余計に面白さに拍車をかける結果に。
ワイルドスピードネタや後半~最終回の「俺たちファミリー(ガーディアンズオブギャラクシー?)」路線とエピローグのパンティ&ブリーフのロマンティックラブからの二代目ネタは、まあ(ハリウッドあるいはセルフ)パロディ屋としてのTRIGGERの限界ではあるので別にがっかりとかはしないのですが、そろそろ別方向に行ってもいいのでは。

「光が死んだ夏」
BLホラー。アニメでホラージャンルでしっかりエロいというのは中々無いのでは。個人的には今期で一番エロかった(シーンのある)アニメ。
ホラー自体あまりアニメでは観ないのでこの調子で頑張って欲しい。ただOPは映像はともかくVaundyの曲は好きじゃないです。

☆グッド☆
「瑠璃の宝石」
オブジェクトというか人工物全般の描き方とキャラ、およびそれらのレイヤーを包摂する世界としての背景(自然物)それぞれがテーマと一致した高水準なクオリティで描かれていて感嘆しました。
ただ自転車の扱い(キッズリターンにおける淀川評的な)が優れているだけに、クーパー全話登場しなかったのが残念。キャラ・アーティファクト・ネイチャーの三位一体のバランスがそのせいで不安定に見えます(エロによる人間中心主義…)。
というかキャラを生き生きと描くのにああいうエロフェチじゃないとダメな縛りでもあるんでしょうか。あれがまあまあノイズでした。

美男高校地球防衛部ハイカラ!」
最終回で猫アニメ全般をメタるという力技。
最終話の「食い物としてでも人に愛されたい鶏」という中々のグロテスクな話も含め、社会風刺(というかSNS含めた承認欲求風刺)として良い塩梅のアニメでした。
変身後コスチュームのジェンダー攪乱デザイン含め、このシリーズは初見だったのですが実は要チェックなシリーズだったことに今更気づきました。

渡くんの××が崩壊寸前
「黒岩メダカ~」「山田くんとレベル999~」などにも感じましたが、アニメ化に際してキャラデザが平板化・フラット化されることで魅力や説得力が減じるタイプの作品はあると思うのですが、これも同様の類型のように感じました。
序盤から1クール目の中盤までは退屈だったのでグッドに入れるつもりはなかったのですが、Fカップちゃん(劇中他称)の元カレ(ではない、厳密には)のキモさや同じく彼女の母親の、毒親とまでは言えないがヤバ気な雰囲気のある感じ(でも話したらまともだった)など後半から面白い要素が出てきて評価が上がり、2クール目になってFカップちゃん自身も闇がありそうな不穏さがあるというか、性的なものに対するある種のオブセッションがあり、それが愚行に繋がっているきらいがあるのもリベンジポルノなどを考えると妙なリアリティを感じさせます。
そういったものを含め高校生の性愛を割とちゃんと描こうとしているのも他のカマトトぶった恋愛ものに比べると誠実で好感が持てます。
渡くんが「普通」の恋人関係(ヘテロ、モノガミー)に拘泥することがかえってポリアモリー的な可能性の揺さぶりをかけているように思え、作り手の意図とは別に既存の関係性に対する疑念を差し挟んでいるところに良さがあるのかなと。

以上1クール目まで
以下2クール目の所感
2クール目の前半は中々面白かったんですけどね。振り返ってみると後輩ヒロイン梅沢も何だったのこいつ感がぬぐえない。あと眼鏡君と一瞬付き合ったのは一体何だったのかと。いや要するに迂遠なカマチョというのは分かるけど、思わせぶりな展開がすべて本当に思わせぶりなだけでその後特に何かあるわけではないというのが。
読者(視聴者)を傷つけないように、ということなのかわからないのだけれど、こういうのはなろうとか転生ものに任せていいと思うのでせめて恋愛ぐらいは視聴者を傷つけに来て欲しい。それくらいの真面目さはあったはずなんだけどなぁ。
収まるところに収まってしまったな、という印象しかない。これで梅沢とくっついてたら神だったんだけど(負けヒロイン枠は委員長に任せて)。
そういう意味では委員長ちゃんの芸能界デビューが一番いい具合に予想外で(実際に奥手な人が意外とああいうことになるというのはあるけど)良かった。まあ、なんか、あまり良い未来が見えてこないんだけど、それは多分私がエロ同人脳なせいかもしれない。


▽グッド未満、部分的に良い△
「うたごえはミルフィーユ」
バンドものの亜種だが、アカペラ題材は「楽器(演奏)」というノイズがなく作画カロリーが低いはずなので純粋な声のハーモニーに集中しやすかったです。
アニメとしてそれでいいのだろうか、という気持ちもありますが元のプロジェクト的には問題ないのでしょうか。
MyGoのギスギス(どろどろ?)を解毒しマイルドにすることで得たものと失ったものがありそう。
プロ志向とエンジョイ志向が同じ部に同居(必ずしも同和してはいない)しているのも良いです。
主人公のネガティブ思考も「ブスに花束を。」ほどの白々しさがないというか、戯画化のチューニングがこっちは上手いのではないか。 

「Turkey!」
出オチだがオリジナルアニメゆえの展開の読めなさで最後まで走り切った。
OPのバンド要素が本編にまったく関係ないミスリードだったことや良くも悪くもご都合感が上手く作用していたかなと。ただ記憶からはすぐに風化しそう。


「陰陽廻天 Re:バース」
ループものとしては今期の中では尻上がりで面白くなっていった。当初の期待値が低かったというのもありますが。
ヒロインがラスボスだったりヒロインよりも他の男性キャラと主人公の絡みの方が濃厚だったり、BL要素が多く意外性は今期ナンバーワン。
惜しむらくはバトルがイマイチだったところ。せっかくの怪獣バトル要素を活かしきれていない。

「新星ギャルバース」
80~90年代ノスタルジー(声優的にはゼロ年代も含む?)を現代にそのまま持ってきた感じ。
単話でプロローグ的な話で終わっていますが、押井守の件で言えばOVAの系譜としてミルキーサブウェイとは別ベクトルで継承されている?

▼がっかり▼
「サイレント・ウィッチ 沈黙の魔女の隠しごと」
魔女ジャンルに対しては無根拠に一定の期待を持ってしまうのですが、魔女ものというよりは単なる女性向け願望充足ものの側面が強かったです。
OP・EDに羊文学というのも無駄に期待値を上げられてしまった要因かもしれません。
なんにせよ私の嫌いなカマトト主人公の系譜というだけで割と評価が下がってしまうので評価がフェアではないことは自覚しております。
この手のキャラの嚆矢はカードキャプターさくらだと個人的には思うのですが、彼女は小学生であり積極的にフィールドに出ていくのでその点においてはむしろ好ましくも思っています。
しかしこのアニメの主人公は17歳と設定されており、成人(大人)と未成年(子ども)の美味しいとこをチェリーピッキングしています。
ファンタジー世界において17歳という年齢の持つ現実世界のその「あわい」性をエクスキューズなしに持ち込むことの理論武装の弱さを指摘するのはまあ野暮かもしれませんが。
七賢人という権威を持ちながら他の賢人すら驚き屋にする能力を持ち、ある意味での完成された大人性を持っていながら、年相応に学生としての身分を謳歌する。
願望充足ものの悍ましさが、主人公のネオテニーなキャラクター造形(他のキャラクターとの関係性も含め)の狡猾さによってブーストされているように見えます。
おそらくは作り手も無意識なのでしょうが、7話「悪役令嬢」の回は特にその悍ましさが全面展開されているように見えました。
主人公モニカが直接の被害者であるにも関わらず、彼女が関知しないところで生徒会的な組織が加害者の罪と罰を決め、ハンムラビ法典も真っ青な幼稚なザマァ展開を「主人公不在のまま」繰り広げるのです。
ここに主人公の「無垢さ」が完全に保たれるのですが、10話における彼女の学生時代の友人のルサンチマンのエピソードも、自身の持つ権力性に無自覚であることが何ら問題視されずルサンチマンの友人は勝手に忖度してしまうのです。
我ながら表現としてどうかと思うのですが、塩田明彦『害虫』における宮崎あおい演じるサチ子が世界に領域展開をするとこんな感じなのでは、と思わされる悍ましい作品でした。


「ブスに花束を。」
視聴者に思い出させるように「わたしのようなブスが~」と折に触れて自己卑下をするものの、上野くん含め誰も田端の容姿について(ブス)の言及がない(しょっちゅうモノローグ描写のある恋敵である鶯谷でさえ)。
それが一種のポリコレ的な要請によるものなのかはともかく、ブスという要素が田端の自意識過剰さ・奥手さ(=読者/視聴者の共感要素)の方便としてしか機能しておらず形骸化しているように見えます。
当の上野くんが一話目からイケメンムーブを田端にかましているのもあり(八方美人ではない)、実質的には少女マンガのテンプレをイジってこそいるもののそこから逸脱するものはない。
意地の悪い見方をすると上野くんが田端を好きになる理由はヘテロ優位なロマンティックラブイデオロギーの磁場を無根拠に受け入れているため、田端の女性性(「花」の手入れ=ケア=サポート)に好意を持ったと読み取れてしまう。もしくはただのB専か。ギャルの扱いもよくわからないです。
ルッキズムやブス・ブサイクのメディア上の扱いについて個人的な関心があるため妙な熱量を持ってしまいましたが、この作品自体にはそこまで思い入れはありません。


「鬼人幻燈抄」
1クール目は良かったのですが2クール目に入ってからちょっと擁護ができないくらい作画がガタガタに。
加えて1クール目では人情話的なヒューマニズムとエグい話の面白さで見えていなかった歪な構造が全面化してきたことで評価が反転。
ヴァルネラビリティの肯定や称揚されがちな「純≒無垢」のような中心的価値観をあえて敵に仮託し、主人公がそのオルタナティブな価値観を担い敗北しながらどちらも肯定するといったバランスも良かった。
のですが、それを支えるのが極めて男女二元論的な古めかしい価値観!
男性キャラクターは往々にして己の美学に準じて自己陶酔のうちに死ぬことで主人公の糧(武力的あるいは精神的な)となりながらも彼の前から消える。
一方で女性キャラクターは端的かつ露悪的に言えば彼のハーレムを為す形で延命させられる。
単純なハーレム図式だけではない(仇として忌避されたが時間の経過という抽象性によっていつの間にか思い出になって赦されたり)ものの、ほぼすべての女性キャラが主人公を慰撫する存在として描かれる。
血縁のない子どもがいるのですが、それが娘というところが「あれ、これなろうとか転生と同じじゃ?」と思い至りました。
一見ハーレムに思えないのはすでに白雪という、死ぬことによって主人公の中で永遠になるキャラがいるからなのですが、今時それ自体を無批判に受容するのは難しい。
まあ、明治時代という時代設定なのはそれを成立させるためなのかもしれませんが。あと鬼の存在にリアリティを持たせるため、というのもあるでしょうが。
結果としてこのような「男の美学」と「女の情念」をてらいなく描けてしまう下地ができあがっている。
ようやく宿敵の妹が配下(娘の鬼が二人!)を連れて登場したと思えばそれは思い切りスルーしてラスト2話は「そういえばいたなそんなキャラ」程度の登場しかしてない現代篇のヒロイン(?)の攻略という暴挙。
時代を超えたロマンスといえばいいのかもしれませんが、2クール目の怒涛のハーレム形成はドン引きしました。

「よふかしのうた Season2」
原作者のノスタルジー趣味に共感できるかどうかでドライブできるかが決まるような気も。
主人公の中学生という設定は要するに「恋愛(性)」への目覚めを描くためのギリギリの年齢設定だったのだろうけれど、そのせいで「お前本当に中学生かよ」と思えてしまい妙に達観していて気持ち悪いです。
CV沢城の眼鏡パイセンも普通にクズだったのにそれを普通に許容する主人公には達観を通り越してドン引き。釈迦ですか。
分かってはいましたが、主人公にアロマンティック/アセクシャルなものを見出していただけに、ふっつーのロマンティックラブイデオロギーに回収されそうな空気がぷんぷんで萎えました。


「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」
まだ続くようなので判断保留ですが、これを百合として認めたくない自分がいます。
百合というよりもドストレートに男性の(性的)欲望を満たすためのものに見え、百合のコードは竹嶋えくの原作のキャラデザだけではなかろうか。
やたらと胸を揉んだりキスをしたり、入浴シーンが多かったり、恋人/親友のスイッチングが一種のBDSMにおけるセーフワード的隠喩に見えたりはするが、かといって百合を超えてレズビアンに到達するわけでもなく。
一昔前の男性読者向けラノベの男性キャラを女性に置き換えただけのようにも見える。つまりハーレムでは。
ポリアモリー路線もありえるが「恋は双子で割り切れない」的な主役にご都合なハーレムオチになりそうな予感もあり、今期では1話で期待していただけに落差が大きいです。
あと屋上とそこからの落下のモチーフを使ってるのに演出がしょぼいのもどうかと。というのはさすがにないものねだりがすぎるのですが。

★★ワースト★★
「ぷにるはかわいいスライム 第2期」
ぷにるだけではなく、アイドルアニメ…ひいてはほとんどのアニメに言えることかもしれませんが、すべてを「カワイイ」に回収しようとする非常に強力で中心的なイデオロギーホビーアニメという(かつての?)アニメ産業の主戦場で拡大再生産し続けていることに問題があるように見えます。
同様の理由から「アイプリ」や「プリキュア」についても同じ問題を含んでいると考えていますが、ぷにるだけをワーストに置いたのは、「カワイイ女の子」が「女の子=カワイイ」という価値観への短絡という危険性を含んだセリフを劇中で明言している点です。
現代ではリタ・フリードマンが指摘しているような問題ですが、少なくともこのジャンルにおいてはそれが検証されることなく再生産され続けているように思います。
私が「ガールズ~」系のアニメが苦手なのは、その「カワイクナイ」ものの排他性にあります。「ガールズバンドクライ」や「バンドリ」で「THE SHAGGS」ができるのかと。
あるいは同クールの「その着せ替え人形は~」もルッキズムの問題を取り入れることは可能なはずですが、すでにその可能性は潰えているので▼がっかり枠▼にも入れてませんが。
「カワイイ(KAWAII)」の功罪についてはもう少し考えてしかるべきだと思います。「ぷにる」が良くも悪くも巧みなのは、ぷにる自体はスライムであり無性かつ非人間であることで性的な回路を周到に避けていることでしょう。
それによって例えば性的なフェチとしての「ボクっ娘」を非性的なものとして受容できるという達成(これは「ベイブレードX」のマルチというキャラにも見出せる)などもあると思いますが。
ちなみに「▼がっかり▼」枠に「ブスに花束を。」を入れているのも(まあ最初から大して期待してませんでしたが)同様の観点からです。「ブサメンガチファイター」は論外です。
また「クレバテス」でCV悠木碧のキャラが蘇生した際に可愛くなったことにも正直かなり落胆しました。「不細工が乳母」という露悪すら徹底できないのかという点も含め(あるいは露悪的にしかカワイクナイものを描けないことも)。
「カワイイ」にすべてが回収されてしまうこと、「カワイクナイ」ものが捨象される危険性については、アニメに限りませんが「ルッキズム」という枠を拡大してもっと考えるべきだ、という問題意識から「ぷにる」はワースト枠でもあります。



↓以下に選外の各アニメ雑感↓

特に分析する価値はないと思いますが、なぜか赤いミニクーパーが今期はやたらと登場していた。
怪獣八号の0話で糸目の隊長が乗っていた、ノクロノミコの話でもママの車がそれ、瑠璃の宝石はいわずもがな。権利クリアが楽だから?デザインがかわいいから?
ミニミニ大作戦」といい、なぜかミニクーパーという車種単体で取り上げられるのはなぜか。


「アークナイツ【焔燼曙明/RISE FROM EMBER】」
映像のクオリティという点では良いものの、原作を未プレイのため話がイマイチわからない。

「雨と君と」
たぬきのフリップ芸もあざとすぎ、フリップ芸による意思疎通と日常描写とのリアリティラインの食い合わせが悪い気が。
どちらにおいても「きのこ犬」くらいのバランスの方が好み。
お父さんが一番カワイイ。

異世界黙示録マイノグーラ~破滅の文明で始める世界征服~」
ジェネリックオバロ。謎の(ソフトだが)ピスマニア描写や巨大カマキリに母性を見出すなど所々に性癖が見える。
エルフ族の耳のオーセンティックなデザイン(角度、長さ)は好み。
ゲーム世界であることメタ的に認識した敵が不可避イベントを利用して自爆する展開があったので今後の話運び次第では評価が上がるかも。

「ウィッチウォッチ」
普通に面白い。普通に面白いのだが、何か決定的なパンチ力に欠けているような気も。
普通に面白いものを普通に作れるということ自体が強力なパンチともいえるのでしょうが。

「宇宙人ムームー」
若干の中だるみはあったものの家電雑学ものとして楽しめた。
最終回はゲーミフィケーションのついえた可能性として見ると寂寥感が。
薄暗というワードはミーム的に流行って欲しいが用途が限定的過ぎるか。

おそ松さん(第4期)」
初めてのおそ松さん。意外と社会風刺ネタを入れてはいるものの、深く踏み込まないあたりのバランス。あと一歩踏み込めばアニメカービィになりそうだが、基本的には男性声優によるじゃれあい需要と思われるのでこれはこれで正解?
一方でおそらくは作り手も意図していないであるスイカ星人ネタが、スイカとエイリアンという表象のせいで「黒人奴隷ネタか?」と思ったり。
ただこれをいつまで続けられるのかというのも分からないのだが、レビューを観てると「当時中学生で違法試聴してたの思い出す」みたいなコメントもあり、意外と若年層も取り込めているぽい。
個人的にはターゲットが近いと思われる美男高校地球防衛部ハイカラ!の方が好ましい。


「怪獣8号 第2期」
OPとEDが本編に対して強すぎた。
キャラデザが原作の作画とマッチしすぎて逆に不自然に見えるというか。

「薫る花は凛と咲く」
この手の主人公ヒロインカップルが好まれるのは理解できるが個人的には嫌い。キャラのカマトトがすぎる上、井上ほの花の甘ったるすぎる声もそれに拍車をかけている。「アン・シャーリー」くらいの方が良いのですが、まあ仕方ないですね。
最近の、と括ってしまうとあまりに大文字すぎますが恋愛(人間関係)において矮小な内省的悩みを殊更に大げさな問題として提示されることに白ける。
葛藤や軋轢といったものがおよそ存在せず(周囲の人間も良い人しかいない)、そうであるがゆえに矮小な問題を過剰包装することで大きな問題に見せるしかないのは理解できる。
が、そもそも恋愛は常に振り子的にサスペンディングすることの運動が肝なはずで、序盤から相思相愛が確定的なカップルを見て(それを好きな人は)愛でることはできようが、面白がることはできない。特に自分のように、この手のキャラが苦手な人種は。
見る砂糖枠なら「星降る国のニナ」くらいファンタジーの方が良い。


「ガチアクタ」
絵柄のエスノグラフィー感は内容とマッチしているようにも思えるが、世界観のせいか色味が単調でアクションも思ったより映えない。能力使用時のエフェクトの色味で多少は差異化しているものの…。
大久保篤のセンスが必要では。もしくは「JUNK HEAD」的な方向へ舵を切るか。
2クール目のキャラの描写がエグいので少し評価が上がっているかも。

「神椿市建設中。」
今期のループものでは期待値からの落差が一番ひどかった。ライブシーンでやるべきは着ぐるみでもいいからキャラクターたちも実写になることだったのでは。
クリーチャーデザインは悪くない(というかモチーフの生き物)が…。EDのCGでやり通すことはできなかっただろうか。
メディアミックスものとして散漫…というか既存ファン向けのMVといった印象。


「カラオケ行こ! & 夢中さ、きみに。」
前者は実写の方でBL的な空気感を脱臭する代わりに役者の身体性によるバイオレンスを呼び込みかねない危うさがあってよかったのだが、アニメではそれが逆転している。
もちろん暴力描写はアニメにもありCVのおかげで多少の暴力性の内在は担保されているが、BL的なぬるま湯での戯れにしか見えないのは否めない。
後者に関しては一話目がかなりキツかった。いくら中高一貫の男子校とはいえ、「バカな男子」像が小学4年生からせいぜい5年生並のそれであり、男性オタク向けにレベリングされた知能の低い女性キャラを観ているような嫌悪感が誘発された。
Twitterに文字を打つのではなく町中の文字を写真で撮ってコラージュで表現する一種のSNSハックのコミュニケーションなどはアオハル味があって良かった。
二階堂のエピソードについては岡本信彦の男子高校生役が意外と悪くなかった。恋わずらいのエリ―ではやり過ぎ感あったので。


「傷だらけ聖女より報復をこめて」
願望充足のいつもの。アニメというよりLive2D的、モーションコミック的(ライトアニメ?)なものだが内容的にも視覚表現的にも特に目新しいものはなく…。
死に設定とまでは言わないが聖女としての能力もそこまで活用されていない。

「気絶勇者と暗殺姫」
主人公の存在価値がToLOVEる並。あちらは能動的(?)にノイズ発生装置になっていくが、こっちはヒロインたちにまかせっきり。
案の定デュラハンなどのサブキャラの方が光る。

「銀河特急 ミルキー☆サブウェイ」
このアニメの達成は分かるし、このアニメが好まれるのもよくわかる。が、やはり好きになれない。この手の脱力系キャラのかけあいの白々しさを観るのであれば「新星ギャルバース」の方が気持ちが良い。
あるいはショートCGアニメでいえば「ウサビッチ」的ナンセンスの方が良いと思うのは、ミルキー☆サブウェイにはやはりフェチによるブースト(亜人趣味のオタク)があるように思えるからだろうか。


ぐらんぶる Season 2」
いつも通りの下ネタ。

「クレバテス-魔獣の王と赤子と屍の勇者-」
意外としっかり(ダーク)ファンタジーをしており、さらにファンタジージャンルをメタろうとしている意欲作。
ただ娼婦の授乳やなぜか生き返ると可愛くなるというあたりに憤りを感じる。そこまで露悪をやるならルッキズムも突き詰めんかい。
意外と魔獣の王がポンコツなあたりのキャラのバランスは良い。CV田村少年ということもあり「テオゴニア」と並べてしまうが、あちらに物足りなさを感じた分こちらの評価が相対的に上がっている面も。

「ゲーセン少女と異文化交流」
英語がガチなのはグッドだが男子大学生が女子中学生の群れにいるのはあまりに異常。
キャラデザもネオテニックなためより犯罪臭がしており、パパが一番真っ当な人間なのになぜか畏怖されたり娘から畏れられたりかわいそう。
ゲーム部分も割と雑でどこに面白みを求めていいのか不明。

「公女殿下の家庭教師」
ロリコン趣味向けアニメ。ここまでドストレートに美少女を侍らせているともはや何も言うことがない。


「SAKAMOTO DAYS 第2クール」
1クール目よりは話が動いてる。坂本家のキャラにあまり魅力を感じなかったがオーダーや敵はキャラ立ちしているので見やすい。

Summer Pockets
これもループものとしてカウントしていいのだろうか。全体的に古臭く感じた。

「地獄先生ぬ~べ~」
エロを抜いてアクションにステ振り。とはいえ今の水準で見ると特筆するほどではない。

「CITY THE ANIMATION」
あらゐけいいちのギャグはほぼハマったことがないのですが、バディマラソン回の疑似ワンカットの強引さには感心した(笑ってはいない)。
美麗さとは別ベクトルの京アニ作品として遡及的に可能性を掘り出している?
最後の大団円感は良かった。

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う 2nd season」
靴フェチに松岡君というのはナイス。地上波で見ていると自動販売機博物館の青空教室感にインパクトをすべて持ってかれる。

「地縛少年花子くん2 後編」
そろそろ終わりそうで何より。


「週刊ラノベアニメ(Jack the Reaper、傷心タイムリープファムファタル育成計画、マリー・アントワネットに転生したので全力でギロチンを回避します)」
全てが安い。モデルに吸い出したテクスチャの薄皮一枚を張り付けただけの食べ物にある意味感動を覚える。
モーキャプして細かい修正作業すらしているのかわからないクオリティだが、Vtuber的な視覚体験に通ずるものもあり、エチュードならまた何か掘り出せたかもしれない。


「ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される」
娘に対する嫌悪は実は自分たちに対する嫌悪だったという毒親連鎖オチ。
ザマァといえばザマぁなものの、父親には救済措置があるだけこの手の願望充足ものとしては倫理的(良心的?)…と思いきや母親の扱い。
赤毛の輪郭部分が緑色で統一されているのが「呪い」としての表現であることに最終回で気づく。

「その着せ替え人形は恋をする Season 2」
1期はやや性的な描写が多いように思えて苦手だったのですが、2期はそういうのが減って見やすくなった。
反面、演出自体は面白いものの内容は取り立てて目を見張るものはなく1クール感心を誘引するほどのものではなかった。
他の恋愛ものにも同様の傾向が見られますが、取り立てて葛藤になりえない(少なくとも創作物においては)問題を大げさに悩んで見せて疑似問題化することで本質的な問題にはノータッチなのが近年の傾向としてあるのでしょうか。
コスプレにおける年齢や「好きなものを好きと公言できない苦しさ」なんてものは自意識過剰と一蹴できるものでしかないと思いますが。
CV村瀬歩をあてがって「女の子に見える~」などと擦り倒されたテンプレで戯れているのも、ベイブレードXのジェンダー攪乱を観た後では溜め息しかでない。
しかもコスプレという題材でそれは浅いのでは。段ボールGUNDAMに負けてるじゃないですか。


「タコピーの原罪」
ニコニコでのテンプレ祭に久々にほっこりしてしまいました。内容は基本的に原作準拠で、そのクオリティアップといった風情。


「ダンダダン 第2期」
1期からクオリティ維持している。特になし。

「追放者食堂へようこそ!」
原作のイラスト担当が業界追放されたのがこのアニメにおける一番の衝撃。
地上波放送だとこの後に「二人ソロキャンプ」だったので一番キツイ時間帯でした。
強制退店のスキルとかいう排斥の思想がいかにもこの手のアニメと言う感じ。


「強くてニューサーガ」
これもループ枠ではあるものの特筆することがない。アルファポリスの駄目な方といった無内容さ。とりあえず敵の魔族キャラに子安を配置するのも食傷気味。


「デキちゃうまで婚」「人妻の唇は缶チューハイの味がして」
僧侶枠。前者は題材的には割と真面目に取り組めばドラマが発生しそうなもので、テレ東あたりが深夜ドラマでやりそう。
後者は特になし。

「出禁のモグラ
民俗学アニメ。良い具合にだらだら見れるが人魚伝説まわりの陰湿な感じは割と重め。下手に勧善懲悪にしないあたりは流石。

「転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます 第2期」
1期に比べると戦闘の面白みがやや目減りした印象。
その代わりにCV森久保の天使や敵クリーチャーのチャーム(CVに渋いおっさんの起用も含め)でカバーしており、主役がキモくてそれがノイズだったが良いキャラが増えたのでむしろ1期よりも見やすくなった。

「転生宗主の覇道譚 ~すべてを呑み込むサカナと這い上がる~」
序盤は作画パワーやアニマルパワーで引き込まれたが、中盤以降はチームサバイバルになりモンスターデザインも面白みがなくなってしまったのは残念(雑なモンスターファーム感)。
最終回で久々に作画が爆発していたが。
猫ちゃんが特殊EDをもらえたり猫への配慮が行き届いているのは良い。

「桃源暗鬼」
総じてキャラがイタい。総じて女性キャラの肉感が異常で、そこにフェチがあるのはわかるが…。
展開もNARUTOの初期をそのまま持ってきたような感じで、SHYもそうですが秋田書店のこの手のマンガのメジャー少年マンガエピゴーネン感はアニメ化でも払拭できないのだろうか。


「9-nine- Ruler's Crown」
最初こそCV的にとあるシリーズだなぁと半笑いで観ていたがすぐに虚無アニメだと気づき無心に。

「ニャイト・オブ・ザ・リビングキャット」
出オチ枠。ほぼ滑っているように思えたギャグだったものの、玄田哲章の猫とネットミームを借用してのつるべ打ちの勢いにはさすがに笑ってしまいました。
終盤の勢いは割とアリ。


「ネクロノミ子のコズミックホラーショウ」
眼鏡の教師が一番やばいやつだったというオチ。狂気VS狂気という点では眼鏡の教師のバトルが一番の白眉。
ラストバトルが怪獣バトル(アンネ隊員的フェチ含)の脳筋バトルだったのはちょっと残念。
クゥトルフネタ自体はともかく、モチーフとして定着しているとはいえそれだけで押し切るには遅きに失したような。


「ばっどがーる」
いまいち楽しみ方が分からなかった。この手のソフトな百合に需要があるのは理解できるものの、いかんせん茶番にしか見えない。

「フードコートで、また明日。」
EDの入りだけ変えた2週目をするくらいなら和山やまみたいに2作品をやればよかったのでは…。
CV早見沙織のキャラがいなければ危なかったが、夢小説書いているというのは不要だった。あの設定のせいで外部性が薄れてしまっている。

フェルマーの料理」
あまり期待していなかったものの思ったよりは面白い。数学的思考と料理のマッチング具合に説得力があるのか分からないですが。
料理キチや数学キチの暗黒微笑はちょっと寒く、基本的には主役アゲの繰り返しではあるのだがそれでも主人公の頑張りがわかるので不快感はあまりない。

「ブサメンガチファイター」
ブサイクではなくブサメンという言葉のチョイスにある種の「逃げ」を感じる。
恋愛から一歩引いたところで後方パトロン面をしながら結局は武力解決だし年下の男女から慕われるという、枯れた男の願望充足。
中年オヤジの孤独をアニメで描くことは不可能なのだろうか。あるいは孤独のグルメのように趣味としてしか描くことはできないのだろうか。


「ふたりソロキャンプ」
キモいなぁと思いながら視聴。年下の女子大生から好意を持たれるだけでは飽き足らず、元カノからもまだちょっと未練があるように思われているというのもキモいなぁと。
おっさんの願望充足は一回りしたように思っていましたが、このアニメは恋愛欲と庇護欲の折衷を狙っているようにも。
まさかの2クールで卒倒しそうになりました。


「ホテル・インヒューマンズ」
ジョン・ウィック世界観でワンパン。なまじヒューマニティを盛り込んでしまってるのが足を引っ張っている。コンセプトありきのタイトルに自縄自縛になっているのでは。

まったく最近の探偵ときたら
最近は上田麗奈花澤香菜の上位互換化しているように思っていましたが、この手のギャグ・コミカルな演技は花澤香菜の方が上手いな~とこれを見て思いました。
アニメのギャグ自体は笑えるのと笑えないのが半々くらいでしたが、岡崎体育が嫌いなのでそこでややマイナス評価ぎみ。

「帝乃三姉妹は案外、チョロい。」
…本当にチョロい。その開き直りを潔いと取るか初手サレンダーと取るか。キャラ別EDは良かった。
BL含め恋愛ものにおいて身長差というのは重要なコードですが、本作では主役がカワイイ男子(CVも女性)ということでそれに合わせた身長になっており、三姉妹ヒロインとの並びでそこに差異を見出す試みとして見れる。
とはいえ「ラブコン」ほどの野心は感じられない。あと3姉妹のキャラが結構被ってる気がしますが。なので将棋ガールの投入なのかもしれませんが。

「水属性の魔法使い」
OPでウィストリアみたいなものを期待したのですが、どちらかというと凡百の転生もので期待外れ。
最終話でキレた主人公が事情を聞いた後も攻撃し続けたのにドン引きしました。


「勇者パーティーを追放された白魔導師、Sランク冒険者に拾われる ~この白魔導師が規格外すぎる~」
虚無。アイテムを出し入れできるだけで驚愕されるというハードルの低さ。この手のジャンルにはありがちですが、いっそどこまでハードルを低く設定していくのか見ものではあります。


「パペットスンスン」
アニメではないがシュール系?としてニコニコとの親和性が抜群。絵本に通じるプリミティブな恐怖を感じることも。

2025春アニメ

・ベスト(順不同)
アポカリプスホテル
ウマ娘 シンデレラグレイ
鬼人幻燈抄
TO BE HERO X
忍者と殺し屋のふたりぐらし
前橋ウィッチーズ
ベイブレードX

・次点もしくは気になったアニメ
ある魔女が死ぬまで
クラシック★スターズ&華Doll*-Reinterpretation of Flowering-(2作セット)
この恋で鼻血を止めて



↓以下に各アニメ雑感↓

「阿波連さんははかれないSeason2」
阿波連さんとライドウのカップルよりもサブカップルの方が色々と可能性が見えていたのですが、最終回で結局収まるとこに収まってしまった感。

「アポカリプスホテル」
平均点が高い。特にハルマゲ回はEDの声優夫婦ネタや似非アベンジャーズパロなど印象深く、平均点が高いアニメといった印象。
ハルマゲのデザイン勝ち。ぬいぐるみが欲しい。

「あらいぐま カルカル団」
人気男性声優のお遊戯。ツダケンのリアルフェイスが劇中で登場した回だけはちょっと面白かった。

「ある魔女が死ぬまで」
一年で死ぬという問題は終盤うやむやになっている感じもあったが、ちょいちょいエグい描写があって驚かされた。
津波の描写やそれを退ける方法も含め、「祈り」のアニメだったという印象。
世界観がよくわからないのと主人公の雑なネットミーム風エロ親父エミュがウザいのがややマイナス点。

アン・シャーリー
可もなく不可もなく。一話の「『ジョーカー』の階段」ぽいのが。


「一瞬で治療していたのに役立たずと追放された天才治癒師、闇ヒーラーとして楽しく生きる」
やれやれ系主人公のハーレム構図(疑似ロリ含む)は「あーはいはい」という感じでしたが、医者(?)としての倫理は割と徹底していてこの手のジャンルの主人公としては好印象。
ネット一瞬だけ話題になった「なろう系は対等な同性の友人が描けない」問題は絶妙に克服できていない。

「ヴィジランテ」
一番ヴィジランテっぽいおじさんが離脱したっぽいが二期は大丈夫なのでしょうか。
ヒロアカは完全ノータッチだけど見ている分には普通に面白い。

「ウィッチウォッチ」
普通に面白い。

「WIND BREAKER Season2」
BLEACHのセルフ学園パロでワンパンされそうな気がする(女性キャラも描けているという点も含め)。

「宇宙人ムームー」
家電雑学が割とタメになる。「薄暗い」スポットハンター、部長など良い感じにキモく、宇宙人勢のキャラも割と良い。
地味に声優の力が大きい気がする。

ウマ娘 シンデレラグレイ」
アイキャッチがかっこいい。EDも中々よく、本編も毎回ちゃんと走っていて力が入っているのが伝わる。
単純にアニメとしてのクオリティが高い。

「えぶりでいホスト」
時節柄ホストをゆるキャラ風味に描くのはヤバい気も。
ゆるいのはキャラデザだけで中身はマイルドにしつつも結構あくどいこと描いている。

「おいでよ魔法少女村(不法占拠)」
気を抜いてるといつも本編が終わってる。

炎炎ノ消防隊 参ノ章」
実写パートをちゃんとやってくれそうでそこだけ期待。本編よりおまけの声優の火遊びコーナーが面白かった。

「俺は星間国家の悪徳領主!」
ゼロ年代?の欲望を雑に詰め合わせているジャンクフード。たまに挟まれる露悪趣味(姫騎士クリーチャー化など)が随所にまぶされていて引く。
メイドロボへの愛が純粋さの担保なのだろうが、現実に初音ミクと結婚している男がいる時点で負けてないだろうか。


「片田舎のおっさん、剣聖になる」
内容はともかく、CGのクオリティが地味に高い。モデリングそのものというよりもカメラワークやリギングが絶妙なのだろうか。

「勘違いの工房主~英雄パーティの元雑用係が、実は戦闘以外がSSSランクだったというよくある話~」
なんとなくの印象ですが、この手の主人公の声優に女性を起用するのがちらほら見られる。臭みを脱臭するためだろうか?
今なら「ダンまち」の主人公も女性声優になるのではないだろうか。
「また俺なんかやっちゃいました?」の亜種だが、CVのおかげでそこまでウザさがないものの、それだけ。
主人公のすっとぼけた感じが受け入れられるかが肝。

「完璧すぎて可愛げがないと婚約破棄された聖女は隣国に売られる」
女性向け欲望アニメ。実の母親が師匠で、終盤までそれに気づかず…というのが母と娘の関係性問題についてそのまま当てはめられそうな感じ。

「鬼人幻燈抄」
地味だが一番話がしっかりしていたのではないでしょうか。
一話のラストで現代パートを見せつつ、基本的には江戸の話。
たまに現代篇が挟まり、主人公の物語が劇中劇として演じられるなど構成も地味に凝っている。
二期に期待。

「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」
ガンダムにほぼ興味ないので個人的には無風。SNSでの祭囃子を一歩引いてみている分にはそこそこ楽しかった。
本編は無風だが、場外でキャッキャしてるおじさんたちを眺めていた。

GUILTY GEAR STRIVE: DUAL RULERS」
凄いけれどスプリットスクリーンを多用しすぎで演出がワンパターンになりがち。

「九龍ジェネリックロマンス」
割とコロニアリズムの風味があるというか、クーロンに対する憧憬がいまいち乗れない(原作者はクーロンズゲートに影響されてるそうだが)。
だったら「海に眠るダイヤモンド」のように軍艦島を舞台にするくらいの意気込みが欲しい。

「クラシック★スターズ」
狙った「ダイナミックコード」あるいはミニマル「ヒプマイ」。
ラーメン要素や暗躍組織のアバターが盆栽・こけし・兜など何となくナショナリスティックな風味が。
「華Doll」と似たような遺伝子操作モチーフがあるのが面白いが、問題系自体は古い。
こっちの方が終盤にかけてアクセル全開になっていくのでとんちき具合で圧勝。
革命モチーフが達成されずに終わるのも意外と現代的?続編もありそうだが。
ちょいちょい挟まる鈴のようなSEがボーボボ風味。

「この恋で鼻血を止めて」
中国製のヒーローアニメ(CV花江)その一。ヒーローアニメの変奏と思わせつつラブコメがメイン。だがやっぱりヒーローの異能を巡る話でもあるという。
相変らず中国アニメは笑いのポイントが若干わからないところがあるものの、全体としては楽しい。問題は解決していないが。
中国社会のメリトクラシー競争に対する息苦しさを感じる。

「ゴリラの神から加護された令嬢は王立騎士団で可愛がられる」
CV梅原の負けヒーローが実に負けヒーロームーブ(主人公の唇を無理やり奪うなど)をかましていて終盤は割とツボ。
「星降る王国のニナ」でもCV梅原が良い感じにNTRれそうなポジのヒーローをしていて良かったので、この調子で女性向けアニメのそういう役柄をやって欲しい。

「#コンパス2.0」
きたるべきデジモンの前哨戦。

「最強の王様、二度目の人生は何をする?」
エフェクトは割と良かったような。
なろう系の臭みをいかに脱臭するかというテーゼがあるのか、モノローグはゴリゴリの男性声だが主人公の声は最後まで一貫して女性声優というのが興味深い。

「ざつ旅-That's Journey-」
ナレーションで勝利。本編は負け。

Summer Pockets
やり取り全てがどうにも茶番に見えてしまう。
一周回って新鮮さがあるだろうかとも思ったものの、特にそんなことはなかった。
2クール目も視聴してるがやはり乗れない。

「紫雲寺家の子供たち」
すべてが想定通りの展開に収まる退屈さ。CV梅原が似合わないし、何回「あててんのよ」の展開をすれば気が済むのか。ワンパターン。

「小市民シリーズ 第2期」
OP・EDは相変わらずクオリティ高いが、OPはちょっと怖い。基本的に会話劇なので、それを補うための演出は中々凝っていてよい。
ただバイオレンス要素を持ち出した瞬間にチープに見えてしまったので終盤はうーん。
誰一人として好きになれるキャラクターがいない。メイン二人は特に嫌。

「真・侍伝 YAIBA
作画パワーで黙らせる。

「男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)」
一話の時点では「セクシャルマイノリティを描けるか?」と期待したものの、特にそんなことはなかった。
夏アニメ「わたなれ」にバトンタッチ。


「中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。」
地上波放送では提供で遊んでいてほっこり。
「ぬ~べ~」を置き論破するかと思ったが「ぬ~べ~」はアクション・ホラー成分強めで回避した感じが。

「神統記」
地味に面白い設定ではあるのだが、亜人の扱いがちょっと…。

TO BE HERO X」
ハオリンの新作。大衆の人気や思いによってヒーローの能力そのものに影響が出るなど中々面白い設定で、SNSだけでなく信用スコアのアナロジーとしても読める。
まだOPのヒーローが全員出てきていないが各キャラにしっかりと話数を割いて描いているのは朝アニメゆえの強みだろうか。
MCU以後の「ポスト・ヒーローもの」として、ヒロアカのようなキャラに遊蕩したりタイバニのようにミドルエイジクライシスという単一キャラの問題に収束してしまうこともなく。
今のところは「ヒーロー」に対してキャラクターを使ってのトライアルがなされつつ、ヒーローXの謎など物語的誘引もあり楽しくもあり興味深くもある。

「忍者と殺し屋のふたりぐらし」
コンスタントに面白くちゃんと笑える。最初の数話はCパートで殺された忍者たちの描写が入り、それがかえって惨く感傷的になる構成も妙味があった。
後半はあの世で普通にやりとりをしていたり、それが本編の動画配信パートに食い込んできたりと凝っていたが、好みが分かれそう。
殺し屋さんがどんどん感情的になっていって忍者と距離が縮まっていってしまったのは残念。最後までドライな関係でいて欲しかった。
あと所々にややアウトぎみなエロ要素(下ネタ?)があったのは気になる。


「履いてください、鷹峰さん」
バカアニメ。蝶々の巻き戻しバンクの連打は笑ったが、基本的にはエロ釣り。
後半に出てきた幼馴染のレズビアンの扱いが雑。
完全に主人公たちの(疑似)カップルの当て馬的存在になりさがっており、セクシャルマイノリティの表象としてアウトでは。

「華Doll*-Reinterpretation of Flowering-」
ラシックスターと同じく遺伝子改造アイドルもの。
色彩設計含め、終始暗くて湿っぽい雰囲気が漂っていた。
開花して何がどう具体的に変わったのか分からない。BL的な性的回路を用いず男性同士のケアの萌芽を見出せたという点で少し気になる作品ではある。

「日々は過ぎれど飯うまし」
今期のグルメアニメでは一番ちゃんとご飯を作っていた。

「プリンセッション・オーケストラ」
シンフォギア。深夜アニメのノリを朝アニメのノリで粉飾しているがいかんせん乗れない。

ボールパークでつかまえて!」
EDがかわいい。野球を題材にしつつ試合そのものではなくその周辺を描くというのは大谷以後の野球漫画の題材として今後の課題になるのだろうか。


「前橋ウィッチーズ」
今期の個人的重要アニメの一つ。
メインキャラの5人が抱えるそれぞれの問題が現代的で解像度が高い。
魔女としてのモチーフは名前の割にあまり感じられない(魔法の使用についても魔法感がない…それがかえって魔法的でもあるが)。
他の魔女やアイドルアニメにも共通しているが、少女たちには現実とは別のヘイブンとしてのユートピア的空間が用意されていて、そこでこそ「本心」や「(理想としての)本当の自分」を表現できる。
バーチャルではあるが、昔はともかく今はバーチャルな世界としてのネット空間とはイコールで直に結び付けられないのかなと。
アズが魔法で容姿を弄っていることなどはネット上で加工した自分を提出することのアナロジーとして読めなくもないが、それはそれで短絡に思える。
同性・同年代の相互ケアとして読み込んでいたが、なぜ女性同士はこれができて男性同士ではできないのか。そこに華Dollと対置して考えていた。

増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和GO」
いつもの。なのだが、現実で児童に対するわいせつな事件が頻発しているせいかクマ吉くんのネタが笑えなくなってきた。

「未ル わたしのみらい」
話数がそもそも少ないというのはともかく、話のレパートリーが少ない。
美少女からへんなおっさんまで変身できるのは多様性が担保できていて中々良かったが、そこまでやるなら「グリッドマン」ができなかった分、最後は実写でやってほしかった。

「mono」
4話の貞元北斗 演出回と10話の忍者屋敷回が面白かった。
序盤はカメラのガジェット縛りが強かったのでそれに縛られずにやっていた4話は序盤の中でも中々よかった。
忍者屋敷は舞台そのものが面白くなる要素に満ちているということなのか、「メダロット」「クレしん」などの児童向け(?)を想起。

「ユア・フォルマ」
花澤・小野の夫妻がダブル主人公。原作未読だとややとっつきにくい構成では。話や設定自体も特別新鮮味があるわけではなく、目を見張る演出などがあるわけでもないが真面目に作っているのは伝わる。
どうせロシアを舞台にするならもっとロケ(背景)をそれっぽくした方が雰囲気が出たのではないか。

「LAZARUS ラザロ」
人間賛歌をするならば戦闘ではなく戦争を描くべきだったのでは。
チャド・スタエルスキを招いた時点ではおそらくイスラエルやロシアがこういうことをするとは考えていなかったと思われるので仕方ないのだろうか。
ぶっちゃけ「ジョン・ウィック」のほうがよっぽど地獄めぐり感ある。

リコリス・リコイル Friends are thieves of time.」
ファンサ。本編終了後もこういう形式で継続的にファンにコンテンツを提供し続けるという形式はありかもしれない。
リコリコは別に大して好きではないが。

「ロックは淑女の嗜みでして」
音楽には疎いので何とも言えないが「リンキンパーク」はちょっと違う気が。

「Aランクパーティを離脱した俺は、元教え子たちと迷宮深部を目指す。」
2クールというだけでも驚きだったのに2期をやるというのでさらに驚き。どこに需要があるのだろうか。
サイモンのネタキャラ化かつIfとしての聖人化は面白いが、それ以外に面白い要素はあまり見いだせず。

ベイブレードX」
相変らずキャラがみんな良い。コンスタントに面白い

マッドジャーマンズ ドイツ移民物語:ヴィルギット・ヴァイエ=著/山口侑紀=訳

学友から借りた本を読む。

私はとかく歴史と地理と数学と古典に疎いので、モザンビークに焦点を当てた本と言われてもイマイチよくわかってなかった。内戦があったと言われてもまだよくわからず「そういえばMGSで聞いたなぁ」という程度で、自分の住んでいる場所すらわからないレッドネックを笑えない認識力なわけで。

しかし、語弊を恐れずに書けばこの本は最低限の「モザンビークでは内戦があった」ことを理解していれば読める。なぜなら「この世界の片隅に」と同じ話だからだ。

もちろん、国が違えば事情も異なるわけで。フィクションとはいえ明らかにモデルとなった人物がいることを思わせるキャラクターの境遇はやはり日本人であり日本人として日本で暮らしていたすずさんとはかなり違う。黒人であることなんかは、特に。

 

ジョゼ、バジリオ、アナベラの3人のキャラクターのナラティブとして、1981年当時内戦によってドイツに出稼ぎにでなければならなくなった過去の回想が語られる形式になっている。

真面目だったり軟派だったり、恋仲でもイデオロギーが違っていたり、同じ国・同じ人種でも出身が違うことで決定的な決裂を生んでしまったり、ということがそれぞれの視点から章立てされて語られる。

下手にごちゃごちゃと行ったり来たりする構成でないから読みやすいし、ある人物のナラティブを読んだ後に別の人物のナラティブを読むことで「ああ、こういう事情があったんだ」とわかる。

そういう、あくまで個人の話。

まあ読んでいて思ったのは、当時のドイツ(というかモザンビーク政府もだけど)がマッドジャーマンズに対してやっていたことが、日本が今、外国人労働者に対して行っていることと大差ないということだ。いやほんと、大げさでなく。

 

また、単純にコミックの表現としても面白いものがある。

コミックではあるんだけれど、いわゆるアメコミとか日本の漫画とはかなり異なっていて独特な雰囲気がある。

コマ割りとかはすごく単純なんだけど、柄や模様、背景や風景といった、なんというか人以外のおよそほとんどのものが――こういう書き方が正しいかどうかわからないが――アニミズム的であるというか、表現主義的であるのですね。

基本的に、マンガにおける背景とか小道具みたいなものっていうのはパースとかを考えたりして一種のシミュレートを行ったうえで模写をするようなものなのだと思うんだけど、この本ではそういう「正しく描く」ということよりもモノの息吹を描くことを最優先している。

絵柄そのものは、ボールペンで書いたような線だったりするのだけれど、そういう意味では絵本に近い絵柄と言っていいかも。

たとえば、空気や雪の表現に指紋を使っているところなんかは、そういう発想がなかったから素直に驚いた。あとは版画のような絵を心理描写や表現のために丸々一ページ使っていたりするのだけれど、それがあまりこれ見よがしでないというか、作画そのものが空気といったもので統一性をもって描かれているために大ゴマでのキメであるにもかかわらず突発感はあっても唐突感はないというか。

 

 

いや、中々面白いコミックでした。

 

【禿同】栗原康:「生の負債」からの解放宣言 はたらかないで、たらふく食べたい【禿同】

この間、といってもこのエントリを書き始めたのが2か月以上前なので、そこからさらに1か月ほど遡ることになりかなりのスパンを形容する「この間」になるのですが、学友から唐突に一冊の本を勧められた。それが栗原康「はたらかないで、たらふく食べたい」だった。
学友から本を渡されるまで、寡聞にして著者のことは全く知らず、さらに言えば著者が研究している人物のことや本に出てくる人名などについてもほとんど知らなかった(まあ、書中に出てくるタランティーノとか耳なし芳一はさすがに知ってるけれど)。
学友が私にこの本を勧めた理由は、まあ本のタイトルと私の理想が合致しているからだろう。なにせ、本を貸してくれた学友は本を読んでいなかったのだから。内容ではなくタイトルと帯で私が好みそうだと判断したわけで。そして、学友の碧眼は正しかった。

さて、この本の内容はタイトルの通りであるのだけれど、この著者のこの主張の説得力は割とすごい(ボキャ貧)。
大体、この手の主張をする輩というのは一度社会人として働いていたり、結局のところ今はフリーで自由にやっていますみたいな成功譚だったり自己陶酔的な自分語り(そりゃ当然なんですが)なわけですが、この栗原さんはその手の連中とは毛色が違う。
アルバイトや非常勤の臨時講師以外の社会人経験は正真正銘(本人談)ないのである。院卒は伊達ではない。まあポスドク問題もありますし、就職氷河期とかもありましたからね。
何が言いたいのかといえば、前者のように「かつて働いていた者」の場合は結局のところ何も変わってはいないのだ。
いや、それだと語弊があるのだけれど、既存の構造の中でループしているに過ぎない。それこそ、環境管理型権力アーティファクト)によって規定された資本主義・政府の囲いで、井の中の蛙がぴちゃぴちゃしているに過ぎない。安易な資本主義批判は馬鹿丸出しなのでなるべくなら避けたいのだけれど、一方でこの大規模なシステムを声高に罵倒してやりたいというのもやはりあるわけで・・・だからと言って社会主義万歳三唱するわけではありませぬが。
しかして、栗原さんは違う。もっと根本的な、それこそ脱構造主義的な、しかしクラシックな主義を主張するアナーキストだ。


お偉方はお偉方で生涯学習とか喧伝しつつ、そのくせ学習に充てる時間も(金銭的・心理的・物理的)余裕もないくらい疲弊させている。まったくふざけているとしかいいようがない。そもそも、学習すべきはちみたちではないのかね。

ひとしきり前置きを書いたところで、感想文らしく文量の嵩増しもとい構成を記述していこうと思います。
本書は以下のような構成になっております。


⓪キリギリスとアリ――はたらくこと馬車馬のごとく、あそぶこと山猿のごとし
①切りとれ、この祈る耳を――耳切り一団
②3.11になにをしていたか?――とうとう江戸の歴史が終わった
③豚小屋に火を放て――伊藤野枝の矛盾恋愛論
④甘藷の論理――うまい、うますぎる!
⑤地獄へ堕ちろ――ヘイトスピーチか、それともスラムの念仏か
⑥他人の迷惑かえりみず――心得としての高野長英
⑦お寺の縁側でタバコをふかす――大逆事件を旅してみれば
⑧豚の足でもなめやがれ――もののあはれとはなにか?
大杉栄との出会い――赤ん坊は決して泣き止まない
⑩ヘソのない人間たち――夢をみながら現実をあるく
⑪反人間的考察――歴史教科書としての『イングロリアス・バスターズ
⑫豚の女はピイピイとわめく――老荘思想の女性観
⑬だまってトイレをつまらせろ――船本州治のサボタージュ
・あとがき
・参考文献/初出一覧

といった具合。
各章の長さはまちまち、ていうかこれだけ細分化しているので一つ一つは短い。3ページくらいのところもあったりで超新設設計になっています。
最初の章を⓪にしたのもそれが理由だったりします(まあほかも長さはさして変わらんのですが)。なので集中力が持続しない人でも一つ一つの章を区切って読めまする。文章も軽くフランクに書かれているので(それが嫌って人もいるだろうけれど)すいすい読めます。
とはいえ、正直、読んだのがちょっと前だけに内容は抜けている部分もある。あるのだけれど、とりあえず付箋を頼りに各章でのダラダラと書きなぐっていく。

⓪キリギリスとアリ――はたらくこと馬車馬のごとく、あそぶこと山猿のごとし

「キリギリスとアリ」はもうそのまま。アリとキリギリスを逆転させただけ。立場を、ではなく結果を。ともすればルサンチマンマスターベーション二次創作ともとれるのでしょうが、仮にも博士であるわけで、その二次創作が二次創作たりえる論拠を「新自由主義、やりがい、労働倫理etc」ワードで提示する。
ここで掴みはOK。

①切りとれ、この祈る耳を――耳切り一団

①も有名な怪談話である耳なし芳一に関する話。私はおそらく、一般的な水準でしかこの話は知らないのですが、曰くこの話はもともと「耳なし一団」というタイトルで耳を切り取った平家の怨霊たちが主人公だったとか(黒澤明の「夢」で兵隊たちの霊がずらと並んでいるイメージが沸いていたあなた。後楽園でぼくと握手)。
どうもこの話と大河ドラマの「平清盛」が関係しているらしいのですが私は見ていないのでよくわかりません。とりあえず、著者はドラマを引き合いにしてこの怨霊たちに同情し、和尚をなじる。耳をはぎ取ったことも仕方ないと擁護するのである。
この怪談から展開されるのは奔流する情報への認知および社会学的なふるまいへの言及(たぶん役割期待とか、その辺の絡みがあるかと)、認知資本主義とかとか。
そこから著者の体験談としての「京都」という町に担わされた観光都市という役目。それ以外の側面の否定。さすがに古墳でカルピスをぶちまけるのはどうかと思うが(カルピスもったいないし)、要するに期待された振る舞い以外をすると白い目で射られることへのキュウクツさを言いたいのだ。
同調圧力というものに非常に近しいもので、これってはっきりいって「1984」的な相互監視のディストピアまっしぐらだと思うんですよね。そうでなくとも日本はイギリスと同レベルで監視カメラの設置数が500万台あるとかないとかって話ですし。今は確かイギリス抜いて1位なんでしたっけ。
思うに、災害のときに自販機なんかが荒らされないのって、モラルっていうよりもそういう「誰かが見ている」という植え付けられた強迫観念によるものなのじゃないかしら。そもそも、モラルというものが何かという話にもなってくることはありますし、さらに言えば「盆唄」でちょろっとあったシーンで人のいない家屋のシャッターがこじ開けられていたりする例もあったので、みんながみんなそういう律儀なルールドマンってわけじゃないのよ。改めて書くことでもないだろうけれど、そんな当たり前の大前提。
さらにさらに言えば、わたくしとして本当に死ぬ寸前だったり苦しんでいるのであれば、自販機を破壊して飲み物を飲むくらい許容してもいいと思うけれど。災害時に自販機を荒らす理由は本当に乾いているか、状況を利用して高値で売りつけようとする屑のどちらかだと思いますが。
それと、モラルに関することでいえば伊藤の「ネイキッド」とそれに対する藤田の考察が一読に値するものなのだけれど、まあそれは置いておこう。

この章で個人的に好きな一文があるので、覚書としての意味合いも込めて書いておく。
わたしたちはいつどこにいても、ひとつの行動を選択せざるをえない。それは生きているかぎりあたりまえなのであるが、でもいまの認知資本主義では、そのひとつでさえ考えて動く余地がほとんどない。~中略~もし実現されなかった行動まで、ひとつの生というか、生き方であると考えるならば、わたしたちは無数の生を殺したうえで生きているのだ。~中略~今の社会では、その殺戮さえも自覚しないまま生きていかざるをえない
この文中で、さきほどの怨霊と殺された無数の可能性としてのわたしたちを重ね、その否定ないし情報に甘んじることを芳一に無駄なアドバイスをした和尚と同一視し、命令を聞き入れない姿勢を提示する。無論、芳一と同様にその代償としての痛みを伴うかもしれないことを認めつつ。
たぶん、イーガン(てか量子力学とかへの関心)とか読んでると、この殺戮という表現は遠からずというか、よりポエティックになっているだけとも言える気がして、だから好きなのですよね。

②3.11になにをしていたか?――とうとう江戸の歴史が終わった

これはそのまま、3.11のときの著者の状況を描いている。まあそれ自体はカメロンパンとか気になりつつも全体的には「さようですか」程度なのだけれど、その当時の情勢を徳川綱吉の時代と重ね彼の政策を肯定的に捉えて、資本主義というか経済システム優先で人をないがしろにする世界への批判へとつなげている。
うん、何も間違ったことは言ってない。

③豚小屋に火を放て――伊藤野枝の矛盾恋愛論

最初の4ページはラフティング旅行についてなので特にな・・・この調子で書いていくと終わらないから重要なとこだけでいいか。
この章には自分の願望がそのまま文字に書き起こされている。ので、ママ引用。
「そもそも大学教授になることが目標ではないということをはなし。じゃああなたはなにがしたいんですかときかれたので、わたしは本がよみたい、本をかきたいとこたえた。それじゃあ、子どもとかわりないじゃないですかと冷笑されたので、わたしもヘラヘラと笑って見せた」
著者の場合、結婚を前提に付き合っていた彼女がいたものの、30超えて大学の非常勤講師でしかなくほとんど収入のない状態では(彼はともかく)彼女やその周囲から猛反対をくらってしまっていたので、私よりも問題があったのでしょう。
男性が妊娠して出産することができれば(技術的には確か実現可能な範疇にあったような)、もう少し変わってきそうなものでもあります。いやまあ、女性の身体性の搾取とか、そういう問題も孕んでいそうですが。
そういうのは別にしても、結婚を考えている彼女とは正反対に著者とその周りの働きかけのマイナス作用っぷりが面白い。たまたま出くわした友人がコペンハーゲンで監獄を共にしたことをよりにもよって彼女の目の前で言ってしまったり。
この章で語られる著者の行動がかなり私自身のそれと類似している。といっても、わたしはせいぜいしょっぱい大学の学士でしかないので、書き直しくらったとはいえ論文を書いたりしているだけまだまだ彼は労働者の範囲内だと思いまするが。
でまあ、彼女との交際の顛末は普通に笑えるのですが、そのあとの「矛盾恋愛のはてに」というパートでは中々に面白いことが語られる。深い、とか書くと途端に浅くなってしまうのであえて面白いと書きましたが、言っていることはかなり的を射ている。
当初は恋愛感情だったものが結婚を意識することによって自分のことばかり考えてしまい、見返りを求めるようになりいつのまにかそれは損得勘定になってしまう。宮台真司が言っていた通り、損得でしかものを考えられない人間(安倍政権を名指ししながら)は屑野郎で、それ以外の価値観でものを考えることが必要だ、と。
栗原さんの場合は自分のことを棚に上げていまいかと疑義を呈したくなるのだけれど、よくよく考えれば恋愛なんてものはお互いが好き勝手に好き合っているのだから、そこに犠牲的な精神を持ち込んではいかんのかもしれない。高校時代の私は、そういう考えもなくそういう振る舞いをしていたから人を傷つけてしまうこともあったのだろうなぁ・・・(遠い目)。
それでも、男女とか関係なしに、恋人とか友人とか関係なしに、好きな相手には何かをあげたくなるものだ。それは何か見返りを求めて、ではなく。自己満足と言ってしまえばそれまでだが、自分が満足することがまず第一ではないのか。自分が満たされずにどうして相手を満たすことができよう。

また、伊藤野枝という女性作家の話がこの章の大部分を占められている。その辺は大体全部今の男根社会に対する批判を含めて重要な部分なんですけどいちいち書き起こしてたらまとまらんので割愛。

結婚の起源は奴隷制とか、「家」とは豚を囲うと書いて「いえ」と読むのだbyアナーキストの部分とか面白い話はあります。

忘れないでください。他人にほめられということは何にもならないのです。自分の血を絞り肉をそそいでさえいれば人は皆よろこびます。ほめます。ほめられることが生き甲斐のあることでないということを忘れないでください。何人でも執着を持ってはいけません。ただ自分に対してだけはすべての執着を集めてからみつけておきなさい。私のいうことはそれだけです。私は、もう何も考えません。

④甘藷の論理――うまい、うますぎる!

去年の九月から、ひっちゃかめっちゃかにはたらいている。火曜日と土曜日、週二回のアルバイトである。正直、こんなにたくさんはたらいていたのは、生まれて初めてだ。やっているのは塾講師。~中略~授業自体はたのしいものだ。きまった内容をおしえて、学生とおしゃべりをしてくる
いきなりこの出だしである。いいぞもっとやれ
いや、バイト先まで片道三時間かけているから疲れるというのはわかる(わからん)んですけど、それにしても読む人が読めば噴飯ものなのだろうなぁ。
この章ではこのバイトの件でやせ細った著者がサツマイモを食べてサツマイモ上げて終わる(!?)んですが、そのサツマイモを巡る江戸時代・吉宗のちょっとした歴史話が面白い。帰結としては、「ナショナリズムが許されるのはWWⅡまでだよねーキャハハハハハ」です。超絶意訳ですが、要するに(国家とか)知るかバカ!そんなことより人人だ!ってとこでしょうか。

⑤地獄へ堕ちろ――ヘイトスピーチか、それともスラムの念仏か

ヘイトスピーチ、ダメ絶対。な章。
そこから展開されていくのは一遍上人の話であり、「自分のおこないに負い目を感じすぎて、そこから目をそらしてしまう人たちもいる。まわりのほどこしで生きていくのは恥ずかしいことだ、殺生をしてでもなにをしてでも、自分の身は自分でまもらなくてはならない。はたらけ、出世しろ、よりよい衣食住を手に入れろと。いずれにしても、ひとのふるまいに善悪優劣の区別がつけられる。一遍上人が、空也上人をうけて「捨ててこそ」といったのは、この区別を捨てれといったのである。」ということなのだ。だいぶ端折ったが、そういうことなのだ。これを犠牲と交換のロジック(白石嘉治)というらしい。また、そのロジックによる国家の囲い込みを論じ、それから逃れようとする人々を「ゾミア」と呼ぶbyジェームズ・スコット。ということが書かれている。
ちなみに、この稿の依頼として「ナショナリズムは悪なのか」(菅野稔人)を批判してほしいというものだったらしい。なんだ、私の要約もとい意訳あってんじゃん。

⑥他人の迷惑かえりみず――心得としての高野長英

年金の起源、頼母子講、無尽講、そういった相互扶助の話。で、その制度を使った高野長英という男の話。
この高野長英の話は面白い。一見するとポンコツに見える彼が随一の蘭学者であったこと、その最期とそれにまつわる血縁者の顛末。あるいは権力者のパワー自慢のための改ざんなどなど、この時代から体制側の歴史修正主義がはびこっていたのだなぁと今の政権を観ていて思う。
ここら辺はまあ生活保護の利用に関する批判に対するカウンターでもあり、そもそも論としての現在の年金制度への批判が込められている。
他人の迷惑かえりみず。それが相互扶助の神髄だ
クロポトキンの相互扶助論読んでみようかしら。

⑦お寺の縁側でタバコをふかす――大逆事件を旅してみれば

この章の最初のタバコの話は、正直なところ非喫煙者からしてみると「あぁ!?」となる部分はある。
ここに関しては詭弁もいいところである(面白いけど)。この部分だけは論拠に乏しい反面、喫煙と肺がんのリスクなど他者への害が明示されているだけに、詭弁を弄そうとしているのが空回りしているというのもあるだろう。
ただ、非喫煙者であるから、ではなく(や、それもあるけんど)本当に路上で煙草を吸っている輩は危険なんですよね。横断歩道で煙草を手に持った喫煙者とすれ違って危うく当たりそうになったこともある(なんでこっちが避けにゃならんのですか?)ので、余計にね。ただ、だからといって路上喫煙を禁止するというのは、それこそ治安維持法とかに近づいて行ってしまうので、難しいところではある。
だからといって臭い・汚い・危険・高額の4K要素を内報するタバコを商品世界のことに置き換えるのはやらしい論法のすり替えですよ。まあ、表現の上で吸われるタバコとかはかっこいいと思いますし大賛成なんですけど。
煙草論については伊藤の「人前アディクションダサい説」の方がビューポイントとしては納得しやすいしハッとさせられたしぃ。思想としては一貫しているので、そのブレなさはやはり称揚してもいいのだろう。

小栗判官の話は面白かったです。時宗なる一遍上人を教祖とあおぐ教団が広めたとかなんとか。日本神話っぽい異種姦ものです。
面食い小栗が美女に化けた大蛇に拐かされ、色々あって照手姫なる別の女を見つけるもここでもひと悶着あって・・・閻魔は出るし餓鬼になるしといった具合。
しかし、多くの民謡や神話に共通するように、この話も隠喩としての側面を持っている。餓鬼がハンセン病患者を表しているとか障碍者だとか被差別部落出身者だとかなんとか。浄不浄とか関係なく受け入れるよ精神を述べたかったらしい。
あとは寺でタバコ吸っていても許されるのだ、という話なんだけれど、他力の話は爆笑問題の太田がラジオで言っていたのもあってシンクロニシティ
曰く、自分の力で救いを求めるのは良くないと。それは自分の行為に見返りを求めることで、なんらかの価値尺度を設けることであり、それはひいては善悪優劣のヒエラルキーを認めることであり、人が人に支配されることである。
みなさん、自力はやめましょう。しんどいし。

⑧豚の足でもなめやがれ――もののあはれとはなにか?

江戸時代の源氏物語の解釈について。当時は儒教と仏教による曲解によってひどい解釈がされていたらしい。(すさまじく余談なのですが、ヤンジャンでまだ源君がやっていると聞いて驚いた。連載のページ少ないとはいえ)。
簡単に言えば「えっちなのはいけないと思います」ということだ。もっと言えば恋愛否定だろうか。著者的にはもののあはれと恋愛はほぼ同義らしいので、それを否定する儒教仏教マジうんちといった主張。逆説的な、ね。
わたくし自身は恋愛にそんなに重きを置いていないけれど、恋路に善悪の基準を持ち込んだらダメ、というのはまあわかる。
それを政治というレベルに置き換えて書いているので、なんだか大層な話に聞こえてくるのですが、結局のところはラベリング理論てことかな。
あと学者のMの嫁に恋して撃沈したくだり、Mが誰なのかすごい気になるんだけど、誰なんだろう。
第三世界かぁ・・・

大杉栄との出会い――赤ん坊は決して泣き止まない

満員電車に乗るくらいならサボろうZE。

⑩ヘソのない人間たち――夢をみながら現実をあるく

安部公房の赤いチョークを引き合いに、夢を論じる。
「にんげんのふるまいにひとつの標準が設けられて、それにしたがって生きていかなくてはならないと思わされる。人はもっと自由にふるまっていいはずだ。そのために本気で創意工夫を重ねてみる」
まあね、大リーガーになる夢は称賛されて、働かないで生きていくという夢が罵倒されるのはよくわからないよね。いや、わかるんだけどね。
まあこの章はラストの補記で落ちているので、それでいいか。

⑪反人間的考察――歴史教科書としての『イングロリアス・バスターズ

政治の不要性、というか不要であると氏は言う。私もそう思う。なぜなら私は魚雷だから。政治をおふざけとするなら、魚雷ガールにはもう縦横無尽に駆け巡ってほしいものですが。
冗談はさておき、政治というシステムは娯楽として余興として楽しむ分にはもってこいだけれど、自分の人生に密接に関係してくるから困るのである。大体、本当に政治って必要か?いや、この複雑化した世界で効率よく国家をというか国民を運用するためには必要なのだろう。
どちらが先かは知らないけれど、官僚主義と近い発想を基にしているはずだ。
民主主義にしたって結局は政治の一形態でしかない。民主主義に至るためにどれだけの血が流れたか。それはなんとなくわかってはいるけれど、しょせんは妥協の産物でしかないのではないか。
だから、政治がいかに汚わいと虚飾にまみれたものでしかないかということを「イングロリアス・バスターズ」の引用(タランティーノ的ゴア)によって、アガンベンバートルビーによって、歴史を都合よく利用してきたことを提示する。


⑫豚の女はピイピイとわめく――老荘思想の女性観
隙あらば自分語りをする著者ですが、ここでもまた過去のことが語られる。それどころか恋愛観みたいなものも。まあ面白いから構わないのですが、豚の比喩にこだわる自己分析における幼少期の記憶。
母方のおばあちゃんちに遊びに行くと叔父が東南アジアの女性を囲って(って表現は語弊がなくもないんですが)いたとか。しかも、もともとはそこには豚小屋があったのを彼女たちが住めるような掘立小屋になっていたのだそうな。で、そういう人は雇用者に割とひどい扱いをされるのが定番で、例にもれずそういうパターンだったのですが彼の祖母がいい人でなんやかんやそこで暮らしていたらしい、女性たちは。
かと思いきや話は紀元前三世紀の思想家である荘子の話になる。比喩や寓話を使ってアナーキズムを説いたそうな。で、その人の書いた「山木篇というのが引用されている。
書き起こすには手間なので、まとめた部分だけを引っ張れば「無限の生滅変化の繰り返しを受け入れることこそが自由無碍なのだ」ということらしいのである。「山木篇」の要約というか、その思想の発展としてそういうことが言えるってことなんですけど、さらに言えば「人をないがしろにしてまで既得権益にしがみつく糞は死ね!」ってことだろう。
でまあ、叔父さんの店はおねーちゃんたちに非道い扱いをしていたので案の定逃げられたり一部の輩がJK売春させていたりでダメになって借金まみれになったとか。ただ、一方で著者にとってはいい叔父さんだったらしく(その身内にやさしいというのがまさにマフィア的なんですけお)、色々と感謝している。相対的に自分の借金が軽く受け止められるようになったとか、おいしいものを食べさせてもらったとか。
で、さっきの荘子の話に戻ると生滅変化には三つの見方があって
一つは「いっさいは無である。なんにもない。」
二つは「物は存在するが、境界線やくべてゃ内。無限である。」
三つは「物の区別は存在するが、そこに価値判断をはさまない。」
ということらしい。


⑬だまってトイレをつまらせろ――船本州治のサボタージュ

この最後の章で取り上げられているエピソードは、山谷のどやがいでの闘争の話と、それにまつわる船本州治という思想家の話。
山谷の話は著者の無能っぷり(ヴァイスさんリスペクト)と人情と世知辛さを思い知る。
船本という人物についてここで書かれているのは、彼の活動した60年代から70年代当初のフリーターをどうとらえていたかという部分。
当時はルンペンプロレタリアートという蔑称として呼ばれていて、定職についていない人は十把一絡げに差別的にみられていたのだという。で、船本はそんな彼らを肯定的に捉えなおす。
面倒なので書き起こしはしないが、201ページから204ページまで読めばよろしい。
そろそろ書いてきて疲れてきたのだけれど、ここで引用されている「サボタージュの哲学」の例は取り上げておきたい。
ある工場のトイレが水洗化され経営者がケチってチリ紙を完備しないときの振る舞いとして、ルンペンたちの取る行動として新聞紙などの固い紙で詰まらせるのだという。それ以外にも二つの方法が例示されているのですが、別にトイレ云々という問題ではなく、立場を理解した上での振る舞いの違いを明らかにしているのだ。
己を弱者として「固定」し陳情するパターン、自らを強者として誇示し対等な交渉を進めようとするパターン、そして現実の階級を恨み弱者であることを自ら認めそれによって駆動する者。
船本の資本主義を生産過程と市民社会に区分する見方は正しいと思えるし、フレデリック・ロルドンなる人物の言う工場労働をモデルにした社会のありよう(これ、アニメカービィでモダンタイムスのパロをやっていたのがそのまま当てはまるのが面白い)だったり、消費行動こそが近現代における人間的行動であるという価値観の植え付けが行われてきたことだったり。
ウェブレンもボードリヤールも消費の変化について論じていたけれど、そもそも消費を前提とした社会の在りように疑義を呈するべきなのかもしれない。

あとがき

はあ総括でありますね。最後に資本主義に中指をおったてて終わる。
正直なところ、自分はまだ勉強不足なもんで資本主義に石を投げることはできないし、生まれてこの方そのシステムに隷従して生きるように調教されてきているから不安な部分も大きいのですが、こういう人がもっと公に出てくれたりするといいのかもしれない。


そういうわけで、一万字オーバーという文字数にわたって書いてきて(ほぼ引用ですが)、おおむね同意していることは伝わったと思う。
実際、この人の書く文章は面白いし同意できる。のだけれど、この人は自分の思想を正当化するために論文や知識を援用しているようにも思えてしまうこともなくもない。タバコのとことか。それこそネトウヨ的に。
とはいっても、ネトウヨのような論拠も根拠も貧弱なそれではなく、ちゃんとした資料に基づいているので一緒にしては失礼なのですが、自分にもそういう部分が往々にしてあるので気になるのです。だから、その真偽を見定めるためにもやはり自分で学ぶ必要がある。
チョムスキー先生は「評論は俺に任せろー(バリバリ)」と言いますが、やっぱり私は不安なので手の届く範囲で勉強したいと思います。


多様化を歌いながら、なぜ働かないという価値観はダメなのか?それを考えることから始めたっていいのに。
もちろん、それをいいように使って「殺人も認める」という価値観も受け入れろ、と明後日の方向に飛躍させる輩が出現しかねない。残念ながらそれをロジカルに反駁する教養は私にはないのだけれど、まあしいて言えばひとつは多様性がなくなるからだ。一人が殺人によって死ねば、多様性がひとつ失われることになる。多様性を認めようにも認められなくならから、ダメだよね、という話。
第一、殺人が肯定されれば種の存続が危ぶまれるわけで。

よく考えるとおかしいことというのは色々あって、たとえば、生きていたらその人が生み出していたであろう価値を経済という枠組みで絡めとろうとしてくるけれど、じゃあ経済ってなんだよ?
私に言わせれば、働くということは、ほとんどの場合が怠惰に他ならない。
保守速報の例をとるに、普通なら、たとえそれが嫌悪を抱く相手でも悪罵をなげつけるというのは苦しいものだ。けれど、それが金のためとなると容易に自己正当化される。さらに、ネットの発達によって本来ならば痛痒を感じるはずの部分がフィジカルなコミュニケーションを欠くことによってそれを加速させている。
罪悪感を上塗りしてしまう。


ともかく、これだけは言える。
ニートやひきこもりこそがロックであり勇気ある革命者なのだ。
だから私は、声を大にして言いたい。あなたたちは忍辱な勇者なのだと。
世界の引きこもり・ニートたちよ、立ち上がるな!鎮座せよ!立ちて死するな、伏して生きろ!

ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド:ブライアン・W・オールディス(柳下毅一郎 訳)

お久しぶりんこ。
そろそろ読書感想を書くのが苦痛になってきております。
もとより読書にはかなりのエネルギーを使う上に読むのが下手くそだし。最近は色々とあって、本を読むタイミングもなかったこともあって、読書週間を取り戻すのが大変ですた。
それに、すでに読み終わって途中まで書いていたものも放置している状態で、完全に進研ゼミのダメパターンに入ってきている。や、別に何かに追われているというわけではないのですが・・・。寿命に追われている、ということは言えるかもしれませんが、それを言ってしまうとほかのすべてに当てはまることだしなぁ。
しかし、今回取り上げる本は軽いノリで(訳者の柳下氏も指摘している通り)ページも少ない文庫本ということもあって読書週間を取り戻すにはかなり手ごろでした。
まあ、軽く書かれているからといって必ずしも内容が軽いというわけではなく、まして出来栄えが悪いというわけでもない、というのが才人の才人たる所以なのでしょう。
オールディスの小説はこれが初めてなのですが・・・とか色々書き綴ろうとも思ったのですが、そういうことをダラダラと書いているから余計に面倒なことになるのだろうと書きながら思い直し、すぐに本題へと行きましょう。一応、スピルバーグの「AI」の原作者、と書いておけばそれなりに伝わるかしら。


以下、文庫本裏表紙に記載のあらすじ

英国北部の僻地、レストレンジ半島(ヘッド)に生まれ育ったトムとバリーは、結合双生児。さらにバリーの方には第三の頭が生えていた。
二人を待ち受けていたものは、ロックスターとしての世界的な成功と、運命の女性ローラとの邂逅。
だが、離れることのできない兄弟は互いにに組合、争いは絶えない。その果てに……巨匠オールディスが円熟期に発表した名編。

あらすじからもわかるように、フリークスの話です。
前書きを含め8つのチャプターで構成されているわけですが、それぞれのチャプターではトムとバリーの関係者の一人称形式あるいはインタビューという形で物語られていよる。
この構成の妙というのは、つまるところトムとバリーの当事者の視点を入れない部分にあり、結局のところ彼らの理解には至らないということろだと思います。もちろん、兄弟に最も近しい存在である姉のロバータの記述においてトムの見た夢が語られていたり、恋人(?)であるローラの語りもトムとバリーの関係性や人間性を陳述してもいるわけですが。
トムとバリーの理解に至らないということはイコールでソレの存在を隠匿することにも繋がる。もし、トムとバリーの内心を一人称で描こうものなら、どうしたってソレの存在は無視できなくなるだろう。とりわけ、フリークスである彼らを描くにあたってはその身体性からは逃れられないだろうから。そういう意味では、フリークスの悲哀というのは伝わりづらいかもしれない。とはいえ、関係者から語られる兄弟の懊悩は真に迫るものはあるし、決して伝わらないということではない。しかし、なぜそんな構成にしたのか。
結局のところ本人たちの内心を描かないという選択をしたのは、最後の数ページの展開のためにあるのでしょう。その展開に至るまでに、予兆は散見できる。どころかあらすじの中にすでにその布石が置いてあるわけですね。
しかし、これが上手に機能するのはやはり視覚のメディアではないからでしょうな。だって、これがもし視覚メディアであれば(いやまあ、映像化しているわけなんですが)トムとバリーを映した時点でソレは強烈に存在感を放ち続け、本書のように「フリークスの悲哀とかの色々な物語がホラーに転じる」という急転直下(それでいて唐突な展開ではないという技巧)なセンスオブワンダーは描出できないだろう。
ところどころで挿入される挿絵も、うまい具合に予兆を放ちつつもソレの存在感を薄めている。

他者によってトムとバリーを語らせることにより、トムとバリーのへの理解の程度を徹底して一定未満に保つことで、ソレの理解を拒ませる。だからこそ最後のあの展開は背筋が凍るものになるわけです。そしてまた、ある種の憐憫も。

基本的にはトムとバリーの話ではあるのだけれど、個人的に一番グッとくるものがあるのはローラの寄稿だったりする、というのが我ながらどうしようもないなぁ、と思う。
まあね、彼女のチャプターは読んでいてうんうん頷いたり自分の恥部をつつかれているようであったり、一方で彼女の語りそのものにほろりとしてしまうところがあったり、すごくエモい。でもやっぱり、どこか自虐的だったりシニカルな軽さもあってすごい読みやすいんですよね。

ああそれと、イアン・ポロックのイラストもすごい良いです。この悪意マシマシで描かれる人間というのがもうこの本に適している。まあ、一部の好事家に支持されるだけでは金はそこまでついてこなかったらしいですが、こういうイラスト増えてくれるといいなぁ。
もとはカラーイラスト付きの大型本だったということで、ちょっと元の方も読みたい欲望が。

軽く読める良作でしたよ、ええ。
次は同じ著者のスカトロSFを読んでみたいでせう。