dadalizerの読書感想文

読んだ本の感想(誤謬アリ)を綴るブログ。オナニープレイ。

古田雄介:故人サイト 亡くなった人が残していったホームページ達

久々に更新。
しかしあれですな。ボリュームのある本を読んでいるときにうっかり軽め(ページ数・文字数的に)の本に手を出してしまうとそちらを優先してしまいますね。結果、重めの方の本はどんどん遅れていくという。
もっとも、今回の本は内容は重めではあるんですけれどね。

内容自体はタイトルのとおりで、亡くなった人が生前に管理していたブログやツイッターなどのSNSをまとめて、その前後の反応などをまとめた本でありますです。

第一章:突然停止したサイト 本人が自分の死を予測していない、少なくとも予兆を表に出していないサイト
第二章:死の予兆が隠れたサイト 本人は死因に気づいていない、または表に出す気はないが、予兆が見えているサイト
第三章:闘病を綴ったサイト 病気の日々を長期間書き連ねているサイト、死と向き合って生きてきたサイト
第四章:辞世を残したサイト 本人による辞世の挨拶が残されたサイト。ただし、自殺したものは除く
第五章:自ら死に向かったサイト 自殺願望を綴って実行したサイト、自死をほのめかして消息を絶ったサイト
第六章:引き継がれたサイト/追憶のサイト 残された人々が長年引き継いで管理しているもの、追悼のために構築したもの

といった感じに章立てされており、章の合間に4ページほどのコラムが載っています。一つ一つの事例を見開き2ページで紹介していくわけですが、ページの上半分はサイトの画像(サイズが小さめで見づらい)で下半分が文章になっているため、文字数や読解という点で言えばかなり読みやすい本ではある。
のですが、やはり現実にあった、というより明確にサイトという形で残っている「死」を意識せざるを得ないという点ではやはり気分が落ち込みます。しかもタイミングが悪く、この本を読み始めた次の日に高畑勲の訃報が知りまして、昨日まで結構引きずっていました。ていうか、今も結構引きずってはいるんですが、そうも言ってられませんしね。
一般の人から事件・事故でネット界隈で少し話題になった人、アスリートやアニメ監督まで国境を除けばボーダーレスに収集されています。
しっかりと管理されているものからスパムの温床になっているものまで色々あって、なんだか物理的実体を持つ墓標なんかと少し似てる気もする。
漫画家を目指しながらも夢を果たせず母と心中した人や、死後もその研究成果などを管理されている学者、交際相手に殺されたにもかかわらずツイートを吐き続けるツイッター
どれもこれも自分に照らし合わせてみると怖くなるんだけれど、意気揚々と世界へ旅しに行って伝染病で亡くなったりバイクを盗まれて殺されたりと、そういうのを知るとやるせなくなってきます。
世の中には色々な人がいて、色々な思惑があって、当たり前だけれど自分が目にしている人たちっていうのは生きているのだ。「リメンバー・ミー」じゃないけれど、誰かを思うということは、何も生きている人だけに対してだけではないのだろう。むしろ、亡くなった人を思うことでしか感じられない何かもあるのかもしれない。それがたとえ、この本で、インクでできた数百の文字列や読みづらい小さな画像ほどの繋がりしかなかったとしても。死んだ人の残した言葉から、こうしてブログを始めた自分にしてみれば、特にそう思う。

 もちろん、そんなことは小さな頃から我々が当然のこととしてやってきたことであるというのは百も承知だ。たとえば絵本にしたって、すでに亡くなった人の書いたものであることだってあるだろうし、歴史の教科書なんてものは側面としては極めて限定的ではあるけれど、それだけをまとめたようなものでしょう。小さな頃から、死者の残したものに触れて思いを馳せてきたはずだ。けれど、そういうものはいつだってそれだけの能力や人生の集積として刻まれている、いわば「成果物」なのだ。ヒトラーの行動ですら(単純な善悪二元論に押し込むとして)悪ではあっても、その悪逆非道を行うだけの能力があったわけで、それが歴史的な「成果」であることにはかわりない。
 けれど、この本で言及されている人の大半はそんな大層なことをしていない。称揚されることも批難されることもない。ただ忘却されていた人たちで、世のほとんどはそういう人たちだ。
この世界には自分の知らない人たちで満ちている。そういうことに改めて気づかされる本だった。誰もがやっているけれど、誰もやらなかったことの一つの達成としてこの本はある。